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ヴィヴィアン・タム : Vivienne Tam

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ヴィヴィアン・タム

ヴィヴィアン・タム Vivienne Tam (谭玉燕)は、ニューヨーク・コレクションに参加する中国人女性のファッション・デザイナー(衣服設計師)。1983年に自身で設立したEast Wind Code, Ltd.のCEOとチーフ・デザイナーをも務めます。主な顧客に、ジュリア・ロバーツ、マドンナ(Madonna)、ヘザー・グラハム、サラ・ジェシカ・パーカー、ビヨンセら。

ヴィヴィアン・タム Vivienne Tam (谭玉燕)

ヴィヴィアン・タム Vivienne Tam (谭玉燕)via @VivienneTam

経歴

ヴィヴィアン・タムは中国・広東省生まれ。3歳の時、香港に移住。子供の頃、母親が家族の服をつくっているところをみて感銘を受けました。8歳の時、旧暦の正月に自分の兄弟姉妹のためにデザインをして服やドレスを作成しました。香港理工学院ファッション・デザイン科を卒業後、地元のデザイナーや「メイド・イン・ホンコン」(香港製)ファッションの評価が芳しくないことに気づき、香港貿易振興協会(the Hong Kong Trade Development council)での就業をきっかけに、1981年に渡米しました。北京製のビニール・バッグには、彼女自身による20点ほどの中国風デザインが忍んでいたといわれています。

ニューヨークでは、百貨店や特設店での展示会に努力を惜しまず、1983年、若いデザイナーたちが集まったコレクションで、ヘンリ・ベンデル(HENRI BENDEL)社のバイヤーたちに影響を与えました。同社は名声の高い57番街のウィンドウ・ディスプレイを提供しています。90年に自らの名前を冠したブランドを設立し、1993年秋からニューヨークコレクションに参加する。ニューズウィーク、ピーポー、ヴォーグ、コスモポリタン、エル、タウン・アンド・カントリー、マリ・クレール、ハーパース・バザー、インスタイル、各誌で特集記事が組まれました。94年、ヴィヴィアン・タムは初めてニューヨーク・コレクションに参加し、翌95年には春夏コレクションで毛沢東プリントを発表。97年には仏陀コレクション(Buddha collection)を発表し、ペリー・エリス賞を獲得。作品の数々は上記美術館などに陳列されることとなりました。

作風

斬新でトレードマークにもなっている「東西融合」(East-meets-West)の姿勢に貫かれた衣服設計は国際的に評価が高い。他方で、CHINA CHIC(中国風)も主題の一つにし、作品には必ず「Made in Hong Kong」か「Made in China」と記され、広告キャンペーンでは必ずアジアの女性を起用することで有名です。ヴィヴィアン・タムのEast-meets-Westはとても広い視野を持っています。1949年10月1日の朝、毛沢東は中華人民共和国建国の演説で、「我々中国人は我々独自の慣習を持っている」として人民服(中山装、Mao suit)を着ました。これは1912年の中華民国建国時の孫中山(孫文)のスーツを土台にしたものです。そして、中山装は当時の日本の学生服をもとに設計され、日本の学生服は当時のドイツの大学生服から借用したものでした(Vivienne Tam, China Chic, Harper Design, Reprint, 2006, p.99)。

彼女の制作した衣服はメトロポリタン美術館、アルバート美術館、エフ・アイ・ティー美術館、アンディ・ウォーホル・ミュージアム等のコレクションに展示されています。彼女は、ニューヨーク市に暮らし、ファッションを基本にした国際的なビジネスで成功を続けています。

China Chic

2000年、中華圏における服飾史の知識を集大成させたヴィヴィアン・タムの著書『China Chic』が出版されました。同書は、2005年にリプリント版も出ています。撮影は、ウォン・カーウァイ(王家衛)映画の協力者で有名なウィン・シャ。写真が豊富で、タム自身のコレクション情報という代物ではなく、彼女や出版社が集め回った昔の絵画写真や映画の一場面など、時代時代の服飾史がテーマ別に語られています。李小龍(Bruce Lee)がいて毛沢東主席がいて、仏像があり香港という街があり人が歩いています。

明や清の時代の建築が出てきたと思えば、室内の家具や調度品が写しだされ、戦前上海の旗袍を着た映画女優や広告ポスターがあったと思えば、戦後の新中国下の衣装や1960年代香港の衣装が写しだされます。本書はインタビューワーを除けば、すべてタム自身の文章とお気に入り写真。長衫(Cheungsam)に始まり、明と清の時代の衣装を押さえ、最後に長衫に戻りながら東西融合という服飾感で締めくくっている点が上手く仕上がっています。

CHINGLISHMA(融 / rong)物事は融合して、クオリティとエッセンスのハイブリッドを作り出しています。 融合要素は元々の性質を保持しますが、融合することによって、以前は不可能だった豊かさと多様性を融合要素は得ます。(CHINGLISHMA “融 / rong” Things blend with one another to create a hybrid of qualities and essences. The composite elements retain their original natures, yet by coalescing they gain a richness and variety previously impossible.) via Vivienne Tam, China Chic, Harper Design, Reprint, 2006, p.256.

Chinglish

東西融合の一つのキーワードに「Chinglish」という造語を入れているのが面白いです。続く箇所でも旧植民地の香港を拠点に中西合併を色々と想像していて前向きですね。いたずらに古代や現代を引っ張り出す失敗を犯しさず、大局を見ている点が世界的ファッション・デザイナーたる所以です。

次の文章を読んでみて下さい。これは270頁から引用したものです。ヴィヴィアン・タムが解説する20世紀ファッション史。的を得てコンパクトにまとめています。

ファッションの学生として、私はチョンサム(cheongsam)の進化を研究しました。それは衣類が西洋の時代を反映する方法を理解する素晴らしい方法で、依然としてその基本的性質に忠実です。それ以来、チョンサムは常に西洋から学んでいましたが、通常は数年遅れました。

面白いことに、西洋衣装の形、新繊維、ドレスの組み合わせを理解する新しい方法を採り入れながら、ドレスの基本エッセンス(高い領、大襟、スカートのスリット)は残りました。身体の形、髪型、アクセサリー、メイクは全て変わりましたがはチョンサムは残って、今でも中国風で有り続けています。

ハリウッドは現代中国のファッションに大きな影響を与えています。アメリカの映画スターはいつも人気があり、衣服、髪、メイクもそうでした。テイラーとそのクライアントたちは、ハイブリッド・ファッション、中国と西洋の生地、カット、スタイルなどを素晴らしくブレンドしてきました。1920年代・1930年代のユニセックスのガウンは、西洋のフラッパーたちのラインまでスリム化しました。シャネルのバイアスをコピーすると、シルエットが滑らかになりました。袖丈は短くなり、スリットは高くなりました。髪はストレートで、肌は薄く、唇は赤い。

1930年代半ばまでに、ドレスは長くて軽くなり、体をふるい落としました。裾は足首まで落ち、脇下を明るくするために袖を切りました。髪はパーマされ、眉毛は細くアーチ状にグレタ・ガルボのように描かれましたが、顔は依然として穏やかでした。その後、1940代の女性は、パッド入りショルダーとジョン・クロフォードのようなプラットフォーム・シューズでジャケットを追加しました。女性たちはより強く、より積極的に、肩や胸を張り始めました。 私はそれを愛しています。

As a fashion student, I studied the evolution of the cheongsam;it was a great way of understanding how clothing could reflect changing times in the West but still be true to its basic nature. Like the rest of China back then, the cheongsam was always learning from the West, but usually a few years behind.

What interested me was that through the changing of Western fashion shapes, new fabric of the and new ways of understanding combinations the basic essence dress–the high collar, side the slit in the skirt–remained. Body shape, hairstyle, accessories, and makeup all changed but the cheongsam remained, and was still Chinese.

Hollywoodwas a major influence on modern Chinese fashion. American movie stars were always popular, and so were their clothes, hair, and makeup. The tailors and their clients came with hybrid fashion, a great blend of Chinese-Western fabric, cut, and style. In the twenties and thirties the unisex gown slimmed down to the lines of the Western flapper. The silhouette was slinkier, copying the bias cuts of Chanel: the sleeves got shorter, the slit higher. Hair was straight and bobbed, skin was pale and lips, red.

By the mid-thirties, the dress was long and light, skimming the body. Hems dropped to the ankle, sleeves were cut to reveal the under underarm. Hair was permed, eyebrows drawn thin and arched like Greta Garbo’s, but the faces were still demure. Then in the forties, women added jackets with padded shoulders and platform shoes like Joan Crawford’s. The women began to look stronger, more assertive, their shoulders back and their ehests out. I love it. via Vivienne Tam, China Chic, Harper Design, Reprint, 2006, p.270.

これはChinglishの中の「旗袍の進化」と題した小項目にあるものです。着物でここまで語れる人はいません。和洋の区別にこだわりながら明言せず、他方でブレンドの発想に欠けています。それを考えると旗袍とヴィヴィアン・タムへの期待が膨らみます。