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スタイル用語集 : 1日1個 平日配信
新しいファッション史

モードの世紀は、人類のファッション史をまとめ直し、躍動感ある歴史を描きます。
主にフランス、イギリス、イタリア、アメリカ、中国、台湾、日本に注目します。

これまでのファッション史は西洋か日本か、意味不明の二項対立に固執しました。
和洋。何て厚かましい言葉でしょう。

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ローザ・ベルタン : アントワネットお抱えデザイナー

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ローザ・ベルタン : アントワネットお抱えデザイナー

ローザ・ベルタン Rose Bertin は、1747年に北フランスのアベビル近郊に生まれたファッション・デザイナーです。本名はマリー・ジャンヌ・ローラン(Marie Jeanne Laurent)。

当時の貴族階層への影響力がきわめて大きかったので、盛時には「フランス・ファッション大臣」と呼はれました。フランス・デザイナーの祖といわれますが、民主革命を経たフランスの歴史からして、それは本末転倒です。

ローザ・ベルタン マリー・アントワネットのドレスメイカー、マドモアゼル・ローザ・ベルタン

ローザ・ベルタン マリー・アントワネットのドレスメイカー、マドモアゼル・ローザ・ベルタン via Jean François Janinet | Mademoiselle Rose Bertin, Dressmaker to Marie-Antoinette | The Met

経歴

16歳でパリに出て帽子店 Mademoiselle Pagelle (マドモアゼル・パジェル)で働く。1772年、ルイ16世の妃マリー・アントワネット(Marie Antoinette)のお抱えデザイナーとなり、外国王室や外交官夫人の帽子やドレスも製作しました。

その店 Au Grand-Mogol (オ・グラン・モゴール、「ムガール皇帝」の意)は繁栄をきわめ、王妃が発注したドレスやアクセサリーは際限なく国費を濫費し、フランス革命の誘因ともなりました。野心家のマリー・ジャンヌ・ローランは王妃の愛顧に応えてその死まで献身的に仕えましたが、王妃の刑死後、イギリスに亡命しました。再びフランスへ戻ってからは、大衆向きのアクセサリー店を開きましたが、思わしくいかず、1813年に貧窮のうちに死にました。

ローザ・ベルタンの生きた時代のフランス貴族の贅沢ぶりは、ドイツの経済史家ヴェルナー・ゾンバルトが詳しく調べています(恋愛と贅沢と資本主義 : 経済社会のエンジンは何か?)。そちらもご参照ください。

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