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スタイル用語集 : 1日1個 平日配信
新しいファッション史

モードの世紀は、人類のファッション史をまとめ直し、躍動感ある歴史を描きます。
主にフランス、イギリス、イタリア、アメリカ、中国、台湾、日本に注目します。

これまでのファッション史は西洋か日本か、意味不明の二項対立に固執しました。
和洋。何て厚かましい言葉でしょう。

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ピエール・カルダン : Pierre Cardin

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ピエール・カルダン

ピエール・カルダン Pierre Cardin は1922年にイタリアのヴェネツィアに生まれたファッション・デザイナーです。両親はフランス人。

1960年代に宇宙服のデザインとライセンス戦略でオート・クチュール界を陳腐化させたデザイナーとして有名です。その軽快で簡潔なデザインはアンドレ・クレージュと並んで称賛されます。無機質な素材を使った幾何学的ラインや大胆で独特なシルエットが特徴です。

ピエール・カルダン

ピエール・カルダン via pierre cardin | tomorrow started

経歴

1930年代末、16歳の時にヴィッシーの仕立屋で働きはじめ、フランスがドイツから解放された1944年にパリへ出ました。1945年からイシドール・パカン(パキャン)の店で働きます。ここで知り合ったアントニオ・カスティーヨとともにジャン・コクトーの映画『美女と野獣』のコスチュームを担当します(実際に衣装デザインを行なったのはクリスチャン・ベラール)。

その後、エルザ・スキャパレリリュシアン・ルロンピエール・バルマンの店を駆け足で遍歴。

映画『美女と野獣』で協力したコクトーやベラールを通じてカルダンはクリスチャン・ディオールを知ります。1946年に創業したばかりのディオールの店に移り、舞台衣装や紳士服などを手がけました。1947年2月にクリスチャン・ディオール店初のコレクションで著名な「ニュー・ルック」が発表されました。

クリスチャン・ディオール : Christian Dior
クリスチャン・ディオール Christian Dior は、1905年、実業家の息子としてフランス・ノルマンディーのグランビルに生まれたファッション・デザイナー。第2次世界大戦後の世界ファッション界で10数年間も人気が続きました。育てたアシスタントに、イヴ・サンローラン、ピエール・カルダン、ギィ・ラローシュらがいます。

このショーでピエール・カルダンはタイユール(テーラード仕立て)のアトリエ主任として参画しました。当時、クリスチャン・ディオールのメゾンには、イヴ・サンローラン、ギィ・ラローシュもおり、ピエール・カルダンを含めて、ディオールの「若き3プリンス」と呼ばれました。

アパレル部門の多角経営

1950年代

1950年にディオールの店を去ったピエール・カルダンは1951年に演劇の舞台衣装とマスクを制作する店舗を開店。1953年にはフォーブール・サントノレ街118番地にメゾンを構えました。

さらに1957年にメンズ・ブティックをオープン。男性向けと女性向けとに分け、それぞれを「アダム(Adam)」と「イブ(Eve)」と名づけました。そして1957年秋の「投げ縄ライン」以来、次々と意欲的な試みを発表し、布地の魔術師といわれたほどの前衛的な才能がいかんなく発揮されていきます。

ピエール・カルダン 1957年秋コレクション 投げ縄ラインのドレス

投げ縄ラインのドレス(ピエール・カルダンの1957年秋コレクション) via 1967 Pierre Cardin Documented Black Wool Space-Age Mod Carwash Mini Dress at 1stdibs

1960年代

そして、宇宙時代といわれた1960年代、とくに1964年の「スペース・エイジ」など斬新なアイディアと宇宙的なデザインで一時代を画しました。さらに、1966年のヌード・ルック、金属製の装身具、ユニセックスの宇宙服スーツ、チュニックとタイツの組合せなどは、斬新さのオンパレードといえるデザインでした。ピエール・カルダンは、早い時期からプレタ・ポルテも手がけ、子供服やジュニア服まで創作活動を広げました。

ピエール・カルダン、アンサンブル、1968年、毛・プラスチック

ピエール・カルダン、アンサンブル、1968年、毛・プラスチック via Pierre Cardin | Ensemble | French | The Met

ピエール・カルダンは、1962年にプランタン百貨店でカルダン・コーナーを開設し、自店のオート・クチュール作品のコピーを自店舗で作成した安価なプレタ・ポルテを売り出しました。これによって、クチュール業界のプレタ・ポルテ進出の主導権を取り、オート・クチュール(注文服)のブランドとしてプレタ・ポルテ(既製服)を初めて発表。

ピエール・カルダン、コート、1966年・1967年秋冬コレクション、毛。

ピエール・カルダン、コート、1966年・1967年秋冬コレクション、毛。 via Pierre Cardin | Coat | French | The Met

1963年、紳士物既製服業者ブリルの要請で「ジュニア・コレクション」を出し、これが大当たり。婦人服プレタ・ポルテを中止し、ブリルと提携して紳士服業界に進出しました。ユニセックスな紳士服で新風を吹き込んでいます。

1960年代に女優ジャンヌ・モローはフランソワ・トリュフォー監督の映画『突然炎のごとく』などスクリーン上でよくカルダンの服を着たためカルダンはさらに人気を高めました。(同映画の衣装担当はフレッド・カペル)。きっかけは『エヴァの匂い』(1962年)か…、二人は1960年代前半の一時期、同棲しました。

フランソワトリュフォー 突然炎のごとく ジャンヌモロー ピエールカルダン ノースリーブドレス

フランソワ・トリュフォー監督『突然炎のごとく』から。ピエール・カルダンのノースリーブ・ドレスを着たジャンヌ・モロー (c) 1961 Les Films Du Carrosse.

他部門の多角経営化 : ディオールに続き乱発したライセンス

ピエール・カルダンの名は、既製服だけでなく、魔法瓶、ボールペン、タオルなどにも冠され、中国人や日本人が最初に認知した高級ブランドとなりました。しかし、多くの海外ブランドが日本に入ってきた1980年代以降、そのライセンス商品がかえってブランドの高級感を損なうことになり、国内では今、ライセンスを減らしイメージの復権に力を入れています。

現在、上記以外にも、ワイン、生活用品、かつら、航空機など、ライセンス数は100カ国以上900に及ぶライセンスを取得していますが経営難は免れず、21世紀になってピエール・カルダンは自社を中国企業に売却しようという意向を示しました〔モードと中国 : ピエール・カルダンの動向〕。

1992年、フランス最高の栄誉あるアカデミー・フランセーズの会員に、モード界から初めてピエール・カルダンが選出されました。

東アジア進出

1959年に高島屋の招きで来日した際、ピエール・カルダンはファッション・モデル松本弘子の個性を買ってパリに招き、店の専属にしたことは有名です。とはいえ日本国内で内輪話ネタで喜ばれること。1985年にカルダンは中国人女性を9人を招聘して、パリのファッション・ショーに立たせています。

カルダン自身、日本の伝統的な意匠に興味を持っていました。続く1960年代に日本では百貨店がピエール・カルダンの作品を輸入し始めました。これによって、ピエール・カルダンは、ブランド名をあらゆる分野の企業に貸し出す「ライセンス・ビジネス」を展開。東京にライセンス管理会社「ピエール・カルダン・ジャパン」が開業されました。1979年には東京・有楽町で芸術家具の店「エボリューシオン(Evolution)」を開設。

この頃、ピエール・カルダンは1978年に韓国に進出、同年に中国からも招かれ、同国の服装の近代化を指導し、初の外国人ファッション・ショーを北京で実現させました。

ピエール・カルダンの中国初のファッション・ショー(北京、1979年)

ピエール・カルダンの中国初のファッション・ショー(北京、1979年)。”Pierre Cardin’s first show in China, Beijing, March 1979.” via Fashioning Change | Vestoj

ピエール・カルダン、地元人に話しかける、1979年4月。

ピエール・カルダン、地元人に話しかける、1979年4月。Pierre Cardin talks to the locals in April, 1979. via Facelift

モード業界が中国とソ連に代表される共産主義圏に注目する事例は珍しくありません。カルダンもその一人で1986年に旧ソ連と紳士服・婦人服・子供服のプレタポルテの現地生産契約を締結。次いで翌1987年には万里の長城国際救済教会をフランスで文化事業団として設立、その委員(発起人)として世界に呼び掛けました(旧ソ連と万里の長城は『ピエール・カルダン 時代とモード』ピエール・カルダン・ジャパン、2002年、7頁)。

作風

ピエール・カルダンの作品は、ビニールやアルミ、プラスチックといった無機質な素材を使った幾何学的なラインをもった「コスモコール・ルック」が有名です。女性服では大胆で独特なシルエットをみせ、カートリッジ・プリーツ、スカラップ、くりぬき、金属製のジッパー、ベルト、ヘルメットなどの新しい素材も多用しました。次の写真は向かって右がカルダンのダンス・ドレス。向かって左がパコ・ラバンヌのドレス。

ダンス・ドレス(ピエール・カルダン作、1966年~1967年、シルク製)

ダンス・ドレス(ピエール・カルダン作、1966年~1967年、シルク製) via Pierre Cardin | Dance dress | French | The Met

「コスモコール・ルック」は1966年のカルダン作品の特徴です。このルックに関連して1965年には幾何学的カッティングを披露し、1968年には化学繊維の生地にレリーフ上の型押しをしてドレスに凹凸を出した作品(ローブ・ムレ)を公開しました。

1970年代・1980年代になると布地の裁ち方や使い方に一層趣向を凝らすようになります。この時期の作品は大きく二つに大別できます。一つにパコダ・ライン、コンピュータ・ライン、オリガミ・ルックのような肩を張らせたあるいは目立たせたタイプ。二つにセンシュアス・ルック、モービル・ライン、トゥルバドゥール・ルック、フープ・ラインと続くスカート裾やコート裾が柔らかく広がりやすいタイプ。

"パコダ・ライン"の代表的な作品です。布地はウールのこまかい黒と白との千鳥格子。via 「服飾手帖」327号、1979年春。

“パコダ・ライン”の代表的な作品です。布地はウールのこまかい黒と白との千鳥格子。高島屋百貨店提供” via 「服飾手帖」327号、1979年春。

芸術振興家としてのカルダン : アート・スペースの運営

1970年にカルダンはパリ・コンコルド広場に近い劇場「エスパス・ピエール・カルダン」をオープンしました。これを機にカルダンは劇場やアートスペースの運営に勢力をつぎ込みます。

「パリの劇場-エスパス・ピエール・カルダン | フランス観光 公式サイト」では大々的に「エスパス・ピエール・カルダン」を紹介しています。

エスパス・ピエール・カルダンは劇場だけではなく映画館、多目的ホール、ギャラリーを備えている。元はカフェ・デ・ザンバサドゥールCafé des Ambassadeursとして財務監査人のアベ・テレ l’abbé Terray によって1772年に建てられた。外国から来た大使らの住居として提供されていたようだ。その後、移転し、1929年に解体、1931年に劇場として建物が建てられデ・ザンバサダーDes Ambassadeursと名づけられ、1938年にはテアトル・デ・ザンバサダー Théâtre des Ambassadeursと名を変えた。 この劇場はジャン・コクトーが戯曲を書いた『恐るべき親たち Parents terribles』の初演を1939年1月にしているが、その内容が問題視され、パリ市議会から上演禁止のお達しを受けた歴史あり。

Read more at: http://jp.france.fr/ja/information/124987

http://jp.france.fr/ja/information/124987

また1981年にはパリのロワイヤル通りに開業していた老舗レストラン「マキシム」(1893年創業)の所有者となりました。同店の2階にはカルダン自身が50年以上にわたり収集したアール・ヌーボーのコレクション約750点を展示しています。1993年には南仏カンヌ近郊に円形劇場「パレ・ビュル」(泡の城)、2001年にはマルキ・ド・サドゆかりの南仏ラコスト城の所有者となり、芸術活動振興の為に野外劇場を設営しています。

近況

2017年6月17日、ピエール・カルダンの95歳の誕生日を祝いアメリカのロードアイランド州ニューポートでファッション・ショーが開催されました(ピエール・カルダン、95歳を祝ってファッションショー開催 写真8枚 国際ニュース:AFPBB News)。

ピエール・カルダン、95歳を祝ってファッションショー開催
【6月20日 AFP】ファッションデザイナー ピエール・カルダン(Pierre Cardin)氏の95歳の誕生日を祝って17日、米・ロードアイランド州ニューポートでファッションショーが開催された。

一目惚れ

カルダンはアンドレ・クレージュに次いで2番目に好きなデザイナーなので選びにくいですが、全体的にはミニのワンピース・ドレスが素敵。緩やかなエー・ライン(A-line)が多く、選ぶ決め手は配色になります。その中でこれほどシンプルなものがあったのかと驚くのが次の作品です。ファッション史の本を見ても出て来ない作品です。紅色が良いですね。

ドレス ピエール・カルダン 制作、1960年代 手縫い ミシン縫い アップリケ

ドレス(ピエール・カルダン制作、1960年代、手縫い・ミシン縫い・アップリケ) via Dress | Pierre Cardin | V&A Search the Collections

所蔵しているヴィクトリア・アンド・アルバート・ミュージアムの説明を見ますと4歳児辺り向けの子供服とのこと…。言われてみればトルソーの長さが短めか…。せっかくですからデザインが新鮮なので作品解説をまとめてみます。

写真のキャプションにも書きましたが、このドレスはピエール・カルダンが1960年代にデザインしたもので、手縫いとミシン縫いの両方で縫製されています。アップリケ付き。

首後のラベルには「Made in France expressly for Neiman-Marcus」と「Dimensions」の2点が縫い付けられているので、ニーマン・マーカス百貨店専売のディメンションズ・シリーズだと分かります。

百貨店向けのこのドレスは量産品で生地はウールとポリエステル。肩幅は24センチ、丈はネックラインから裾中心の突き出た縁までで58センチ。胸囲は31.5センチ。ノースリーブのエー・ライン。裾中心の突き出たハートは後部中心にも設置されています。

ハートも含めドレス裾を周囲に5センチ幅でアップリケが施されています。これは手縫い。フロント・パネルは前部に1枚・後部に2枚。後部には首から腰にかけてジップ・ファスナー。クリーム色部分はポリエステル製で、手縫いで赤色の縁が縫い付けられています(裏打ちされています)。赤色の生地が説明されていませんが消去法でこれがウール製か…。ミシン縫製の箇所も述べられていませんが、アップリケ以外の部分はおよそミシンかと思います。

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