新しいファッション史

モードの世紀は、人類のファッション史をまとめ直し、躍動感ある歴史を描きます。
主にフランス、イギリス、イタリア、アメリカ、中国、台湾、日本に注目します。

これまでのファッション史は西洋か日本か、意味不明の二項対立に固執しました。
和洋。何て厚かましい言葉でしょう。

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ポール・ポワレ : ファッションの王様

ポール・ポワレ キーパーソン
ポール・ポワレ(Paul Poiret) via ポール・ポワレ - Wikipedia

ポール・ポワレ

ポール・ポワレ Paul Poiret は、1879年にフランスのパリに生まれたファッション・デザイナーです。一時傘屋につとめた後、ジャック・ドゥーセ(Jacques Doucet)とともにウォルトの店で修業し、後に「ファッションの王様」と呼ばれました。

ポール・ポワレ

ポール・ポワレ(Paul Poiret) via ポール・ポワレ – Wikipedia

略歴

1903年、オペラ座近くに自分の店を持ち、ファッション界をゆさぶったドラマティックな活躍が始まります。1906年にハイ・ウエストのドレス「ローラ・モンテス」を発表し、女性のウエストを締めつけたコルセットを追放し、ファッション史上画期的な役割を果たしました。

ただし、もともとコルセットを着けない民衆層を解放したとはいえません。

ランプシェード型のチュニック、ホップル・スカート、キモノ・スリーブを創始するとともに、オート・クチュールの店では初めての香水“ロジーヌ Rosine”を発表し、1911年にはパリ高級衣装店組合 Chambre Syndicale de la Couture Parisienne(サンジカ)を創始しました。

第1次世界大戦後、ガブリエル・シャネルらの進出とともに時代に乗りきれずに衰退をつづけ、1920年代後半でデザイン活動は終わりました。晩年は妻子も彼のもとを離れ、貧困と病苦の中で、1944年にパリで死亡。

作風・性格

デザインは東洋趣味の色濃いもので、飾り毛のついたターバン、回教寺院の尖塔をヒントにしたミナレット・スカート minaret skirt を始めとして、孔子の衣装もアイデア・ソースにしたといわれます。芸術家との親交が厚く、女優サラ・ベルナールの衣装をデザインし、画家ラウル・デュフィは彼のために布地をデザインし、彼らをめぐる豪奢な生活は数々の伝説を残しています。

たとえは、彼の大邸宅で開かれた仮装舞踏会の絢爛豪華さは今でも語り草になっているそうです。その後、メゾンをフォーブール・サントノレ通りに移して組織の近代化を図る一方、工芸学校を創設し、モデルを伴なってベルリンやモスクワなどのヨーロッパ主要都市をまわってドレスの移動展示会を開き、モード使節としてアメリカにも渡りました。

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