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マリリン・モンロー:20世紀が生んだ世界最高のセックスシンボル

マリリン・モンロー 人物と企業
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マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)は1950年代のアメリカ合衆国を代表するハリウッド映画女優です。1926年6月1日に米国ロサンジェルスに生まれました。

世界最高のセックス・シンボルといわれました。オードリー・ヘップバーンとハリウッドを二極分解させたヴィーナスともいわれます。

経歴

マリリン・モンローの本名はノーマ・ ジーン・ベイカー。彼女は私生児で、ベイカーは母グラディス・モンローの最初の夫の姓です。母が精神異常で病院を出入りしていたことから、10組ほどの親戚や里親のもとを転々とし、ロサンジェルスの孤児院にいたこともあります。

ロッキード社の工員ジェームズ・ドアティと1942年(16歳)に結婚。後日談で、苦境から抜け出るためのベストな手段にすぎなかったと述べています。1946年に離婚。

モデル・デビュー

その少し前から写真のモデルをやりはじめ、髪をブロンドに脱色してから男性向け雑誌のカヴァーを飾るようになりました。1946年8月に20世紀フォックス社と週給125ドルで契約。F・ヒュー・ハーバート監督の「嵐の園」に端役で出演しますが、といっても彼女の出演場面はカットされました。

「ノックは無用」で映画デビュー

1947年にアーサー・ピアソン監督の映画「デンジャラス・イヤーズ」の端役に出演。以後の4年間はいずれも金髪グラマーであれば誰でも良い程度の作品が続きました。1951年にフリッツ・ラング監督「熱い夜の疼き」で地味な女工役、1952年に「ノックは無用」で初主演を果たしました。

その撮影中か直後に、かつて全裸でポーズをとった写真のカレンダーが出まわり大評判に。世界最高のセックス・シンボルが定着していきました。世界レベルでのセックス・シンボルはマリリン・モンロー以前にグレタ・ガルボ、以後にマドンナというくらいしか並び称せられないように思います。あ、同時代のブリジット・バルドーがいました(が、マリリンに比べると非力か…)。

映画界での活躍

1953年公開の「ナイアガラ」をはじめ「7年後の浮気」「紳士は金髪がお好き」「百万長者と結婚する方法」で人気は決定的となりました。これらの作品でマリリンは臀部(ケツ)を大きく左右に振る歩き方を披露し、これは後に「モンロー・ウォーク」と呼ばれました。

いずれの作品でもセックス・アッピールやコミカル・アクトでスクリーンに独特の魅力を開花させました。甘くハスキーな声を活かしたユニークな歌いっぷりも注目されました。彼女の甘い声は容姿なみに人気の要因でした。

ハリウッド映画界は戦後時代向けにデザインされたコスチュームをたくさん制作し、映画デザイナーの地位を確立させていきました。映画監督は、スタジオでの力が弱まりはじめ最終的にはクレジット上の権威に成り下がっていました。

「お熱いのがお好き」の衣装

1959年に公開された「お熱いのがお好き」の衣装をデザインしたオリー・ケリーは、この作品でマリリン・モンローに対して法外なキャラクターを作成しようとしました。マリリンは胸が強調された、一連の薄いスキニーなカクテル・ドレスを着て登場しています。マリリン・ モンローは映画のためにもっと目立った衣装類を着たいと言いましたが、ケリーはそのキャラクターは間違っていると却下しました。

1959年に公開された「お熱いのがお好き」でシースルー・ドレスを着たマリリン・モンロー。オリー・ケリー衣装。

1959年に公開された「お熱いのがお好き」でシースルー・ドレスを着たマリリン・モンロー。オリー・ケリー衣装。 via Parma Vintage: Style Icon: Marilyn Monroe

とはいえ、オリー・ケリーはマリリンに無茶な要望を押しつけましたが、セクシーさ一辺倒に衣装をデザインしたわけではありません。おかしさや笑いを加えてバランスを取っています。下に紹介するカードをクリックすると「お熱いのがお好き」でマリリン・モンローに採寸するオリー・ケリーの貴重な画像が見られます。

Some Like It Hot
A regular title on lists of the greatest Hollywood comedies, Some Like It Hot was released in 1959 and marked a peak in a hot streak for director Billy Wilder, ...

ヴィクトリア・アンド・アルヴァート美術館はオリー・ケリーがマリリンにデザインした衣装の一部を保存しています。下のカードからご覧ください。

Some Like it Hot | Orry-Kelly | V&A Search the Collections
Costume worn by Marilyn Monroe as the character Sugar "Kane" Kowalczyk in Some Like it Hot, designed by Orry-Kelly, 1959. Museum Number S.1647-2015.

人気の意味

名声が確立し、女優として成熟の度が増すにつれマリリンには昔から抱いていた劣等感も増していきました。撮影を恐れるあまり遅刻が酷くなり、精神状態は不安定になっていました。自信を付けるためにアクターズ・スタディオに通学するも、撮影中のトラブルは絶えませんでした。

男性にも人気

それでも、天性の人の良さや優しさがスクリーンに滲みでて、多くの男性ファンは彼女に夢中になっていました。そして彼らは《自分こそ彼女の求める男性のすべてだ》と思い込みました。映画制作会社はその錯覚妄想を十分に利用しました。

マリリンはバスト・ラインを崩さないために寝る時にブラジャーを付けていましたが、冴えない世界中の男性観客の錯覚妄想を維持させるために《寝る時に身につけるのはシャネルの5番だけ》と言い続けました。後日マリリンは映画会社について次のように皮肉を込めて愚痴ったことがあります。《1回のキスに何万ドルも払う癖に人の命には1セントすら払わない》と。現代社会の本質を少しの色気と経済学から述べた名言です。

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女性にも人気

そんな男性に媚を売ったりセックスアピールで迫ったりするマリリン・モンローに対し同時代の女性たちはあまり反発しませんでした。これは彼女が単にセックス・アッピールだけが売り物の女優でなかったことを証明していると私は思います。映画評論家筋でも淀川長治の師匠である南部圭之助は《アホを演じるにはそれなりの知恵が必要》と彼女を褒めています。

スキャンダル

マリリン・モンローのゴシップ・スキャンダルの類は多いです。

故ケネディ大統領やイヴ・モンタンらとの関係は有名です。ドアティと離婚後にマリリンは2回結婚しました。

1954年に結婚して離婚した野球選手ジョディ・マジオ、1956年6月に結婚して1961年1月21日に離婚した劇作家アーサー・ミラーが相手です。

死亡

大女優としてハリウッドの頂点に立ち、女としての魅力が頂点に達していたであろう1962年8月4日、ロサンゼルスの自宅で死亡。一応、死因は生理痛と不眠症からくる鎮静剤と睡眠薬の大量摂取によるものとされていますが、今日でも死因は論議の的です。

当初警察は自殺説をとりながら関係者を考慮して事故死と発表。このときの警察の態度が曖昧だったのでCIA謀殺説を含む怪情報まで飛び交いました。

彼女の存在は大きく、似たタイプはいても彼女の存在感を超える女優は世界中の映画界で出現していないとよくいわれます。

私の印象

世界中の冴えない男性観客たちに対して、マリリン・モンローは世界最大の慰安婦として対置したのだと痛々しく感じます。同時代に自分の声がレコードの形で大量生産される点を風刺した音楽フランス・ギャルの「夢みるシャンソン人形」を重ねてしまいます。

マリリン・モンローに出会えるアトラクションはユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ、ユニバ)です。男性だけでなく女性も子供もたくさんツーショット写真を写しています。マリリンがセックス・アピールに留まらない笑顔の優しさやXライン体型の安定感(ケツのデカさ?)ほか、色んな魅力が充満しているからに違いありません。

マリリン・モンローの画像は公式インスタグラムがあるので、そちらでご堪能下さい。

Marilyn Monroe (@marilynmonroe) • Instagram photos and videos
1.4m Followers, 22 Following, 493 Posts - See Instagram photos and videos from Marilyn Monroe (@marilynmonroe)

授業で言及するマリリン・モンローの文脈

Xラインの典型

私は同志社大学をはじめとするいくつかの大学で、経済史や社会史関係の説明にマリリン・モンローに少し言及しています。それは彼女の容姿や衣装がXラインの典型だという点です。つまり胸部と臀部を膨らませ腰部を凹ませるラインです。

このラインが世界中で女性の理想的な容姿だと思われるようになったのは1930年代です。1911年に開発されたブラジャーが立体的になった時期とパラレルに進行します。この点の詳細は「女性美基準の変化」をご参照ください。

南部圭之助は映画史における女性美基準の変化を次のように述べています。貴重な証言です。

アメリカ人はディートリッヒの百万ドルの脚からベティ・グレイブルまで、脚にセックスの焦点をおいていたのだが、それがジェーン・ラッセルから乳線(バスト)に変ったのだろう。「プレイボーイ」誌を見ても、大体セクシーの焦点は毎号、20才前後の娘たちの化物のような、巨大なお乳におかれている。

南部圭之助『アメリカ映画女優史』楽天社、1967年、214頁)

この転換をバストに向かって一気に推し進めたのがマリリン・モンローのポジションでした。

映画「七年目の浮気」のホールター・ネックのドレス

Xライン全体を示す象徴的な画像は意外に少ないのですが、雑誌「エル」の公式サイトに分かりやすい画像が示されているので、引用します。

映画「七年目の浮気」(米国、1955年)でのマリリン・モンローのセット写真。

映画「七年目の浮気」(米国、1955年)でのマリリン・モンローのセット写真。 ©2019 Hearst UK is the trading name of the National Magazine Company Ltd via 16 Beautiful Photos Of Marilyn Monroe

このホールター・ネックのドレスはウィリアム・トラヴィーラの作品です。ウエストが絞られバストとヒップが膨らんでいます。ヒップの張りを強調するために何と股間上部にギャザーを採っているのが斬新です。ウエストからバストにかけてダーツがあってよさそうですが、この画像では確認できません。かなりカーブの強い裁断をしているのかと思います。

ファッション史ではブリュノ・ドゥ・ロゼルの「20世紀モード史」のようにマリリンは取り上げられませんが、映画衣装史ではXラインを象徴する人物として必ず言及されます。

関連リンク

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