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グレタ・ガルボ : Greta Garbo 黄金時代の名女優

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グレタ・ガルボ

グレタ・ガルボ Greta Garbo (1905-1990) は、スウェーデンのストックホルム生まれの映画女優です。ハリウッドではMGM社の代表的な女優となり、ギルバート・エイドリアンが多くの衣装デザインを担当しました。私には、後のカトリーヌ・ドヌーヴ、林青霞、岩下志麻に繋がります。かつて、ロラン・バルトはグレタ・ガルボの顔を観念と称しました

ジョージ・フィッツモーリス監督「マタ・ハリ」用にギルバート・エイドリアンはグレタ・ガルボに衣装をデザインした。

ジョージ・フィッツモーリス監督「マタ・ハリ」用にギルバート・エイドリアンはグレタ・ガルボに衣装をデザインした。”Gilbert Adrian costume for Greta Garbo in Mata Hari directed by George Fitzmaurice 1931. Photo by Clarence Sinclair Bull” via Gilbert Adrian : Fashion, History | The Red List

初期の職歴

ガルボの母アンナは裁縫の内職をしていました。グレタ・ガルボは10代半ばに理髪店の見習いとなり、後に百貨店に勤務し、帽子販売店に配属されました。

帽子店のカタログ作成のためにモデルになったところ、色んな帽子が似合うと評価され、百貨店の女性用装身具の専属モデルへ転身し、短い宣伝映像にも出演しました。この宣伝映画を見たスウェーデンのペチュレル監督がガルボを「放浪者ペッテル」Luffar-Petter, 1922 に起用しました。

グレタ・ガルボ 『放浪者ペッテル』

グレタ・ガルボ 『放浪者ペッテル』 Luffar-Petter, 1922 via LUFFAR-PETTER

ストックホルムでの技術習得

これを機にガルボはスウェーデンのストックホルムにある王立劇場 The Royal Dramatic Theatre の付属学校 Dramatens elevskola に通い演技を本格的に学んでいきます。そして小さな役でも舞台に立つようになりました。

スウェーデン映画の巨匠マウリツ・スティルレル監督が「イエスタ・ベルリングの伝説」Gosta Berlings saga を映画化する際に、第2主役を演じる若手女優を同校の生徒から探した結果、ガルボが選ばれました。スティルレルは手取り足取りガルボに演技を教え込みました。

マウリツ・スティルレル イエスタ・ベルリングの伝説 グレタ・ガルボ 1924年

マウリツ・スティルレル監督「イエスタ・ベルリングの伝説」グレタ・ガルボ出演、1924年。via The Atonement of Gosta Berling [Gosta Berlings Saga] (1924) – Toronto Film Society – Toronto Film Society

この映画は4時間の大作となり、スウェーデン以外の国でも話題になり、二人はドイツの映画会社と契約を結ぼうとしますが、その会社が破産したために話は流れました。しかし、ガルボに声がかかり、ゲオルク・ヴィルヘルム・パープスト監督の「喜びなき街」Die freudlose Gasse で大役を得ました。

ガルボは「喜びなき街」に出演した後、アメリカへ渡りました。パープスト監督はガルボを起用できなくなり、代わりにアメリカの女優をドイツへ呼んで契約しました。俳優たちのアメリカ移住が多い中、当時としては珍しいケースです。その女優はカンザス州出身のルイス・ブルックス Louise Brooks でした。

ハリウッドでのデヴュー

1920年代の女性美は flat boy-like つまり男性風平坦にあり、またギャルソンヌ・ルックが流行した時代でした。1910年代にブラジャーこそ開発されたものの、女性美の基準はまだ乳房や乳腺ではなく、脚にありました。(「ヨーロッパの女性美基準の変化 : 20世紀初頭まで」の「女性美基準の変化」参照)

1925年、MGM社の責任者ルイス・メイヤーがスティレルと契約する際、スティレルはガルボとも一緒に契約するよう要求しました。メイヤーはしぶしぶガルボと契約を交わします。彼はガルボのように脚の太い女性はアメリカでは人気が出ないと考えていましたが、契約を交わした以上、美容術の限りを尽くしてガルボを磨き上げたといわれます。

メイヤーが仕方なしにガルボと契約したという説には異論があり、海野弘によると、MGMはむしろガルボを欲しくて仕方なしにスティレルと契約を交わしたと見ています(海野弘『モダンガールの肖像―1920年代を彩った女たち―』文化出版局、1985年 →amazonへ)。

グレタ・ガルボのハリウッド1作目『イバニエスの潮流』の公開スチール。

グレタ・ガルボのハリウッド1作目『イバニエスの潮流』の公開スチール。 via Greta Garbo, 1926 | Surface Noise™

MGM社と契約したガルボは渡米第1作としてモンタ・ベル監督「イバニエスの潮流」Torrent に出演しました。この映画の未編集段階の映像(ラッシュといいます)を見たMGM社のスタッフたちはガルボが名女優になると確信し、大々的に宣伝を行ないました。

この映画は1926年2月に公開され、グレタ・ガルボはハリウッドでの映画女優のデビューを果たしました。スティレル監督との作品以外は嫌だと言ったガルボをスティレルは説得し、ベル監督「イバニエスの潮流」がハリウッド・デビュー作となりました。

2作目「明眸罪あり」と3作目「肉体と悪魔」

2作目となる「明罪あり」The Temptress はスティルレル監督で撮影され始めましたが、MGM社の撮影所と折が合わず、撮影開始の10日後にフレッド・ニブロ監督と交代しました。その後、スティルレルはパラマウント社で数作の映画を撮りましたが評判を得られず、1927年にスウェーデンへ帰国し、翌年死去しました。この映画の原題は The Temptress で、誘惑者の女性名詞を意味します。新しい女優ガルボをMGM社が強く宣伝した意図がうかがえます。

第3作目は、その1927年1月に公開されたクレランス・ブラウン監督 Clarence Brown の「肉体と悪魔」Flesh and the Devil です。これはドイツの作家ヘルマン・ズーダーマン Hermann Sudermann の小説を映画化したものです。

この映画がガルボを大スターの地位に決定づけました。相手役はMGM社最高の人気俳優であったジョン・ギルバート John Gilbert です。この作品以降、クレランス・ブラウン監督、ジョン・ギルバート、グレタ・ガルボの組み合わせがが彼女の出演映画の王道となっていきました。この組み合わせの第2段が1928年の『恋多き女』で、ガルボ自身の第7作目の映画です。原作はイギリスの作家マイクル・アーレンの『グリーン・ハット』。

グレタ・ガルボ出演、クレランス・ブラウン監督 Clarence Brown の『肉体と悪魔』1927年。

グレタ・ガルボ出演、クレランス・ブラウン監督 Clarence Brown の『肉体と悪魔』1927年。 Flesh and the Devil via Highlights from the 20th San Francisco Silent Film Festival | Film International

サイレント映画からトーキー映画へ

その頃、ハリウッドの映画界は無声映画(サイレント)から発声映画(トーキー映画)に移りました。この移行は映画俳優や映画会社にとって強烈な試練を与えました。有声映画では当然ながら俳優の声にも注目が集まるからです。

ガルボの英語は上手でなく、トーキーへの転換も遅い方だったので、彼女のスウェーデン訛の英語が観客たちに嫌われるのではないかと心配されました。しかし、MGM社は “Garbo talks!” という宣伝文句で大々的に4作目『アンナ・クリスティ』Anna Christie を宣伝をし、ガルボのハスキーな声を観客に聴かせ、逆に人気が高まりました。

『アンナ・クリスティ』Anna Christie の宣伝ポスター。

『アンナ・クリスティ』Anna Christie の宣伝ポスター。A Metro-Golodyn-Mayer All Talking Picture というフレーズがトーキー映画の到来を強く物語っています。 via Anna Christie (1930) | The Hollywood Revue

その後、ガルボは『スザン・レノックス』 Susan Lenox (Her Fall and Rise)マタ・ハリ』 Mata Hari 『お気に召すまま』 As You Desire Me 『クリスチナ女王』 Queen Christina 『椿姫』 Camille 『征服』 Conquest 『ニノチカ』 Ninotchka など約20本の映画に出演しました。

ハリウッド期ガルボ映画の衣装評価

ルーベン・マムーリアン監督の『クリスティナ女王』(1934)は W・S・ヴァン・ダイク監督『マリー・アントアネットの生涯』 Marie Antoinette (1938) とともに1930年代に注目された時代映画の一つです。いずれもギルバート・エイドリアンが衣装を担当しました。前者はガルボの存在を際立たせたましたが、既に20世紀に過去を再現することは難しく、17世紀中期のスウェーデンに生命を吹き込むことは出来ていません。

賛否両論に分かれますが、衣装面で高く評価されるのは『マタ・ハリ』と『クリスティナ女王』『椿姫』です。

マタ・ハリ』はビザンチン・ムード溢れる豪華なコスチュームで、ビーズとバグルで作られたキャップ、念入りに刺繍されたジャケット、それらに身体にフィットした光る素材のパンツが組み合わされました。大柄なガルボをエイドリアンが上手くサポートした印象を受けます。

マタ・ハリ、グレタ・ガルボ出演、ジョージ・フィッツモーリス監督、1931年。Greta Garbo, in Mata Hari, directed by George Fitzmaurice, 1931.

マタ・ハリ、グレタ・ガルボ出演、ジョージ・フィッツモーリス監督、1931年。Greta Garbo, in Mata Hari, directed by George Fitzmaurice, 1931. via Mata Hari: Muses, It Women | The Red List

靴デザイナーのフェラガモの自伝によるとガルボの足のサイズは7AA。マレーネ・ディートリヒは5B、ヴィヴィアン・リーは5.5Bだったといいますから、幅はともかく足長は半端無く長いです。

『クリスチナ女王』は普段着で女性らしさが乏しくなるガルボをそのまま映し出した作品です。実在のスウェーデン女王クリスティナ自身が男性衣装を好んで身に着けていたので、この映画でガルボはほとんど男装をしています。

男装のクリスチナ女王。グレタ・ガルボ出演、ルーベン・マムーリアン監督、ギルバート・エイドリアン衣装

男装のクリスチナ女王。グレタ・ガルボ出演、ルーベン・マムーリアン監督、ギルバート・エイドリアン衣装 via Queen Christina – Greta Garbo – the Ultimate Star

『椿姫』でエイドリアンはガルボに純情と愛らしさを演出しました。他の出演者に比して、ガルボの衣装は装飾も含めておとなしい抑えたものにし、かえってガルボのもつ品格を押しだしました。特に、パーティー場面で銀の星をちりばめた純白の絹製ドレスは印象的です。

ガルボの伝記を書いたアレキサンダー・ウォーカーは《恋する知性的女》を演じられる珍しい女優に、グリア・ガースン Greer Garson,CBE、キャサリン・ヘプバーン Katharine Hepburn、シリア・ジョンソン Celia Johnson を挙げていますが、この「椿姫」をもってガルボもまた恋する知性的女性を演じることを証明したと明記しました(アレキサンダー・ウォーカー『ガルボ』海野弘訳、リブロポート、156頁 →amazonへ)。

グレタ・ガルボ出演、ジョージ・キューカー監督、ギルバート・エイドリアン衣装「椿姫」(1936年)の宣伝用ポストカード。

グレタ・ガルボ出演、ジョージ・キューカー監督、ギルバート・エイドリアン衣装「椿姫」(1936年)の宣伝用ポストカード。 via bull clarence sinclair 113 1936 greta garbo camille | Piano Necktie

ガルボ出演の映画のうち、興行面でヒットしたのが『グランド・ホテル』 Grand Hotel (1932) です。この映画はベルリンを舞台にしたヴィッキ・バウム Vicki Baum の大衆小説を原作にしたものです。 グレタ・ガルボをはじめ、ジョン・バリモア John Barrymore 、ジョーン・クロフォード Joan Crawford 、ウォーレス・ビアリー Wallace Beery 、ライオネル・バリモア Lionel Barrymore ら大スターが出演し、アカデミー作品賞を受賞しました。

グレタ・ガルボ出演、エドマンド・グールディング監督、ウィリアム・ダニエルズ撮影、ギルバート・エイドリアン衣装、セシル・ホーランド化粧『グランド・ホテル』 Grand Hotel (1932)

グレタ・ガルボ出演、エドマンド・グールディング監督、ウィリアム・ダニエルズ撮影、ギルバート・エイドリアン衣装、セシル・ホーランド化粧『グランド・ホテル』 Grand Hotel (1932) via Grand Hotel

この映画でガルボは老化したバレリーナを演じ「私は一人になりたい」という台詞を述べますが、これはガルボの映画界での気持ち、あるいは映画界からの引退を示唆するものと深読みすることもできます。

ガルボの引退と孤独の真相

グレタ・ガルボは36歳の1941年、『奥様は顔が二つ』Two-Faced Woman という映画を最後に引退します。グレタ・ガルボが引退した時、MGM社で彼女の全衣装を担当してきたギルバート・エイドリアンは「グラマーは終わった」と語って、自分も MGM を去りました。女優復帰の噂は何度もありましたが、遂に映画界へ戻ってくることはありませんでした。

また、女優生活を続けている間も引退後も恋の噂が何度か囁かれましたが、実際はほとんどの人と関わりを持たず、静かに暮らし続けました。他方で、最近スウェーデンで公開されたガルボの私信類によると、ストックホルム王立劇場付属学校時代に惚れた女優ミミ・ポーラーク Mimi Pollak を愛し続けた結果だったとも指摘されます(Lonely Garbo’s love secret is exposed | World news | The Guardian)。

次の写真は「ライフ」誌1955年1月10日号の表紙です。

グレタ・ガルボの肖像写真。エドワード・スタイケン撮影。

グレタ・ガルボの肖像写真。エドワード・スタイケン撮影。Portrait of Greta Garbo by Edward Steichen on the cover of LIFE Magazine, January 10, 1955. LIFE Magazine via >Greta Garbo: Portrait of a Legend Who Turned Her Back on Fame | Time

1928年にエドワード・スタイケンが撮影したグレタ・ガルボの肖像写真です。元々は「ヴァニティ・フェア」誌 Vanity Fair で1929年に公開された写真です。転載元の「タイムズ」誌でベン・コスグローブが語るように、ガルボの視線は直感的であると同時に読解不能でもあるため、彼女が映画の観客たちに喧嘩を売っているのか誘惑しているのかが分かりません(Greta Garbo: Portrait of a Legend Who Turned Her Back on Fame | Time)。

同じ写真ですが、次の写真はさらにガルボの視線の難しさを示しています。彼女の額の輝きと視線や唇の潤いは、必ずしも誘惑を語っているわけではありません。

グレタ・ガルボの視線。

グレタ・ガルボの視線。via Greta Garbo by Edward Steichen

相手の目を見つめる人間の視線には2種類あって、1つ目のタイプは心を自分の下に置く人たち、2つ目のタイプは心を相手の目の向こう側にまで飛ばす人たち。ガルボの視線はもちろん後者です。ガルボの視線が私たちに刺さるのではなく、ガルボの視線に私たちが刺さりに行くという喩が相応しいように私は思います。

とにかく、このような視線にも関わり、引退後のガルボは孤独で寂しい女性、あるいは謎の女性として認識されてきました。「私は一人になりたい」というガルボの言葉が独り歩きし、他方、本当の映画マニアは永遠のスクリーン・アイコンとしてガルボを語る時、キャサリン・ヘプバーン Katharine Hepburn やベティ・デイヴィス Bette Davis と同格の人物として見なします(Greta Garbo: Portrait of a Legend Who Turned Her Back on Fame | Time)。

グレタ・ガルボ : ファッションと印象

グレタ・ガルボの数少ない友人の一人がギルバート・エイドリアンでした。また、セシル・ビートンも彼女の友人でしたが、グレタ・ガルボの衣装を担当したことが無いことを唯一後悔していると回想しました。ギルバート・エイドリアンのグレタ・ガルボに対する衣装協力は際立った対照性を持っています。

スーツ、ギルバート・エイドリアン、1948年、ウール・シルク製。

スーツ、ギルバート・エイドリアン、1948年、ウール・シルク製。Suit, Gilbert Adrian, 1948, wool & silk. 彼の縞柄(ストライプ)の技術は定評が高く、縞模様の織物から縞模様のパーツにいたるまで観客の目を惹きました。グレタ・ガルボ出演の映画『船出の朝』 The Single Standard, 1929 (ジョン・S・ロバートソン監督)には特にそれが上手に映されています。ガルボはストライプのアンサンブルを着て、縞模様のドアを通り抜けて寝室に入ります。さらに彼女は寝室を横切り、雨が降り注いで波打った縞模様の窓に立ちます。 via Gilbert Adrian | Suit | American | The Met

エイドリアンは1928年にMGM社へ入社。ガルボ以外にもジョーン・クロフォードやジーン・ハーローたち1930年代ハリウッドを代表する女優たちの衣装を多数デザインしました。ガルボの衣装は在り来たりでは無く、多くの観客に際立った影響を与えました。たとえば、縁辺の垂れた帽子を被ってトレンチコートの衿を立てて雨中を歩く姿です。人嫌いで有名なガルボには強烈な孤独と個性を沈殿させるような衣装が似合います。

出演映画と衣装デザイナー

グレタ・ガルボが出演した映画の衣装デザイナーは誰であったのかを以下にまとめます。

公開年 題名 邦題 デザイナー
1920 Mr. and Mrs. Stockholm Go Shopping
1921 The Gay Cavalier (TV)
1921 Our Daily Bread
1922 Peter the Tramp (Luffar-Petter)  放浪者ペッテル
1924 The Saga of Gosta Berling (Gösta Berlings saga) イエスタ・ベルリングの伝説 Ingrid Günther
1925 The Joyless Street  喜びなき街
1926 Torrent  イバニエスの激流 アンドレ・アニ : André-Ani/マックス・リー : Max Rée/Maude Marsh/Kathleen Kay
1926 The Temptress  明眸罪あり アンドレ・アニ : André-Ani、マックス・リー : Max Rée
1926 Flesh and the Devil  肉体と悪魔 アンドレ・アニ : André-Ani
1927 Love  アンナ・カレニナ Gilbert Clark
1928 The Divine Woman
1928 The Mysterious Lady  女の秘密
1928 A Woman of Affairs  恋多き女 ギルバート・エイドリアン : Gilbert Adrian
1929 Wild Orchids  野生の蘭
1929 A Man’s Man
1929 The Single Standard  船出の朝
1929 The Kiss  接吻
1930 Anna Christie  アンナ・クリスティ
1930 Romance  ロマンス
1930 Anna Christie (in Germany)  アンナ・クリスティ
1931 Inspiration  インスピレーション
1931 Susan Lenox (Her Fall and Rise)  スザン・レノックス
1931 Mata Hari  マタ・ハリ
1932 Grand Hotel  グランド・ホテル
1932 As You Desire Me  お気に召す儘
1933 Queen Christina  クリスチナ女王
1934 The Painted Veil  彩られし女性
1935 Anna Karenina  アンナ・カレニナ
1936 Camille  椿姫
1937 Conquest  征服
1939 Ninotchka  ニノチカ
1941 Two-Faced Woman  奥様は顔が二つ

関連リンク

  • Startsida – Dramaten : グレタ・ガルボの学んだ王立ドラマ劇場(The Royal Dramatic Theatre)の公式サイト。ガルボ以外にも、映画監督のイングマール・ベルイマン Ingmar Bergman や映画女優のイングリッド・バーグマン Ingrid Bergman らを輩出しました。
  • Greta Garbo | Biography & Photos | Britannica.com : Encyclopædia Britannica, Inc. によるグレタ・ガルボの伝記ページ。外在的な観点から簡潔にまとめている。
  • Lonely Garbo’s love secret is exposed | World news | The Guardian : 1990年のグレタ・ガルボ没後に新たに知られたエピソードや私信をもとに、彼女の印象を再検討したページ。神話化された面が多いガルボの人間らしさがにじみ出ています。
  • GarboForever.com – The Legend lives on : Torsten, John, Anna Maria, Nici によって運営されるグレタ・ガルボ称賛サイト。フォーラム、アーカイブ、ニュース、伝記、出演記録、トリヴィア、ギャラリー、メディア、リンク、ゲストブックから成る。伝記 Biography と出演記録 Filmography がかなり詳しい。