トラヴィス・バントン : Travis Banton

トラヴィス・バントン Travis Banton は、アメリカのテキサス州ウェーコに生まれたファッション・デザイナーです。彼はパラマウント映画社の名優たちの衣服設計師として、1930年代の栄華と洗練のスタジオ全盛期を謳歌しました。在職中(1924-38年)、ケイ・フランシス(Kay Francis)、キャロル・ロンバード(Carole Lombard)、メエ・ウェスト (Mae West)、そしてマレーネ・ディートリヒ (Marlene Dietrich) のような大スターたちへ盛大に衣装を提供しました。他方で、スーツのデザインにも長けていました。

一例に、トラヴィス・バントンとキャロル・ロンバードのツーショット写真を挙げておきます。

アメリカのコメディ女優 キャロル・ロンバード (1908-1942)とトラヴィス・バントン。パラマウント映画社の「ルンバ」撮影中。

トラヴィス・バントン の経歴とニューヨークでの仕事

トラヴィス・バントンはコロンビア大学卒業後に、New York School of Fine and Applied Art (現パーソンズ美術大学/Parsons School of Design) の The Art Students League of New York ( to Official Page) でも教育を受けました。

Art Students League の学生だった時、トラヴィス・バントンは女優 ノーマ・タルマッジ (Norma Talmadge) と出会っていました。彼女は映画 Poppy 制作のためにニューヨークに滞在していたのです。彼女はトラヴィス・バントンに依頼し、この映画用の衣装をデザインしてもらいたかったのですが、映画女優 Alice Joyce の映画を除いて、トラヴィス・バントンは当時それらの仕事を行なわず、彼が映画衣装のデザインを行なったのは7年後のことでした。

トラヴィス・バントンがニューヨークで最初に仕事をした職場は、Madame Frances の仕立店 (dressmaker) で、1916年から19年まで働きました。そこでは メアリー・ピックフォード (Mary Pickford) が彼のデザイン類の一つをウェディング・ドレスに選び、彼女は ダグラス・フェアバンクス (Douglas Fairbanks) と結婚しました。

1920年頃の写真。アメリカの映画女優 メアリー・ピックフォード (1893-1979)。ウェディング・ドレスを晴れやかに着ている。

トラヴィス・バントン のハリウッドへの進出 : パラマウント映画社へ

1924年、パラマウント映画社のウェスト・コースト・スタジオ (West Coast Studio) から依頼があり、トラヴィス・バントンはハリウッドへ行きました。彼のキャリアは リートライス・ジョイ (Leatrice Joy) 主演の映画「The Dressmaker from Paris」(パリから来たドレスメイカー) に始まります。彼以外には考えられなかったと言われています。この映画では、数十セットもの衣類・雑貨が俳優やファッション・ショーに必要とされ、自然に、映画ファン向けの雑誌に大量の宣伝が行なわれました。

映画スタジオの刊行物は、「彼らの新米デザイナーはパリ出身だが、悩む必要は彼らに無い。ここ数年以内に、トラヴィス・バントンのデザインは、どんなフランス人のドレス・デザイナーよりも膨大な支持者を集める」と断言しました。トラヴィス・バントンが贅沢な映画衣装を1920年代に創作した相手女優は、フローレンス・ビダー (Florence Vidor), ビーブ・ダニエルズ (Bebe Daniels), ポーラ・ネグリ (Pola Negri), クララ・ボウ (Clara Bow), イブリン・ブレント (Evelyn Brent) たちでした。しかし、1930年代こそが、トラヴィス・バントンが自分のピークを迎える時期でした。

ドイツ生まれのアメリカの映画女優であり、キャバレー・スターでもあるマレーネ・ディートリヒ (1904-1992)。映画「西班牙狂想曲」The Devil Is a Woman での衣装。設計は トラヴィス・バントン。

トラヴィス・バントン の全盛期 : 1930年代

この間、パラマウント映画社は世界中で最も美しく上品な女優たちと契約中でした。キャロル・ロンバード, マレーネ・ディートリヒ, ケイ・フランシス, リルヤン・タッシュマン (Lilyan Tashman), クローデット・コルベール (Claudette Colbert), シルヴィア・シドニー (Sylvia Sidney), ゲイル・パトリック (Gail Patrick), ヘレン・ヴィンソン (Helen Vinson) たちです。

トラヴィス・バントン とマレーネ・ディートリヒが衣装スケッチを検討している。
トラヴィス・バントンとマレーネ・ディートリヒが衣装スケッチを検討している。Travis Banton and Marlene Dietrich reviewing a costume sketch via >MARLENE DIETRICH & TRAVIS BANTON – Silver Screen Modes by Christian Esquevin

トラヴィス・バントンと仕事をともにした女優たちの多くは、出演映画用に彼がデザインした服を他の映画会社のスタジオにも貸し出すよう、お願いしました。たとえば、キャロル・ロンバードの衣装は、「襤褸と宝石」 (My Man Godfrey), 「Love Before Breakfast」 (以上、ユニヴァーサル社), 「無責任時代」 (Nothing Sacred) (デヴィッド・セルズニック・プロダクション社), 「Fools for Scandals」 (ワーナー社), 等の映画作品は全て、トラヴィス・バントンによって衣装デザインされたものです。

 この写真はクローデット・コルベールという女優です。セシル・B・デミル監督の映画『クレオパトラ』用にトラヴィス・バントンがデザインした輝度のあるガウンを来てポーズを取っているところです。

1932年、メエ・ウェストが映画「Night after Night」と「わたしは別よ」 (She Done Him Wrong) のためにハリウッドへやって来ました。彼女は、戯曲「Diamond Lil」 (「わたしは別よ」はこの戯曲のリメイク) で舞台成功をおさめた脚本家です。トラヴィス・バントンの伯父である ジョアブ・バントン (Joab Banton) はニューヨーク州検察官をしており、メイ・ウェストの演劇「セックス」の出演者たちを起訴していました。若者を腐敗させる作品だという理由です。この演劇は2年間も上演されたといわれています。それはさておき、ウェスト女史はこの事件全体を見事に忘れていて、は「わたしは別よ」用の新しいスタイルを複数考案しました。また、ドロシー・ツリー (Dorothy Tree) は独自のブロードウェイ作品を仕上げ、自分のデザインをリリアン・ラッセル (Lillian Russell) やジョン・ジェイコブ・アスター夫人 (Mrs John Jacob Astor) に縫製してもらっていました。演劇女優がパラマウント映画に招聘されて映画女優となった時代でもあります。

パラマウント映画社で仕事をした14年間の後、トラヴィス・バントン は自分の店舗を開店するために退社しました。しかし直ぐに映画界へ戻り、1939年から41年までフォックス社で働き、ユニヴァーサル・スタジオ社では1945年から48年まで主任スタイリストとして勤めました。1958年、永眠。

関連リンク : トラヴィス・バントン


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[投稿日]2017/05/12
[更新日]2017/05/15