このページでは、中華民国期(以下、民国期)に生じた旗袍の洋服化を述べています。
とくに、旗袍(チーパオ)が導入した洋裁技術内容について、スリム化およびボディ・コンシャス化の観点からまとめています。
スリム化およびボディ・コンシャス化とその前提条件
清朝期旗袍にみられた防寒用綿入の習慣が民国期に消滅したことはスリム化とボディ・コンシャス化の大きな前提条件となっています。和服も同様です(大丸弘「現代和服の変貌」789~790頁)。
その上で、先行研究の共通認識として、旗袍のスリム化とボディ・コンシャス化が民国期に生じました。

白地に緑色縁のHラインの連袖旗袍(上海市歴史博物館所蔵)。 via 海派旗袍展-雲南省博物館 | atelier leilei
この写真は海派旗袍の一例です。
海派は京派旗袍に比べて先進的(西洋的)と言われますが、この作品はゆったりしています。
生地の厚みは清朝期よりも随分薄くなりましたが、まだまだスリムにはなっていません。1920年代の作品でしょうか…。
スリム化とボディ・コンシャス化の完成時期
旗袍のスリム化とボディ・コンシャス化の時期について、先行研究をまとめます。
- この時期を最も早くに設定しているのが中国近代紡織史編委会編〔1996年〕で、1920年代末と述べています。同〔1997年〕はそれを受けた説明で、西洋裁縫技術導入後の旗袍を説明しています。
- 呉昊〔2006〕は衣服全体が曲線的になった時期を1930年代中頃と指摘しています。この時期は冷芸〔2005〕と長崎歴史文化博物館編〔2011〕にみる製図・裁断・縫製技術の浸透段階です。
- 羅麥瑞主編〔2013〕、俞躍〔2014〕は時期をもう少しずらし1930年代末期、1940年代としています。
いずれにせよ、1930年代から1940年代にいたる時期が西洋裁縫技術導入の最も激しかった時期だと規定できます。ダーツが一部に導入され始めます。
なお、この時期、西洋技術を用いた一つに針織旗袍(Knit Qipao)も作られました(羅麥瑞主編〔2013〕)。ただし普及はしていません。また、西洋裁縫技術の普及につれ京派と海派との区別が消滅していきます。
スリム化とボディ・コンシャス化に導入された西洋裁縫技術
これらの研究から、スリム化とボディ・コンシャス化に導入された西洋裁縫技術は以下にまとめられます。参考になるウェブページも併載します。
- 曲線裁断の導入…現代旗袍の裁断に曲線が入れられる概念図は「近現代旗袍の変貌」を参照。
- 接袖の導入…曲線裁断と同じくらいに現代旗袍でよく使われている技術です。数多くの事例をネットで探すことができます。連袖との違いに「近現代旗袍の変貌」をご覧ください。
- 肩縫線の導入…これは接袖に付随して行なわれる場合もあれば、行なわれない場合もあります。袖無しの例ですが、下に掲げた写真は肩縫が行なわれた旗袍です。
- ダーツの導入…必要や体型に応じて腰、胸、腋、背中に入れられる場合があります。一例に「(非売品・展示用)ジャカードコットンのチャイナドレス | atelier leilei」では胸部だけでも3本のダーツが用いられていることが分かります。
- 20~40か所にわたる採寸…20か所以上の採寸を経て制作された旗袍の実例は「50年代の旗袍が完成しました。 | atelier leilei」。
もちろん、これらの技術導入や変容を支えた起点は既述の綿入の消滅です。ちなみに、私自身は変容のパイピングの細化と刺繍の減少も挙げます。
接袖・ダーツの例

上海の貴婦人たちが着た旗袍の珍蔵コレクション(楊雪蘭)。A rare Appreciation of the Qipao worn by the Grande Dames of Shanghai, Ms Shirley Young(楊雪蘭), via 『上海名媛旗袍宝鉴』, 36頁。
この旗袍には脇ダーツと胸ダーツを確認できます。
いずれも乳房に向かっています。
連袖・肩縫線の例

旗袍の洋服化 旗袍の肩縫線 / 上海の貴婦人たちが着た旗袍の珍蔵コレクション(楊雪蘭)。A rare Appreciation of the Qipao worn by the Grande Dames of Shanghai, Ms Shirley Young(楊雪蘭), via 『上海名媛旗袍宝鉴』, 38頁。
これは黒色生地に花柄を白色に添えた平連袖(平肩連袖)・大襟の旗袍。
次いで、レトロなチューリップ柄の平連袖・八字襟の旗袍。

レトロチューリップのチャイナドレス via atelier leilei
バストダーツとウエストダーツがなく、体を締め付けないゆったりとした着心地になります。
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