ミシン戦争 : 1870年代米国のミシン開発競争

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ミシン戦争 : 1870年代米国のミシン開発競争

ミシン戦争 : 1870年,米国内のミシン製造会社は69社以上存在し,10年後には124社にまで増加した[1]。以下では,米国内で行なわれたミシン開発・販売競争を如実に示した風刺画を紹介する。これは「 ミシン戦争 」と題された,1874年出版の楽譜の表紙である[2]。ミシン生産で出遅れた感のあるレミントン&サンズ(以下,R&S社)社を筆頭に展開した,70年代の米国ミシン競争が描かれている。

ミシン戦争 1870年代米国 "The battle of the sewing machines"

ミシン戦争 1870年代米国 “The battle of the sewing machines” via Image 1 of The battle of the sewing machines | Library of CongressLibrary of Congressで大サイズで閲覧できます。

レミントン・アンド・サンズ社

R&S社は,40年代のメキシコ・アメリカ戦争以来,南北戦争,第一次・第二次世界大戦時にその時々の米国政府にライフルや自動小銃を納品してきた企業である。種々の武器だけでなく,一時期,タイプライターやミシンの生産も手がけた。ミシン生産に手を出したのは,1870年から1894年までのことで,同社製ミシンはタイプライターとともに76年のフィラデルフィア万博に出品された[3]

楽譜表紙のおよそ半分の広さで,ライフルを右肩に乗せたレミントン警備隊が縦二列横無数の隊列を組み,足踏式ミシンに乗って進軍している。顔が大きく描かれた社長と思われる人物が,警備隊の背後から大砲を打ち,手廻式ミシンが多く放たれている。

Let her rip!!!」(ほっておくしかない)に附された絵は,飼い主と思われる男性が手を離し,猟犬が尻尾に手廻式ミシンを結びつけたまま走り回っている。大砲から放たれた手廻式ミシンから逃げるために,首に手廻式ミシンを乗せた別の人間が「Seek-or of succor」(助けを求めてよ)の台詞とともに描かれ,男性飼い主に向かって,両手を前に出しながら走っている。

エリアス・ハウ社、ウィルコックス・アンド・ギブス社

HOWE slow we go on !!!」(どうしてこうも私たちは歩くのが遅いの)という文章は,特許争奪戦で大きく出遅れた亀がエリアス・ハウ(Elias Howe)にもじって描かれ,手廻式ミシンを背に乗せながら上記の独り言をいっている。この亀の絵は,シンガー社が1856年に家庭用ミシンとして設計した「タートルバック」(亀の背中)[4]をも想起させる。「This Animal kicks up at times」(この動物は時々蹴り上げます)と記された図では,足踏式ミシンの片足が暴れ,普段着のワンピース・ドレスを着た女性を川辺へと蹴飛ばしている。またビルを背中に乗せた孔雀(peacock)はウィルコックス(Willcox)社の比喩であろう。

シンガー社

一番右端には,川辺の対岸で母親が娘(少女)3名と一緒に楽譜を見ながら合唱している風景が描かれている。歌い手としてのシンガーである。「Family Singer On a foreign Shore」(外国の川辺の歌い手一家)と附されたこの図でも,女性4名の頭部は手廻式ミシンである。多国籍企業化において,工業用ミシンだけでなく家庭用ミシンの販促によっても,対岸(海外)の広域販路を確保したシンガー社の特徴が明瞭に描かれている。

脚注

[1] Bissell, Don(1999)p.88.

[2] R. Teller(1874).参照年月日は2008年3月2日。

[3] 以上,ウィキペディア英語版「E._Remington_and_Sons」。

[4] 以上,小原博(1991)「第4章 シンガー社の需要創造活動」を参照した。

※以上の文章は著書『ミシンと衣服の経済史』に収録した相当箇所の元原稿です。著書とは少々文章が変更しています。