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1960年代にファッションの軌道に乗った化学繊維

1960年代ファッション
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この記事では、化学繊維の広がりから、1960年代のファッションをまとめています。

衣料品に使われる化学繊維といえばナイロンやポリエステルを想像しますが、はたしてどのような繊維が登場するのでしょうか、そしてどんなファッション・デザイナーが登場するのでしょうか。

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1960年代にファッションの軌道に乗った化学繊維

繊維会社のファッション業界への進出とムーン・レース

繊維会社は、人工繊維が伝統的なクチュール部門に進出したことを喜びましたが、合成繊維とプラスチックをファッションの中心に押しあげた重要な国際競技はムーン・レース(月の開発競争)の形をとりました。

1950年に映画「月世界征服」が公開されました。これは、宇宙旅行の流行を反映した多くの空想物の最初のものです。この手の空想話は1968年にスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」で頂点に達しました。

宇宙技術は驚くほど魅力的で、とくに若い世代にとって刺激的でした。

最初の通信衛星であるテルスターは1962年に打ち上げられ、大西洋を越えてヨーロッパの家庭にもテレビ映像をもちこんだことで、大衆文化の始まりを告げました。

テレビという新しいスコープの最も強力な宣伝力は、ロケットの打ち上げと宇宙からの地球の景色との劇的な放送ですぐに威力を発揮しました。

ムーン・レースで変わったワードローブと繊維

宇宙ブームは1969年に月面着陸で頂点に達し、歴史の技術的挑戦として認められました。

月面着陸のニュースは世界の5分の1の人間が47か国のライブで見ました。

デュポン社は、21層のアポロ・ムーンスーツに使われている素材のうち20層を、この着陸に協力しました。

これらの生地は、もともとは地上で使用するために開発されていて、ナイロン、ダクロン、ライクラ、ネオプレン、マイラー、テフロンなどを含んでいました。

旅行、映画、雑誌、テレビ、音楽が伝統的な社会構造に影響をあたえ、趣味に影響をあたえ、繊細なカクテルドレスをはじめ、ボリュームたっぷりのガウン、コルセット、スティレット・ヒールがファッション界に登場しました。

過激化した1960年代には、かつてのように贅沢が社会を突き動かしたワードローブは時代遅れとなりました。

銀河旅行に適した、シャープでスリムで機能的で幾何学的な形状が求められ、より適切なワードローブが注目されました。

NASAは一般的な名前になり、とくにファッションに影響を与える宇宙関連すべての中心舞台になりました。

宇宙開発競争は、ファッションに多くの可能性、新しい素材、新しいシルエットを提供し、とりわけ一貫性のある新しいスタイルの宇宙的な衣装が人気をよびました。

パリ・モードの破壊力とアンドレ・クレージュ

古いファッション界を駆逐したファッション・デザイナーはパリで活躍した3人、アンドレ・クレージュピエール・カルダンパコ・ラバンヌです。

彼らは現代的で宇宙的なな合成素材と未来的なフォルムを採用しました。

パリは、過酷な時代にファッションの魅力を新しく提起していきます。

そのきっかけは、1964年にアンドレ・クレージュが銀と白の伝説的なスペースエイジ・コレクションを立ち上げたことでした。

世界のメディアが注目したのは、クレージュのスペースカプセル・サロンや、彼のモデルの奇妙なロボット・ポーズなどです。

モデルたちはショートヘアで背が高く、フラット・ヒールのブーツを履いて、実験室の白いショールームで巨大な白い眼鏡を点滅させました。

このショーは、モダンの終りとポストモダンの始まりを示しています。

長年にわたり、クリストバル・バレンシアガのチーフ・カッターであったクレージュは、フォーマルな仕立技術を幾何学的なAライン、ミニスカート、解放的な服、そして彼の署名した白いゴーゴーブーツの制作に移植しました。

彼は宇宙時代のデザイナーと呼ばれるクチュリエのグループ・リーダーでした。

パリ・モードの破壊力とピエール・カルダン

未来に夢中だった1965年にエマニュエル・ウンガロは銀色を駆使したデザインをしました。

銀のかつら、銀底のブーツ、銀のボタン、襟、メッシュ・ストッキング…。ウンガロの作品には宇宙時代の狂気が散りばめられていました。

ピエール・カルダンも宇宙時代のデザイナーと見なされていました。

彼の作品を着るのが難しかったのですが、報道機関によって無限に撮影されて流布していきました。

マスコミは、1966年のカルダンの宇宙飛行士コレクションをきっかけにさらに興奮していました。1969年にニール・アームストロングが月面を歩いたとき、カルダンは呼吸を乱して興奮したといわれています。

カルダンは、エッジの強い彫刻の構造を好み、奇妙なプラスチックとビニールのアクセサリーなどからデザインをはじめました。

1968年に彼は独自の接着布「カルディーヌ」を開発しました。これは米国ユニオン・カーバイド社との共同開発でした。

この布を考案し、デザイナーと企業の関係について、いくつかのアイデアが米国デュポン社へ報告されたと思われます。

カルダンはユニオン・カーバイド社と協力して、20,000ドル以上のマニアックな素材を使ってファッション・ショーで2着を披露しました。舞台裏では高額な生地10枚を使ったといわれています。

カルダンのコレクションは、いつも他のクチュリエの中で最大の衣料品点数を使い(240着)、マスコミは高く評価してきました。未来に属する最良の方法は、利用可能な最も奇妙な未来的な服を着て、あたかもその服を着ているかのように見せることでした。

完全に新しい範疇のドレス素材、あらゆる合成繊維、プラスチック…。

宇宙空間での断熱用に開発された錫箔に似た銀仕上げの生地、ランディング・モジュールなどのような剛性および幾何学的結合のナイロン・ジャージー、ポリ塩化ビニール(PVC)…。

雑誌や新聞のファッション特集には、1960年代をつうじてカルダンの報道位置が固定されていて、銀色のプラスチック・コート、白色のプラスチックのゴーゴーブーツ、ルレックス・ストッキング(ラメ用の糸で作られたストッキング)、成形されたフォームをもつ宇宙飛行士風ヘルメット帽子など、言い出せばきりがありません。

ピエール・カルダンが特許を取得した繊維「カルディーン」を使ったドレス。1968年製でPVCのアクセサリーが付されている。

上の写真はピエール・カルダンが特許を取得した繊維「カルディーン」を使ったドレスです。

1968年製でPVCのアクセサリーが付されています。

パリ・モードの破壊力とパコ・ラバンヌ

縫製は時代遅れのボンデージに過ぎず将来にはすべての衣服が溶着されると、1960年代の偉大な未来派パコ・ラバンヌは宣言しました。

彼の宣言は、技術が提供する驚異の楽観的なビジョンに満ちています。

ラバンヌは、新しい素材を受け入れるだけでなく、リンクされたプラスチック・ディスクのシステムを考案することで未来的な衣服を作り上げました。

彼は伝統を捨ててファッションが進歩する唯一の方法は新しい異質材料を発見して使うことだと信じていました。エンジニアとして自分自身を定義することを好んでいました。

ラバンヌは、そのようなカラフルなロードイド・プラスチック、金属、アルミニウムなど、可能性の低い材料からミニドレスを作って有名になりました。

米国テキサスのデザイナー、ルーベン・トーレス

テキサスのデザイナー、ルーベン・トーレスは、おそらくパリで働いていたすべての宇宙時代デザイナーのなかで、最も未来にとりつかれました。あまり知られていませんが。

彼のユートピア的なコンセプトは、技術が大衆に高水準の衣服を提供することでクチュールのハンドメイド製品が時代遅れになるというものでした。

彼は≪明日の人のための服、今日着られる服≫をデザインしました。≪未来の労働者≫であろうと≪明日の都市人≫であろうと、トーレスのイメージする未来の男は機能的なストレッチ・ジャンプスーツに身を包むでしょう。

衣類革命に彼が影響された要因には繊維や製造業の発展があげられます。

彼は名言を残しています、「人間の未来は自分自身が発明するものに有って、自然が生み出すものにはほとんど存在しない」と。

希望に満ちた未来の繊維

大西洋を経たアメリカ合衆国で、デュポン社は「スパークリング」や「カントレス」など、いくつかの新しく開発されたナイロンの発売に追われていました。

デザイナーが自分の時代とよく調和している場合にありえることですが、似たようなシルエットとアイデアが同時に出現します。

ミニスカートの発売はアンドレ・クレージュマリー・クワントピエール・カルダンの功績によるものです。

それらを紹介した人は誰もがミニスカートはファッションに欠かせないものと紹介しました。

その影響から、無限の色とパターンが使われたタイツは、すべての化学繊維メーカーに大きな利益をもたらしました。

未来の繊維「キアナ」をめぐる取引の攻防

「キアナ」(Qiana)はファッション業界向けの新しいナイロン・ブランドでした。

これをデュポン社はパリのクチュール業界に売り込もうとしました。

新しいブランドのナイロンを発売する商業的緊張とマーケティングの仕組みのスナップ・ショットは、1968年にデュポン社向けに作成されたたレポートに保存されています。

新しいナイロンには、発掘された取引と拒否された取引の物語があります。

イヴ・サンローラン

まずに、キアナ繊維を使った織物工場、たとえば、アブラハム、ビアンチニ、ブコル、ナティエ、スタロンなどは、メジャー・デザイナー単位やマイナー・デザイナー単位で織物を使う正確な数を設定されました。

デュポン社は、クリスチャン・ディオールのマーク・ボアンがデザインした「キアナ」のウェディング・ドレスをすでにスポンサーしていました。それは4,437ドルの価値があり、ニューヨークのメトロポリタン美術館に贈られました。

ボアンは1960年にディオールのデザイナー兼アーティスティックディレクターとしてイヴ・サンローランをチーフとして引き抜きました。

1962年にサンローランが自身のブランドを設立しました。

メゾン・ディオールは、デュポン社が米国での2回のコレクションを経済的に支援すると主張しました。

当時のニューヨーク・コレクションの費用は15,000ドルから20,000ドルでした。

レポートから、ディオールの取締役は、デュポン社とサンローランとの間で既に金銭的取引が行なわれたと疑っていたことが明らかです。

レポートによると、ディオールに満足が与えられないかぎり、衣服、写真、広告、入場券などは交渉の古い状態に戻るだろうと記しています。

エマニュエル・ウンガロ

エマニュエル・ウンガロはデュポン社の繊維製品で大きな努力をしました。

10種類のキアナといくつかの「ダクロン」を使いまくり、彼はどのように働くか、どのように生地を選び、構想するか、そしてどのように自分の敷地内でそれらを衣服として見せるかについて、資金を提供することを望みました。

残念ながら、ウンガロの構想には20,000ドルから30,000ドルかかると見積もられました。それにもかかわらず、レポートはウンガロの提案を受け入れることを強く勧めています。

キアナの問題

すでにキアナは問題を起こしていました。

生地の融解や焦げを避けるために、鉄の温度を非常に低く保つ必要がありました。

キアナのウェディング・ドレスがモデルを「感電死させた」と言われたように、ピエール・バルマンのサロンでは激しい静電気が報告されました。

さらに、何人かの海外デザイナーの間で反乱がありました。

ジャン・パトゥは、デュポン社がクチュール業界をトロイの木馬として使っていて、新しい繊維を安価な方法で導入したがっていると非難しました。

しかし、1960年代初期に繊維戦争は加速し、ファッション業界のメジャー・デザイナーたちは、かなり命令権をもっていました。

一部のデザイナーたちは繊維製品を返品し、デュポン社が支払う準備ができていた金額よりも高い料金を要求しました。

フランスの「ヴォーグ」誌やイギリスの「ノヴァ」誌の紙面には、繊維会社によるデザイナーたちへの求愛を十分に記しています。

それらの記事は、合成繊維から天然繊維にいたる途方もない範囲にわたり、時には同じデザイナーが継続してプロモーションしています。日本のファッション雑誌で映画女優やドラマ女優たちが繊維製品の宣伝に出ていたのと対照的です。

1960年代ファッション
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いろんなファッション歴史の本を読んで何も学べなかった残念なファッション歴史家。パンチのあるファッションの世界史をまとめようと思いながら早20年。2018年問題で仕事が激減したいま、どなたでもモチベーションや頑張るきっかけをください。

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