岩下志麻さんの変貌:「きもの・ファッション」コーナー
このページでは「婦人画報」1971年1月号20~23頁に掲載された岩下志麻の衣装4点を紹介しています。
この4点は「きもの・ファッション」コーナーの一つに編まれたものです。
カメラは篠山紀信、前2頁のヘアと着つけは名和好子、後2頁のデザインは鈴木宏子。
リード文
しとやかなきもののひと
ファッショナブルなひと
ひとりの美しいひとの変貌の魅力
出典「婦人画報」1971年1月号20頁
リード文批評
1行目に「しとやかな」、2行目に「ファッショナブルな」、3行目に「美しい」として、ひらがなとカタカナと漢字を対照的に使っています。
「ファッショナブルな」は「新鮮な」くらいの意味ですが、カタカナにしないと「しとやかな」というひらがなが負けてしまいます。
結局は《変貌の魅力》という語句に集約されていく弱い形容詞として3点を理解できます。
リード文
岩下さんは、いかようにも変貌できる素地を持っています。一見かぼそく見えるけれど、けっしてやせてはいない。それ故、細い部分を強調することによってきゃしゃな女になりうるし、豊かな部分を強調することによって、はんなりしたお色気も出せる。顔も自由に絵の描ける顔、髪型も何でもこなせる。はっと息をのむほど硬質な冷たさも、匂うような女らしさも、どちらをも自らのものにできる。それがこの人の女優としての強みではないでしょうか。(名和好子)
出典「婦人画報」1971年1月号20頁
リード文批評
岩下志麻は多様な表情を見せることができます。
デザイナーの名和好子はその点を熟知していて、このようなリード文になっています。
私が感じる岩下志麻の女優としての良さは顔の骨格が立体的で丸いことです。ですから角度によっても表情や風貌が変わります。
名和が「顔も自由に絵の描ける」点を特徴に取りあげています。
立体的な頭部と顔のわりに顔のパーツはあっさりしているので、メイクアップによって変幻自在になるわけです。
1970年頃の週刊誌には《だんだんと加賀まり子に似てきた》といわれていますが、加賀の場合は頭部や顔の丸みと目の丸みが強調され、志麻ちゃんのような鼻と唇の引き締まりは加賀には弱いように思います。
つけさげ小紋:名和好子 ヘアと着つけ

「婦人画報」1971年1月号、40頁。
リード文
つけさげ小紋 : 光沢のある綸子のきものですから、おとなの女、という感じでやわらかく着つました。きめ手は襦袢の衿は深く合わせ、きものの衿は肩つきも抜き気味で、前で浅く合わせたこと。帯を低めに締めたのと相まって、肩から帯までの長さを感じさせ、品のよい色気が匂います。
出典「婦人画報」1971年1月号21頁
リード文批評
冒頭から分かりにくい文章になっています。「光沢のある綸子」地が大人の女性らしさを引き立たせるのか、あるいは「光沢のある綸子」地には柔らかい着付けをすることで大人の女性らしさになるのか。
襦袢の衿は深く、着物の衿は抜き気味(緩め)と対照的に気付けています。打合いは着物の襟に合わせて浅め。
男性目線でトータルに見ますと、帯から上の着物衿がゆったりして胸部を意識させる半面、襦袢衿はタイトですから胸部への視線が遮断されます。このアンバランスがおそらく胸部に視線が釘付けになる要素化と感じます。
着物衿の緩さが襦袢衿のタイトさで視線的に締められ、強面の志麻ちゃんのお顔へと昇華されていくステップで構成されています。また、膝下から脚を少し横に曲げているため、光沢の綸子がライトに照らされて鮮やかです。
このように見ると、つけさげ小紋は1960年代の女性美を十分に表現していることがわかります。つまり胸部への視線と脚部への視線です。その上で白ベースのメイク。この写真作品からは60年代ミニスカートの流行を確認できます。
訪問着:名和好子 ヘアと着つけ

「婦人画報」1971年1月号、41頁。
リード文
ヤングミセスの正装としてのういういしさをねらい、肩で着るという感じに衿合わせをたっぷり合わせ、帯も胸高です。
出典「婦人画報」1971年1月号21頁
リード文批評
1点目が「おとなの女」で、こちらは「ヤングミセス」を表現しています。1点目は小紋の衿を緩めにすることで、着物をどこで着るかという点からいえば帯つまり腹部で着ていました。こちらの2点目は肩で着るようにイメージさせています。
こちらは立った姿ですから着物を肩で着て外出することを想定しています。ですから帯を胸高にして衿元の緩みはありません。また、防寒用にミンク風のマフラーと財布や小物入れのハンドバッグを携行しています。もちろん、外出先でもこの写真のように着崩れのないまま過ごすことは不可能です。いずれは腹部で着るようになります。
訪問着の衿にはパイピングが施されていて、クレージュを少し思わせます。ふつう着物衿は1点目のように5~10センチの幅を持たせて折っていますが、この訪問着はその上で折り目にパイピングを施している訳です。
衣装協力
上述2作品の情報は次のとおりです。1点目の着物は久がや、2点目の着物はわすいわ屋。帯は松居織物、協力は高本ミンク、白牡丹、野沢組紐舗、加藤万、東京プリンスホテル。
表紙は2点目と同じ衣装。

婦人画報1971年1月号、表紙・岩下志麻。カメラ・篠山紀信、ヘアと着つけ・名和好子、きもの・ますいわ屋。
マキシスカート :鈴木宏子デザイン

「婦人画報」1971年1月号、42頁。
リード文
マキシスカート : 白いリボンレースのブラウスにベルベットのスカートは、お客さまを迎える装いです。
出典「婦人画報」1971年1月号22頁
リード文批評
1960年代に流行したミニスカートやミニドレスは1970年代にマキシ・スカートやミディ・スカートの反撃を受けるようになりました。
この作品の場合、肌の露出は首と顔と足だけに限られています。とはいえ、上体衣ブラウスの胸部と衿以外にはトランスペアレントの強いレース地が使われていて、透け感が強いです。
スカートのゆったりさとブラウスの透け感が対照的になっています。
髪型は可愛いし、顔は可愛い綺麗だし、上体衣はスケスケだし、でも胸部は透けてくれていないし、ベルトはマキシスカートとともにガードが堅そうだし、色っぽい黒色ストッキングと可愛い黒色ストラップ・シューズがアンバランスでアンニュイだし、という姿でお役様を迎えるといわれても、私なんぞは玄関先でツーショットを写してもらうだけで心臓が止まりそう…。
もとい、落ち着きます。
このメイクは志麻ちゃんとは思えませんでした。
名和が冒頭のリード文で「はんなりしたお色気」(華なりした)や「顔も自由に絵の描ける顔」や「髪型も何でもこなせる」と記したのを改めて痛感します。
なお、この作品のリード文だけ、既婚・未婚などを想定させる女性像を記していません。
ミディスーツ : 鈴木宏子デザイン

「婦人画報」1971年1月号、43頁。
リード文
ミディスーツ : 白い花のいちめんに咲いたビロード地です。ビロードリボンのチョーカーも毛皮のストールも小さなバッグも、若いミセスのお正月の訪問にふさわしいおしゃれです。
出典「婦人画報」1971年1月号22頁
リード文批評
2点目の訪問着同様、「ヤングミセス」(若いミセス)を念頭にした作品です。
同じく、防寒用にミンク風のマフラーと財布や小物入れのハンドバッグを携行しています。
「訪問にふさわしい」ですから、これも訪問着と明記できます。つい訪問着というと和服を連想しがちですが、訪問時に着用する衣服のことが訪問着ですから、この連想は間違い。
リード文 : 篠山紀信
岩下志麻は魔性を秘めた女である。ある雑誌の企画で、狂女、若武者、喪服の女など、その変げぶりを撮ったことがある。その時鏡に向かう彼女は、まさにもうひとりの自分に向かって変質狂なまでに自分を凝視し、変身することに打ちこむ。髪型やまわりの雑音を全く気にせず、一心不乱に鏡に向かうその姿は妖しいまでの神々しさであった。(篠山紀信)
出典「婦人画報」1971年1月号23頁
リード文批評
「卑弥呼」で拍が付いたというかバージョン・アップしたように思います。
鏡に向かって自分を凝視する強度が他の俳優や女優たちと違うのかと思いました。彼女の自伝「鏡の中の向こう側に」と写真集「時の彼方へ」を思い出しました。


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