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岩下志麻 : Shima Iwashita 演技をしない演技派女優

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岩下志麻

岩下志麻 Shima Iwashita は1941年に日本の東京銀座で生まれた映画女優です。ホームドラマの娘役からメロドラマのヒロイン役を経て、芸術エロチシズム映画の大スターになりました。好きな花は薔薇、好きな色は薄紫。

Shima Iwashita 岩下志麻 愛は愛を生む 婦人公論 2003年1月22日号
Shima Iwashita 岩下志麻 愛は愛を生む 婦人公論 2003年1月22日号

Shima Iwashita 岩下志麻「 愛は愛を生む」 via 「婦人公論」2003年1月22日号(通算1122号)、12頁。

1960年に松竹へ入社。同年公開の篠田正浩監督「乾いた湖」でデビュー。以後、役柄が多く、とくに女性の情念を華麗に演じる女優として日本映画界で特異な水準に達していきました。

上の肖像写真は雑誌「婦人公論」で2003年に「情熱と感謝と」と題された特集から。篠山紀信 撮影、ハナエ・モリ・オートクチュール 衣装、ダミアーニ・ジャパン 装飾、高橋匡子 スタイリング、馬場利弘 髪型・化粧。

略歴

両親はともに新劇俳優で父は野々村潔(本名・岩下潔)、母は山岸美代子(本名・岩下美代子)。

小学生

小学校入学から高校卒業まで東京の吉祥寺で過ごしました。志麻の母が劇団「前進座」の河原崎長十郎の妻しづ江と姉妹の関係にあり、1棟形式で7棟ある前進座の集合住宅の近くに暮らしました。そこを開場とした東京公演の時に志麻は毎日劇場に通い、アイスクリーム販売をしました。

▼前進座のサイト(外部リンク)

劇団前進座 公式サイト
前進座

中学生・高校生

小学生の頃から日本舞踊を学びます。中学生では遠縁の岩井紫若に師事。小学生の頃から男役が多かったといいます。その傍らで精神科医をめざして受験勉強や日常勉強に没頭。もう勉強がたたり、都立武蔵高校2年生の時に4ヶ月間の入院。

血沈が通常の150倍に増え、脊椎カリエスとも診断されました。最終的な病名は小児リューマチ熱。この入院のため休学し、高校2年生を次年度も続けることになりました。

▼ドラマ「バス通り裏」での十朱幸代とのツーショット(外部リンク)

十朱幸代さん デビュー作で共演した岩下志麻さんの思い出|私の秘蔵写真
 デビューは1958年から5年間、生放送されたNHKの伝説の連続ドラマ「バス通り裏」。当時高校生だった十朱幸代さん...

2回目の高校2年生の時(1958年)、父の友人に頼まれてNHKの連続テレビ・ドラマ「バス通り裏」に十朱幸代の友達役として出演。このドラマは生放送。

ここで準レギュラーとなり、1週間に2回ほど下校中にNHKの銀座スタジオに通うことになりました。かなり忙しくなったため、自由な校風である私立明星学園に転校。

大学生

「バス通り裏」出演をきっかけに仕事が増えていきましたが、大学進学の希望どおり受験し、1960年に成城大学文芸学部に進学しました。大学生の頃の志麻は精神科医になることは諦めていて、かといって女優になることにもためらっていた時期でした。

▼成城大学文芸学部のサイト(外部リンク)

文芸学部 | 成城大学

映画デビュー後

1967年3月3日、篠田正浩監督と結婚。独立プロダクション「表現社」を設立。1976年に松竹を円満退社しました。

その後は夫婦共同で映画制作に取り組み、テレビ・ドラマに出演したり化粧品や電化製品のコマーシャルにも登場するようになります。他の女優では越えられなかった映画「極道の妻たち」シリーズの貫録とは裏腹に、意外にキュートな一面を覗かせる象印魔法瓶の宣伝はとくに印象的です。

次の写真は岩下志麻が出ていた化粧品会社メナードの広告です。

メナード 広告誌 Shirayuri Menard News 岩下志麻
メナード 広告誌 Shirayuri Menard News 岩下志麻

メナードの広告誌「Shirayuri」Menard News、1992年9月号。被写体は岩下志麻。

美へのいざない Guide to Beauty メナード 広告誌 Shirayuri Menard News 岩下志麻
美へのいざない Guide to Beauty メナード 広告誌 Shirayuri Menard News 岩下志麻

「美へのいざない Guide to Beauty」メナードの広告誌「Shirayuri」Menard News、1992年9月号。被写体は岩下志麻。

志麻さんは和服も似合いますが、洋服・洋装もかなり映えることが分かります。

映画女優初期のエピソード

笛吹川 : 1960年

1年生の時に松竹映画から新人契約の話をもってこられ、目標を失っていた時期ゆえに気楽に契約をします。最初の撮影は「笛吹川」で1ヶ月半ほどロケが続きました。

これを機に志麻の女優願望が高まるわけではありませんでした。この1本で女優を辞めようかと思っていると、松竹の新人契約は3年契約だということを知らされます。

乾いた湖 : 1960年

そこに、当時松竹の行なっていた新人監督起用方針により助監督から監督へ抜擢された篠田正浩から強い出演要請を受けます。篠田の2本目の監督作品「乾いた湖」でした。監督はこの映画の女子大生役を探していました。

結局、「乾いた湖」が「笛吹川」より先に公開されたため、志麻にとって「乾いた湖」がデビュー作となりました。

秋日和 : 1960年

そして志麻の3作目となったのが小津安二郎監督の「秋日和」。ベテランの俳優・女優でも100回撮り直すことがあるという小津の撮影で、志麻の演技は1回でOKとなります。

小津の作品は生の人間を描くため、無心になって(一種ぽわーんとした感じで)演技しないとOKは出にくいのです。志麻は自伝のなかで「人形に血を通わす」必要があると、小津映画の特徴を指摘しています(岩下志麻『鏡の向こう側に』主婦と生活社、1990年、77頁)。

この特徴は的確で『日本映画女優史』も次のように指摘されています(私の書評「日本映画女優史 : これだけで20世紀を鳥瞰できる」もご参照ください)。

小津安二郎は、美しい女優を、ほとんど演技らしい演技もさせずに、まるでお人形のように画面のしかるべき一にきれいに飾っておき、それでいてその女性を、生き生きとした血の通った、ふくよかな情感のある女性に仕上げてみせる名人であった。

(佐藤忠男・吉田智恵男編著『日本映画女優史』フィルム・アートシアター、1975年、218頁)

日本映画女優史 : これだけで20世紀を鳥瞰できる
日本映画女優史 : 1910年代半ばの女形の時代から60年代半ばのポルノの登場まで、約半世紀の日本映画に出演した女優たちを紹介しています。構成を見ますと、前半は日本映画女優史フォトアルバム(約160頁)、後半は文章中心の日本映画女優史(写真は1頁1点ほど)が約70頁、最後に主要映画女優名鑑が約30頁です。分量的にこれ一冊で戦前・戦後の映画女優史を鳥瞰できます。

秋刀魚の味 : 1962年

「秋日和」から2年後に志麻は再び小津の作品に出演します。この2年間で志麻には女優の癖が付き、血の通う人形ではなくなっていました。「秋刀魚の味」の撮影では1回でOKが出なくなったのです。この映画での役柄は母を失い父と二人暮らしをする娘役でした。

自分の好きな男性が他人と婚約した話を聞いて、ミシンを前にして一人で寂しくしている場面を撮影する時に、小津は巻尺を使うことを提案します。呆然としながら、手中で巻尺を3度回しながら引っ張り出し、1度ふわっと戻し、再び2度回してふわっと戻すという場面です。この単純な演技になかなかOKがもらえなかたっと志麻は回想しています。

私はこの映画の中で、父(演笠智衆)と部下と一緒に、恋の終わりを話す志麻さんの姿がとても印象的です。広い襟の白色ブラウス、黒色のカーディガン、赤色のロングのスカート、そして星座の後ろ姿から顔を覗かせる白色の靴下。配色が配役の状況を端的に示しています。志麻さんの姿も娘と女性の両方を上手く表現しています。

その後

当時の松竹はメロドラマ路線を復活させるために「あの波の果てまで」に志麻を起用し、大ヒット。この作品で松竹の看板女優となりました。

篠田正浩との結婚 : 結婚の条件と女優業の継続

映画での共同作業をつうじて、1967年3月3日に岩下志麻は篠田正浩監督と結婚しました。「家事はしない」が結婚の条件でした。篠田はこれに対して快諾します。

女優にとって過程は休息の場であるべき、軽くストレスの解消になれば家事も良いが負担になるならやらないことと理解を示しました(『鏡の向こう側に』127頁)。また、女優は家庭の疲れを持たずに撮影現場へ行くべきだとも考えていました(「婦人公論」2003年1月22日号、13頁)。

出演映画の感想

20歳くらいの頃、「極道の妻たち」のシリーズで志麻さんの出演映画をまとめて見ました。その後、「北の螢」「鬼龍院花子の生涯」「この子の七つのお祝いに」など1980年代の作品群を見ました。小津監督の2作品を見たのは40歳くらいで、20代で見ていたら志麻さんのキュートな面をもっと早く知れたのにと少々残念。

どの出演作品も志麻さんには和服が中心ですが、日本のファッション・デザイナー森英恵が述べたように志麻さんは洋服も似合います。服を着てエロティックな衝撃を与えられる女優は志麻さんが最高水準にいると痛感します。

このような思いを抱くようになったのは、VHS発売以来、DVDでは販売されていない「卑弥呼」(篠田正浩監督)です。20代半ばか30歳頃に深夜のテレビで見たように思います。

この作品は地理や経済という思想が根付かない日本の原風景を強烈に示した映画です。少女であり女性であり政治家でもある卑弥呼を志麻さんは一身で表現し尽くしました。

卑弥呼を演じる岩下志麻。 via 『アート・シアター』アート・シアター・ギルド、1974年3月、通算108号、表紙。
卑弥呼を演じる岩下志麻。 via 『アート・シアター』アート・シアター・ギルド、1974年3月、通算108号、表紙。

卑弥呼を演じる岩下志麻。 via 『アート・シアター』アート・シアター・ギルド、1974年3月、通算108号、表紙。

撮影当時の志麻は出産を終えた後でした。眉毛を剃って演技に臨みますが、帰宅すると赤ちゃんは不気味な母の形相を見て泣き叫んだそうです(『鏡の向こう側に』170~172頁)。志麻が迫真の演技で迫る卑弥呼を自宅に機にずりこみ、赤ちゃんは驚いたというところでしょうか…。

長い間、この映画を再び見られることを願っていますが、なかなか衛星放送で公開されることもDVDで市販されることもありません。辛うじてアマゾン・プライムでは視聴可能ということが最近になって分かりました。

関連リンク

  • 劇団前進座 公式サイト – 1931年に芝田村町・飛行会館で設立された劇団前進座の公式サイト。劇団紹介(劇団の歴史、劇団各部門、採用情報など)、公演情報、俳優・演出部紹介、友の会、前進座オリジナルグッズ 、トピックス。岩下志麻の母が前進座所属の河原崎長十郎の妻しづ江と姉妹の関係にありました。