Oops! It appears that you have disabled your Javascript. In order for you to see this page as it is meant to appear, we ask that you please re-enable your Javascript!

後藤守一『衣服の歴史』: 阪急古書の街

シェアする

広告

後藤守一『衣服の歴史』: 阪急古書の街

昨日は妻と一緒に梅田へ行きました。久しぶりに阪急古書の街(阪急古書のまち)に寄りました。

そこで偶然見つけた本が河出新書からかつて出ていた後藤守一という服飾史家の書いた本『衣服の歴史』です。この本は新書で、アジア特に日本を中心に書いた衣装の歴史です。視野は広く、衣服の部分的な叙述には詳細な視点もあって、日本の服装をはじめとするアジアの服装史を知るにはとても有益になる本だと思います。

後藤守一『衣服の歴史』河出書房、1955年

後藤守一『衣服の歴史』河出書房、1955年

『衣服の歴史』の鋭い点

目次をざっと見ますと、書かれた昭和30年すなわち1955年の段階での日本の着物について論じることから始まり、次いで原始時代から話を進めます。

この本の特徴はいくつかあるかと思いますが、特に中国風の着物と日本への影響が特筆すべき点です。これまでの衣服史研究が示してきたとおり、奈良時代の天皇以下公家たちが着ていた服が中国からの影響を受けたものだとまず指摘されます。

普通、衣服史研究では平安時代後期から十二単(本書では十二一重)というものが着用された点を踏まえ、国風文化と称されることが多いです。しかし、本書では十二単の各部分の衣服、つまり十二単を構成している衣服類について言及している点が斬新です。

その一部に、なんと唐服、つまり唐の時代の中国の服装の影響が認められると後藤は指摘します。もっとも奈良時代を踏襲した衣服が十二単の一部に使われていたというクッションを置いたうえでの話ですが、闇雲に「中国から独立した国風文化」という乱暴な議論を避けているわけです。

後藤守一の大丸弘への影響

これが本書の古代における一番の優れた鋭い点ではないかと思います。服飾史家の大丸弘は1961年に成美社から『平安時代の服装―その風俗史的研究―』を著しています。後藤の研究によって十二単を解体して分析するという視点が生じたのでしたら、大丸弘のこの研究書に対して少なからぬ影響を与えたと考えられます。

大丸弘はその後、平安時代の衣装の研究を止め、近現代の民衆衣服に注意を向けました。大丸氏の研究対象の時代が変化したことから想像できるのは、国風文化と呼ばれる平安時代ですら中国を中心としたアジアの同一性、それと裏腹の多様性、これら両方を大丸氏が感じ取ったということです。大丸氏の衣服史は民衆史とあいまって躍動感のある論考が多いです。氏は平安時代から近代へと目を転じ、さらなる多様性や躍動感をもった時代を捉えようとしたのだと感じました。

後藤守一の本『衣服の歴史』は大丸弘への影響を考えるととても重要に思います。後代の衣服史家の多くは後藤守一の貫頭衣に関する説に疑問を投げかけました。しかし、十二単と国風文化の前提を疑う問題提起をした点で私は後藤を蔑には出来ないと思います。

確かに、後藤守一が貫頭衣と着物との接続を試みた説は強引ではありますが、貫頭衣という古代世界を広大に覆った衣服形態から、中華文化圏における漢服や着物などの類似衣服の誕生を明らかにしようとした点は知っておくべきです。

民衆のファッション史

最後に、後藤守一が目指した民衆衣装しという課題は、大丸弘にも受け継がれました。私もまた、アパレル産業においても民衆の服装史・ファッション史を支援した観点から、アパレル産業から見た民衆の服飾・ファッション史を描いていきたいと思います。