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貫頭衣は洋服・漢服・和服の源流:研究はカオス

ワンピースとスカートの歴史
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貫頭衣 (かんとうい)の研究状況は混乱しています。

先日から考えている3冊目の本は近現代日本の洋服受容の技術と文化。

そこで、この3週間ほど、貫頭衣と呼ばれる古代日本の衣服について思いを巡らしてきました。

「貫頭衣(長式)A, B両種形制、以B式為典型、均由両幅布縫合留口」

(沈従文編著『中国古代服飾研究』上海,上海書店出版社,2002年、22頁)

1970年代頃までの研究では1枚の布のど真ん中を繰り抜いて被るという説(1幅説)が基本でした。

最近は左右別個に作って真ん中で縫い合わせているという2幅説が有力になっています(角山光洋と武田佐知子)。

理由は弥生時代から飛鳥時代までに1幅で衣服を作る織物幅は作れなかった、最大でも33センチほどだったというのが根拠。

これは納得。

地機はウェスト幅までの布しかおれませんから。こういう話を先々週の同志社で話し、納得してもらえました(2018年6月)。

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2種の布幅(織幅)

しかし、角山と、それを敷衍した武田は養老令などを念頭においているのか、奈良時代の貢納物である調庸布の幅が、絹は36センチで問題なし(服作成時は背中で縫い合わせて2幅にすればOK)、だが、単なる布(麻が中心)は広幅が求められて71センチ幅を国郡に要求したと。

角山・武田説によると、従来の2倍以上の幅を要求したとのことですから、

  1. 代納制(外注か?)で、71センチを織れる連中に委託した
  2. 奈良時代に織機が飛躍的に発展した

と両者は推測。

しかし、両者とも織機を研究した論文でいっている割に、奈良時代の織機飛躍や外注には全く事例をもってこずに上述どおりの推測を行なっています。

というわけで、上述2点と、養老令内の衣服令が唐の模倣との指摘から唐の衣服制度を見る1点、合計3点が当面の課題です。

追記(2019年5月22日)

明日が同志社大学の授業とのことで、ゆったりした気持ちでプリントを作りなおしています。

少し見えてきました。

角山・武田説では71cmの麻織物と、36cmの絹織物を納税させていたとなります。数字から見れば、麻織物の場合は納税させるときに、36cm幅の麻織物を背中または背中・前ともに縫わせていたのではないかと思いました。

すると、麻織物は71cmほどになります。

2枚の布を繋げるとき、接合部分は布を重ねる必要があり、その重なった部分が1cmほどだったのでしょう。

そうすれば、絹織物は36cmのものを織れて、麻織物は71cmのものを織れたという技術上のズレの問題も解決します。

もちろん、絹と麻のそれぞれで織機が異なっていた可能性は否定できませんが、次のように考えるとその可能性は否定できます。

麻織物で2倍の幅を織れるのでしたら、奈良時代・平安時代あたりに、絹織物を2倍に織れる織機革新や織機調整が生じてもおかしくありません。

それが実現していないのですから、古代日本人の怠惰か、角山・武田説の見誤りのいずれかしか考えられません。

角山光洋説と武田佐知子説の問題点

角山・武田説は他にも問題があって、麻中心の布幅だけ2倍にして、絹織物は36センチほどのままだった(奈良時代)、その用途は?

麻の広い1幅で服を着る必要が朝廷の連中に必要だったのか、これについても言及していません。

衣服令をふまえるならば、礼服・朝服・制服に絹織物を指定するはず。(外部リンク)武官朝服・奈良時代・服制の成立 日本服飾史 資料・風俗博物館~よみがえる源氏物語の世界~

上にリンクしたページの写真では、2幅説を証明するように背中に縫い線が確認されますが、麻織物1幅でどんな服が作られたんでしょうか…。

武田は麻織物1幅は71センチなので、簡単な裁縫だけで着用できたから合理的と言います。

そんな服を朝廷の連中が着るのか、私には疑問。

そこで私は、唐の衣服制度、そして奈良時代の代納制および織機発展の有無を検証していこうと思います。

奈良時代に関する2説は考えにくいんですね。

  1. 奈良時代に71センチ幅を代納してくれる奴らはどんな織機を使った?
  2. じゃあ、それも含めて奈良時代に織機が地機から高機に発展したというのか?

2は、まず無い。

中国でもまだ地機だったんじゃないのかな。

それに日本へ高機を輸出・移民してきたのは明朝倒壊前の亡命者たち。時代が違う。

中央縫合説

ただ、両氏および大丸弘氏の論文を読んできて、1枚で貫頭衣を作ることは出来ないので、左右別個に作って背中で繋ぎ合せたという自論が既に上記3名の方が指摘していたので、衣服史的勘がついてきたなぁと自負しております(笑)。

最後に、貫頭衣が1枚で出来たのはむしろヨーロッパです。

毛織物こそ、裁断はやっても縫製を避けたい布だったので、麻織物の縫製を極力抑えたという武田説は認めにくい。

多分、貢納する時に、麻織物は2幅の接合部分を縫って収めろ、絹は1幅に織った段階での納品を許す、ということだったんじゃないかぁ。あるいは養老令で尺の実質長さが半分に変わったとか。

とか調べている間に3時。

今日は同志社のクラス替え。

850人の前で話しに行きます。

追記

古代の織機を調べていますと6世紀頃には「空引機」という高機が中国から伝来したということがわかってきました。

そして地機(イザリ機)よりも幅の広い織物に織ることができたと…。中国では空引機は秦時代に存在したとのこと。ちょっと織機の奥深さに面喰っています…。(2018年6月15日)

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いろんなファッション歴史の本を読んで何も学べなかった残念なファッション歴史家。パンチのあるファッションの世界史をまとめようと思いながら早20年。2018年問題で仕事が激減したいま、どなたでもモチベーションや頑張るきっかけをください。

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