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東アジア経済史研究会

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東アジア経済史研究会

東アジア経済史研究会 : 12月8日・9日と中国・韓国・日本の研究者が集まり、歴史研究の成果を披露し合うような活気あるシンポジウムがあり、私の参加・報告させてもらいました。

このシンポジウムの参加者たちが各自の報告を論文にして次の本になりました。

東アジア経済史研究 第1集 中国・韓国・日本・琉球の交流

東アジア経済史研究 第1集 中国・韓国・日本・琉球の交流

日中韓の3言語を通訳できる女性2名を紹介し、彼女たちも研究所の方々にも喜んでいただきました。無能な私には有能な友人たちが必要というスタンスが発揮できてちと嬉しい。

知人の一人はとくに懇親会でも引っ張りだこで、「馬鹿(私のこと)が持つべきものは優秀な友達」という諺が出来るほどでした。

私自身の報告は、まずまずで、ミシン普及の傾向を概略的に話しただけに留めました。持ち時間30分でしたので、踏み込まず・突っ込まず、良くも悪くも分かりやすすぎるものでした。

ただ、大方の方の了解を得られたと思うのが、今回の報告が、「衣服産業史」という新たな部門を切り開ける可能性を秘めているということです。これは、韓国の先生にも、中岡さんにも、言質を取れました。明日、中国の方にも尋ねてみます。

質疑応答には以下のようなものがありました。
1だけで20分くらい議論したと思います。2以下は懇親会で頂いたコメントです。

  1. ①ミシン価格の推移を指数で出す作業をすれば、もっと説得的になる(韓国の先生)。
  2. ②(後の懇親会で、狭間さん)指数を出すときに、基準年を設定する必要があるから、そこをしっかり考えてみ!
    岩本君のは長期データといえるから、やり甲斐がある。
  3. (後の懇親会で、中岡哲郎さん)ミシンの東アジアの普及というタイトルだったから来たけど、日本と旧満州だけなのでショック。ただ、20世紀前半に、ミシンで大規模化した業者と小規模のままに留まった業者を比較して、東アジア全域の比較に応用していけ。
    同じ業態でも、地域が変われば創業・操業条件が変わるから、それを同時代の日中韓台比較でやってみろ。こんな研究誰もやってないのだから、旺盛に突き進め。そして、1980年代以降、日本の衣服産業が衰退し、青山・ユニクロなどが勃興した鍵は中国にあるから、その点も(現代だが)いずれ僕に(中岡さんに)教えてくれ!
  4. (後の懇親会で、韓国の先生)衣服産業史の東アジアの地域比較は、絶対に面白くなる。まだ明快な答えは出ていないが、この迫力で研究を続ければ、見たことのない研究に必ずなる。もっとも、中国といっても広すぎるから、旧満州で留めるか、中国自体を外して、台湾・韓国との比較でも良いので、規模と業態展開パターンを是非比較しろ!

といった感じでした。

中岡哲郎さんにサインを貰いました。彼は私の報告の時に質疑応答で挙手されていたらしいのですが、座長も私も気づきませんでしたので、懇親会の時に、わざわざ接近して話しかけてくださり、20年前に行ったらしい広東省の縫製工場の話をしてくれました。

広東省では、香港人資本による、日本人経営による、デザインは東京のデザイナーによる、広東省(中国人)の人々の労働による、衣服工場を見たそうです。その工場は、裁断工程と縫製工程を含んだ工場で、100台のミシンがあったそうです。

他に中岡さんが話してくださったのは、ミシン普及、衣服産業化、軍服・制服生産という3点が同時に進行したから、キモノと洋服との対抗軸は大切だ、とのことでした。私は、キモノの技術的意義を過小評価したかも知れません。

中岡さんが仰るには、キモノは直線で裁ち、縫合も単純なので、技術的には、ミシンを投入する方が、かえって邪魔(非合理か非効率的)になったそうです。ある程度、脳裏に焼き付けておくべき話でした。

もっとも、20世紀後半には、キモノすら大量生産された可能性が高いですが、おそらく、世紀前半は中岡さんの仰るとおりでしょう。その辺も「僕が抱く衣服産業史の諸々の疑問を解決してくれ!」と励まして頂きましたので、「数年から数十年待ってください、衣服が産業化する絡繰りを(衣服産業からみるとアメリカに比べ全域的に発展途上国だった)ユーラシア大陸レベルで証明します!」と答えておきました。

最後に、『工場の哲学』と『コンビナートの労働』にサインを頂きました。

「開戦の日だな…」

と、ボソッと独り言を仰ったのが、今も頭から離れません。

傲慢にならないように心がけて、マルクスと中岡さんを説得させるような論文を書き続けていきたいと感じました。