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パコ・ラバンヌ : Paco Rabanne

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パコ・ラバンヌ

パコ・ラバンヌ Paco Rabanne は、1934年にスペインのバスク地方サン・セバスチャンで生まれたファッション・デザイナー。1964年に最初のコレクションでプラスチックの小片を針金でつないだ未来感覚のドレスを発表(1964年説あり)。保守的なオート・クチュール界に衝撃を与えました。

金属や紙など布以外の素材をよく使ったのでモード界のカーペンターの異名をとりました。シャルル・ジュールダンの靴のデザインをしたりと、服飾デザイナーだけでなくアクセサリーや刺繍のデザイナーの側面もあります。

パコ・ラバンヌ Paco Rabanne

パコ・ラバンヌ(Paco Rabanne) via Paco Rabanne | Fashion Designer Biography

経歴

スペイン内戦中、5歳の時に一家でフランスへ移住。母は1950年代にクリストバル・バレンシアガの主任裁縫師だったことから服飾品に興味を示していました。パリの国立美術学校に進み9年間も建築学を学びました。1963年に「庭園に置く住める彫刻」(庭園用の居住可能彫刻)という題でパリ近代美術館の青年ビエンナーレ(美術展示会)に出品するなど建築・彫刻の関心がありました(ビエンナーレ賞を受賞)。他方で在学中からアクセサリーやボタンなどのデザインも手がけていました。その後に服飾デザイナーに転じます。

就職と独立

ラバンヌのファッション・デザイナーとしての仕事は、バレンシアガ、ディオールジバンシーなどのメゾンにプラスチック製アクセサリーを納入したことが始まりです。これを通じてオート・クチュールの世界を学んでいきました。その過程でプラスチック、金属、アルミ箔などを応用した服飾デザインに興味を惹かれていきます。面白いのは1950年代・1960年代のオート・クチュール業界のトップ企業が挙ってプラスチック製のアイテムを使っていたことです。

1966年にパリで自店舗を開店。1971年秋にオート・クチュール組合に正式加盟。1977年春、これまでの作品とは一変し、コントラスト・カラーのアンダー・スカートを合わせたカラフルな布地だけのドレスを展示しました。何年も先の時代を見越した経営で、時代にそった対応によってプレタ・ポルテでもビジネス的に成功しました。映画や演劇の衣裳も数多く手がけ、日本では㈱そごうと契約を結びました。

作風

1965年の初コレクションでプラスチック小片を針金で繋いだワン・ピースのドレスを発表して以来、翌1966年は紙と皮、翌1967年はメタルと毛皮、1968年にはゴムとリボン・レースと、変った材料をこなすデザイナーとして有名になりました。

パコ・ラバンヌ メタル・ドレス 1967

メタル・ドレス(パコ・ラバンヌ制作、1967年) via Paco Rabanne | Dress | French | The Met

未来派であるラバンヌ

アンドレ・クレージュが≪オート・クチュールは研究の場所≫と述べたのと同じように、ラバンヌは≪オート・クチュールは創造の場≫と考えていました。

色々な辞書から彼の素材の奇抜さを抜きだしますと、

  • プラスチックの四角や円盤を繋ぎ風に接合したドレス
  • セロテープで留めたドレス
  • ペーパー・ドレス
  • メタル・ドレス
  • アルミ箔のチューブ・ドレス
  • 原色のプラスチック製サングラス
  • 三角や四角の毛皮をつなぎ合わせて作ったコート
  • 毛皮を編み込んだニット
  • アルミニウム製のジャージー

など。

このようにラバンヌは意表を突いた素材を使うことでセンセーションを巻き起こしました。既成概念を打ち破った挑戦的な作品を次々と投げかけたので、ピエール・カルダンアンドレ・クレージュと並んで革新的な未来派デザイナーとして知られました。

未来派でないラバンヌ

ラバンヌはカルダンやクレージュと同じ未来派と位置づけるには一つ異なる点があります。確かにミニドレスやミニスカートの作品は多く、またラインもシンプルなので、ラバンヌは彼らと同じジャンルにいるように思われます。

ラバンヌは普段着を提案していない

しかし、1964年に初めて開催したコレクション「12点の実験ドレス」や1966年のコレクション「12点の着用不能ドレス」はとても街中で普段着に着られるものではありませんし、そもそもラバンヌは普段着を念頭には置いていませんでした。

実験的であり普段着に向いていないドレスたちの意義は、カルダンやクレージュの普段着改革よりもオート・クチュールそのものへの挑戦であったと言えます。

ラバンヌが縫製を否定した先に見えたものは身頃という限界

そして、本質的なもう1点。PVC、プラスチックなど戦後の繊維産業界の新素材を彼ら3人ともが積極的に使いましたが、ラバンヌだけはセロテープで留めたドレスに顕著なように当然の裁縫技術というものまで否定する側面を持っていました。今ならミシンの代わりに接着剤で布を接合するような発想です。

次の作品はパネル状になった合成繊維の生地を金属で接合した作品です。1枚目の向かって左を拡大したのが2枚目です。向かって右のピンクはピエール・カルダンのダンス・ドレス。

余談ですが身頃の広い布地の代わりにパネル状の布地を用いても、衣服の身頃という概念から抜け出ていません。革新的なのかそれほど斬新でも無いのか、判断が難しいですね。

ドレス(向かって左。パコ・ラバンヌ作、1966年~1969年、人工繊維・メタル製)

ドレス(向かって左。パコ・ラバンヌ作、1966年~1969年、人工繊維・メタル製) via Pierre Cardin | Dance dress | French | The Met

パコ・ラバンヌ制作 ドレス 合成繊維・メタル製 1966年~1969年

パコ・ラバンヌ制作 ドレス 合成繊維・メタル製 1966年~1969年 via Paco Rabanne | Dress | French | The Met

したがって、カルダンやクレージュとともにラバンヌもまた未来派デザインを構築しましたが、ラバンヌだけは生地素材を刷新し、裁縫ではない別の接合方法で衣服を制作したわけです。だからといってラバンヌの創造性を高く評価することも間違っています。

衣服の普及性を考えれば、カルダンやクレージュたちは現実的な破壊力を持っていて、ラバンヌは展示会的なアイデアを持っていたという住み分けに過ぎません。また、鎖帷子の素材は中世騎士の着ていますから、ランバンが想像したとは考えられません。

次のプロモーション映像が面白いです。トランスペアレントにメタル。エッフェル塔を背景にゲリラ的に撮影していますが、それでも絵になるのがパリです。

第1回「金の針」賞、1990年デ・ドール賞を受賞。

パコ・ラバンヌの衣装は一般性はもちませんでしたが、アクセサリーの分野には大きな影響を与えました。メタリックなハンドバッグやプラスチック・洋銀などで作ったアクセサリーなどがヒッピー世代に大流行しました。

一目惚れ

ラバンヌの作品で好きなのは1960年代末頃のトランスペアレント。さりげなく透け感を出しているので、よく見るにつれてかえってドキッとしてきます。素材が衝撃的でもラインが普通だとゴテゴテしていて素敵には思えません。

トランスペアレントの服をネットで探せなかったのですが、格好良いニットのドレスを見つけました。

パコ・ラバンヌのニット・ドレスとメタル風ブーツ

パコ・ラバンヌのニット・ドレスとメタル風ブーツ via Madame | Paco Rabanne

この立領というかタートル・ネックのニット・ドレスは切替線ごとにパイピングが施されていて面白いです。袖もしゃれていてセット・イン・スリーブですがパイピングで目立つグレーの身頃に目を奪われてラグラン・スリーブにも見えます。

繋ぎまくった繋ぎという不思議な縫製です。下はキュロットになっているのでしょうか、ちょっと自信がありません。グレーと暗い目の赤がマッチしているのも良くて、メタル風ブーツが意外に合ってます。