オリー・ケリー : Orry-Kelly ワーナーズ社で大活躍

オリー・ケリー : Orry-Kelly ワーナーズ社で大活躍

オリー・ケリー: 概要

オリー・ケリー Orry-Kelly (Orry George Kelly) はオーストラリア系アメリカ人のファッション・デザイナー(衣服設計師)です。主にハリウッド映画向けに衣装をデザインしました。著書に Women I’ve Undressed: The Fabulous Life and Times of a Legendary Hollywood Designer, Allen & Unwin, 2016.

生い立ち

オリー・ケリーはオーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州キアマに生まれました。父親のウィリアム・ケリーはマン島に生まれ、キアマで仕立屋(tailor)を営んでいました。オリーはマン島の古代王の名です。17歳の時にオリー・ケリーは金融を勉強するためにシドニーに送られました。しかし、そこで彼は芸術を勉強し、劇場に関心を持ちました。そして、俳優になることに決め、彼はニューヨークに出帆します。

オリー・ケリー 1950年頃。
オリー・ケリー 1950年頃。Orry-Kelly circa 1950s via Orry-Kelly – IMDb

職歴

演技の経歴は実を結びませんでしたが、彼はナイト・クラブで壁絵描きの仕事を手に入れ、得意客たちのスケッチをしました。この経験は、フォックス・イースト・コーストのスタジオで無声映画のタイトルを描く仕事につながりました。彼はシューベルトの演劇と「ジョージ・ホワイトのスキャンダル」George White’s Scandals のための衣装と風景をデザインしました。エセル・バリモアは彼の作品を賞賛し、彼がデザインした服を複数の舞台で着用しました。キャサリン・ヘップバーンのブロードウェイ・デビュー Death Takes a Holiday, 1934 (ミッチェル・ライセン監督)の衣装類もオリー・ケリーがデザインしたものです。彼は不況時にナイト・クラブを運営しようとして幾度か失敗し、西海岸に渡りました。しかし、事業の合間にセント・ルイス・オペラ社 St Louis Opera Company のためにデザインをしました。

オリー・ケリー制作の衣装を着るグレンダ・ファレル(映画「ブロンディ・ジョンション」1933年)。
オリー・ケリー制作の衣装を着るグレンダ・ファレル(映画「ブロンディ・ジョンション」1933年)。Glenda Farrell in Orry-Kelly, Blondie Johnson, 1933. via Orry Kelly – Master of Form | Colette Blog

1932年に彼はハリウッドに到着し、ワーナー・ブラザーズ・ファースト・ナショナル・スタジオで仕事を始めました。ニューヨーク時代の古い友人ケーリー・グラントは、ワーナーズ社のワードローブのヘッドに彼を推薦し、その後にオリー・ケリーは11年間勤めました。彼の最初の重要な映画はルース・チャタートン Ruth Chatterton 出演の映画 The Rich Are Always with Us, 1932(アルフレッド・E・グリーン監督)でした。彼はワーナーズ社を1943年に去り(ベッテ・ディヴィス Bette Davis 主演の映画類の仕事だけは行ないました)、Fox、Universal、Radio Keith Orpheum Entertainment、MGMで働きました。

スタジオ契約の俳優たちが服を上手に着れば、デザイナーの仕事は最大の利点を発揮します。オリー・ケリーはケイ・フランシス Kay Francis 、ベティ・デイヴィス Bette Davis 、ベリー・ティーズデール Veree Teasdale 、ドロレス・デル・リオ Dolores Del Rio 、ヘレン・ヴィンソン Helen Vinson らと一緒にワーナーズ社にいて幸運でした。また、同社はこの頃にほとんど写真を作成しなかったため、 Stolen Holiday (マイケル・カーティス監督、1937)や First Lady (スタンリー・ローガン監督、1937)のようなケリーによる映画のファッション・デザインは、出展者に送られた宣伝キャンペーンで大きなセールス・ポイントとなりました。

シャーリー・マクレーン主演、オリー・ケリー衣装「あなただけ今晩は」。
シャーリー・マクレーン主演、オリー・ケリー衣装「あなただけ今晩は」。Shirley MacLaine in IRMA LA DOUCE (1963) – Costumes by Orry-Kelly. via Women He’s Undressed – Film Review – Everywhere

彼は晩年に映画音楽を担当しました。それには、かつてブロードウェイのショーでの若い時期の経験が活かされました。彼は1964年に死去した時、ビリー・ワイルダー監督の映画「ねえ!キスしてよ!」 Kiss Me, Stupid, 1964 に取り組んでいました。

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