和服の洋服化:1900年から1920年代までの変遷

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和服の洋服化は「着物ライフ」がとりあげる大きなテーマです。

和服の洋服化は1900年頃にはじまり、いろんな技術を西洋からとりいれて、1920年代にはすっかり洋服化した和服が定着しました。

近世に小袖がアウターウェアとなり、つまり典型的な和服になりました。その後、近代になって和服の歴史は洋服化そのものになりました。

和服の洋服化(西洋化)

和服の洋服化(西洋化)では次の点がメインになります。

  • ワンピース長着の定着
  • 綿入の消滅
  • 裾引きの消滅
  • 胸元のゆとりの消滅
  • 曲線裁断の導入
  • 端折りの均整化

洋服化に注目する理由

和服や着物といえば、呉服と勘違いして生地の柄や帯の柄に話がズレる人が無数にいます。

和服は形態に注目することを拒んでいるかのようです。

和服形態に注目した大丸弘・高橋晴子・森理恵の3名の研究者以外、誰一人として和服の洋服化を捉えた研究者はいません。

この現象は日本の研究だけでなく世界的にも見られるもので、多くの衣服史やファッション史の本が古い衣装の洋服化や衣服の形態について何も語ってきませんでした。

そこで「着物ライフ」では、洋服との関係から日本の和服(着物、キモノ)が20世紀の100年間で変化した点をくわしく解説しています。

和服を伝統衣装だと錯覚するまえに、和服の洋服化をゆっくり考えましょう。

裸体禁止:とりあえず服を着よう

和服の洋服化といっても、服を着なければ洋服化できません。

19世紀の日本人の多くが裸体または裸体に近い状態で過ごしていたことをふまえましょう。

「裸体禁止令」(全国的法律、1871年)と「違式詿違条例」(各府県条例、1872年東京府達が最初)以降、日本人に服を着て外出することが義務づけられました。

時間はかかりましたが、20世紀をとおして、ある程度は成果があったと思われます。風俗史の文献類は、1970年代に農村女性の立小便や人前での授乳がなくなったとよく述べています。

さて、「違式詿違条例」の一つである「京都府違式詿違条例」の一部が下の絵です。

違式詿違条例のうち、入浴・裸体に関する部分。西村兼文 編『京都府違式詿違条例図解』1876年、5丁。via 国立国会図書館デジタルコレクション – 京都府違式詿違条例図解

上絵にあるように、第17条に「本街へ袒裼・赤裸にて戸外へ出る者」が取り締まり対象となっていることが明記されています。

裸体禁止令や違式詿違条例が1870年代に出たあと、1世紀以上にわたって日本人の裸体習慣は減りました。2000年ころには男性の立小便もみかけなくなりました。

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着物の歴史

2枚の着物写真からペネロピ・フランクス論文を批判

20世紀前半に洋服が少なく和服が多かったと錯覚する研究は後を絶ちません。この頑固な研究例にペネロピ・フランクス論文をとりあげ詳しく批判します。また、見逃しやすい和服の洋服化にもふれて近代化・西洋化を否定できるものではないことを説明します。
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羽織と下着にみる和服の洋服化

20世紀になると和服(着物)のもっていた綿入の習慣が消滅し着物は薄着になりました。着物のスリム化は細くなっただけでなく薄くもなったのです。これにともない羽織・コートを着る習慣や下着をつける習慣が形成。習慣がどう作られたかを細かくみていきます。
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ルーズさ回避とボディコンシャス化からみた和服の洋服化

20世紀初頭から西洋倫理にもとづくスリムな和服が発生。これが現代和服の源流です。和服(着物)は巻き衣タイプの衣服のためスリムに着られるはずがありません。これを可能にしたのが和服のボディコンシャス化と着用者のサイボーグ化。この辺の事情を解説。
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