新しいファッション史

モードの世紀は、人類のファッション史をまとめ直し、躍動感ある歴史を描きます。
主にフランス、イギリス、イタリア、アメリカ、中国、台湾、日本に注目します。

これまでのファッション史は西洋か日本か、意味不明の二項対立に固執しました。
和洋。何て厚かましい言葉でしょう。

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キモノ・スリーブ : 日本での誤用とその背景

エルサ・ウェディング・ドレス。レース長袖の白象牙色。1920年代ヴィンテージ・スタイルのシーツ調。 ファッション用語批判
エルサ・ウェディング・ドレス。レース長袖の白象牙色。1920年代ヴィンテージ・スタイルのシーツ調。 via ersa wedding dress lace long sleeves white ivory vintage style 1920s 20s sheath | eBay
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キモノ・スリーブ

キモノ・スリーブ kimono sleeve は分かりにくいファッション用語の一つです。漢服、旗袍、着物、チョゴリなどに使われてきた平袖は、西洋人に「キモノ・スリーブ」と名づけられました。しかし、着物の袖とキモノ・スリーブは違うものです。そもそも袖は日本のファッション用語・服飾用語で最も混乱している一つです。

この記事ではキモノ・スリーブの日本での誤用をはじめ、キモノ・スリーブを取り巻くファッション用語を整理します。「モードとファッション : 途上国日本のファッション文化」で述べたように、日本の服飾文化が西洋を基準に形成されてきたことは広く知られる通りですが、それが用語上の大きな問題を誘発しています。

日本での誤用 : ファッション用語で難しい「袖」

普通袖」に既述のとおり、set-in sleeve(接袖・装袖)は日本語で普通袖とよばれてきましたが、当然、これは洋裁を基準とした「普通」です。他方、身頃と肩と袖が裁たれていない平連袖(平袖、連袖、いずれも中国語。あえて英語で言えばcontinuing plain sleeve)に該当する日本語は キモノ・スリーブ(kimono sleeve)と日本では呼ばれ、この言葉は1920年代の発生直後から他ならぬ日本で誤用されてきました。

キモノ・スリーブ : よく誤解される事例。エルサ・ウェディング・ドレス。レース長袖の白象牙色。1920年代ヴィンテージ・スタイルのシーツ地。

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上の写真はレースの袖と身頃は裁たれずに構成されています。このような無裁断の形状、特に袖を、中国の平連袖(連袖)や日本の着物の袖と当時の西洋人が比喩した訳です。なお、シース・スタイルは日本では子供服を中心に流行しました(高橋晴子『近代日本の身装文化』163頁)。

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呼称の発端

キモノ・スリーブと呼ばれた発端はシース・スタイル(Sheath Style, 一部はflapper Dress に重なります)です。この袖が1920年代の西洋で注目された際、キモノ・スリーブと呼称されことにあります。当時の中国は辛亥革命後の政情が不安定で、また衣服形態が変動的であったため、1900年頃に洋服化していた和服(着物)がシース・スタイルの代名詞となりました。旗袍の洋服化は1920年代以降に進行するので、シース・スタイルの範例にはなりませんでした。

服飾用語集やファッション史の本を見ますと、シース・スタイルをキモノ・スリーブと西洋人が呼んだ理由にジャポニズムの流行があったとの記述が多いのですが、それは間違っています。20世紀初頭、ジャポニズムにも増してシノワズリーが大流行したからです。

よくシース・スタイルはウェディング・ドレスが念頭に置かれます。しかし、上に述べたように普通、ウェディング・ドレスの袖はかなりタイトです。1920年代にシース・スタイルの一つと思われたキモノ・スリーブは(前近代も近代も)広袖ですからルーズなはず。西洋人がルーズな着物を見てシース(タイト)だと理解したのは恐らくボディです。

接合的に理解すると、西洋人はボディがタイトな点で着物をシースだと理解した一方で、それが広袖をもっている、つまり「本来はタイトな袖のはずなのに」という違和感(悪い意味とは限りません)を持ち、その違和感部分をキモノ・スリーブと特別したのだと考えられます。

シース(Sheath)とはナイフや剣などの刃物用の密着したカバーのことで、それを衣服の言葉でいえばタイトに尽きます。ですから、シース・ドレスやシース・スタイルはタイトな衣服に使われ、そこに袖だけがゆったりしているという違和感、これがキモノ・スリーブという言葉の発生でしょう。

旗袍も着物もシース・ドレスと言われますが、1910年代に旗袍の袖は着物に比べて遥かにタイトになったため、広袖をチーパオ・スリーブとは名づけずキモノ・スリーブとしたと考えられます。ですから、着物の洋服化(和服の洋服化)においても普遍的であった要素(変わらなかった要素)の一つに広袖が挙げられるわけです。

ナンシー・クワンが演じたスージー・ウォンの黒色ミニの旗袍。よくシース・ドレスの代名詞として引かれます。

ナンシー・クワンが演じたスージー・ウォンの黒色ミニの旗袍。よくシース・ドレスの代名詞として引かれます。 via The World of Suzie Wong (1960) | Pretty Clever Films

着物の袖とキモノ・スリーブとの違い

さて、キモノ・スリーブは辞書で次のように説明されます。

身ごろとそでと一続きに裁った袖のことで、短そで、七分そで、長そでなどとして用いられる。この名称は日本の着物から生れたものである。厳密にいえばキモノ・スリーブは短そでで、肩とそで縫目がないものである。これは日本の着物の身ごろの部分(身ごろは肩幅より広く、そでの部分にまでくいこんでいる)だけをさして、キモノ・スリーブと名づけられたものと思われる。またこれをフレンチ・スリーブ(French sleeve)ということもある。(田中千代『服飾事典』478頁)

しかし、日本の着物は「キモノ・スリーブではなくドロップ・ショルダーというべき」ものであって、「キモノ・スリーブを、日本のきものの特異なたもとをさしていう場合もあ」ります(大丸弘「西欧人のキモノ観」(『国立民族学博物館研究報告』第8巻4号、1983年12月、784頁)。下図の衣服と同様、着物は前身頃の分離した状態で肩と袖が繋がっているので肩から布が垂れ下がった状態になります。それを大丸弘はドロップ・ショルダーだと的確に指摘した訳です。

キモノ・スリーブの一例。ヴィンテージ・プリントのドロップ・ショルダー・キモノ

キモノ・スリーブの一例。ヴィンテージ・プリントのドロップ・ショルダー・キモノ via Vintage Print Drop Shoulder Kimono -SheIn(Sheinside)

1920年代に西洋で日本の衣装が注目されたという糠喜びに浸ったまま、肩と袖が繋がっている点に注視しすぎ、身頃との関係を戦前日本の衣服史家や教育者たちは見過ごしてしまいました。肩と袖が繋がっている衣服全般に対し、その袖を「キモノ・スリーブ」と呼んでしまいました。

チャイニーズ・スリーブ(中国袖)

次にチャイニーズ・スリーブをみると、次のように説明されます。「キモノ・スリーブの極端に短いもので、シナ服に用いられているところからこのようによばれている」(田中千代『服飾事典』480頁)。 フレンチ・スリーブとキモノ・スリーブは代替可能だが、 チャイニーズ・スリーブはキモノ・スリーブの一種だと説明されています。

そもそも、古代に中国から裁縫技術を導入した日本で長期にわたり使用されてきた平連袖(連袖)をキモノ・スリーブという言葉で説明するのは転倒しています。また、現代までの和服・着物は古代から中国で着用されてきた唐服を踏襲しているため、せめて≪チャイニーズ・スリーブの七分袖版をキモノ・スリーブとよぶ≫と説明すべきでしょう。

次の写真は、1920年代に制作された中国服です。腰辺りにまで来ている袖が「キモノ・スリーブの極端に短いもの」といえるでしょうか? おそらく田中千代は、同じ女性用民族衣装として着物に対して民国期旗袍を想像したのでしょう。民国期旗袍は二の腕までの袖丈が多かったのです。

1920年代製、珊瑚のサテンで重く刺繍されたメタリックなチャイナ・ローブ

1920年代製、珊瑚のサテンで重く刺繍されたメタリックなチャイナ・ローブ via 1920s Heavily Embroidered Coral Satin Metallic Chinese Robe – The Vintage Net

日本のファッション用語の限界

日本のファッション用語には「西洋=日本>中国・朝鮮」という構図が塗りこまれており、≪永遠の脱亜入欧≫というしかないような著しい偏向がみられます。換言しますと、日本衣服史研究における衣服形態の説明には、洋服との差異に注目する一方で中国・朝鮮との類似性を無視する傾向がめだちます。一例を挙げましょう。

被服文化史は、日本と西洋をあつかうだけで終るものではない。ここであつかわなかった地域、たとえば、アフリカ、南米、インドなどの被服文化史が成立しないわけではない(元井能『日本・西洋被服文化史』光生館、1970年、3頁)

として、著者の元井能は中国や朝鮮を念頭に置いていません。

以上、ファッションを勉強するには日本語の利用に注意するか利用を控えるのが無難です。私は著書や論文で日本語の用語は補助的に用いるにとどめ、意味を豊富に提供する英語・中国語にもとづいて説明を行なっています。

最後に、このページで見てきた チャイニーズ・スリーブに関する転倒した説明は何も田中千代だけに限られません。田中は戦後の日本ファッション業界に多大な影響を与えた人物の一人で、西洋だけでなく他の諸地域の服装をも丹念に踏査した実績をもちます。中国にも調査に行きました。

しかし、田中から後の世代は脱亜入欧観の悪癖を抜けられず、たとえば、深井晃子監修・文化出版局編『ファッション辞典』(文化出版局、1999年)、バンタンコミュニケーションズ編『新ファッションビジネス基礎用語辞典』増補改訂第7版(チャネラー、2001年)では、「キモノ・スリーブ」や「チャイニーズ・スリーブ」に田中とほぼ同一の記述が確認されます。後者は増補改訂版ですが、比較的古くから知られているチャイニーズ・スリーブに関する修正は未だに行なわれていません。

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