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ジーン・ミュア : Jean Muir

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ジーン・ミュア

ジーン・ミュア Jean Muir は、1928年にイギリスのロンドンに生まれたファッション・デザイナー(間違いだが長音でジーン・ミュアーとする人も多い)。1970年代のイギリス・ファッション界でトップ・デザイナーと認知されています。「ファッション」という名詞を極端に嫌ってタイムレスなのに斬新でもある作品を作り続けました。

ジーン・ミュア

ジーン・ミュア(Jean Muir)via Jean Muir – Fashion Designer

経歴

ジーン・ミュアはベッドフォード・ガールズ・モダン・スクールで教育を受けました。彼女は6歳までに編物・刺繍・裁縫ができたといわれます。

(後にデイム・アリス・ハープル・スクール、2010年からベッドフォード・ガールズ・スクールに合併)

17歳の時に学校を辞め、ベッドフォード・タウン・ホールの選挙登録事務所で働きます。ロンドンへ移り弁護士事務所で仕事をした後、1950年に生地の有名ブランドであるリバティ社(Liberty&Co)で在庫管理の仕事をしました。同社では店頭販売で売り上げにも貢献します。

ファッション・デザイナーへ

彼女は正式に芸術大学で教育を受けていませんでしたが、売上への貢献を機に同社既製服部門でコレクション用のスケッチをする機会を得ました。これがデザインの訓練に役立ち、1956年にイエーガー社(Jaeger; 現イエーガー・ロンドン)のデザイナーに就職しました。そこで彼女はファッション・レーベルの開発に協力します。

1992年にヘリオット・ワット大学(Heriot-Watt University)から名誉博士号を取得しました。

同社でデザイナーとして5年間勤めました。ジャージー・ドレスのメーカーに勤務するデヴィッド・バーンズが退社直後のミュアにアプローチします。バーンズはミュアを取り込んで大衆路線で市場拡大を狙っていましたが、ミュア本人は大衆市場向けのデザインをやりたがらず辞退しました。

ジェーン・アンド・ジェーン社(Jane and Jane)

バーンズは懲りずにミュアに対してデザイナーズ・ブランドの資金提供を申し出ます。ミュアはそれを快諾し1962年にジェーン・アンド・ジェーン社(Jane and Jane)が設立されました。そこでミュアは自分の名を商標にしてデザインを発表しました。ミュアは同社で5年間働きました。

当初からミュアのデザインは控えめな表現と簡単なフィット感を示し、これが彼女のデザイン・シグネチャーになりました。ジェーン・アンド・ジェーンは既製服ファッション業界にオート・クチュールの基準と品質をもたらした最初の企業の1つでした。ミュアは自分のデザインの多くでリバティー生地を使いました。ジャージー地の衣装が多いのも同社での経験が大きかったと思われます。

ジーン・ミュアが自社を開店してからジェーン・アンド・ジェーンは既製服ファッション・ハウスのスーザン・スモール(Susan Small)に売却されましたが1970年に閉店します。

独立 : ジーン・ミュア社を設立

1966年8月にノートン・ストリートでジーン・ミュア社(Jean Muir Ltd)を設立(67年説あり)。同社はジーン・ミュアと夫のハリー・ロイッカートが共同出資して設立。最初のコレクションを10月に発表。1971年にジーン・ミュア社はニューヨークに支店を出しました。

Jean Muir dress

1985年からジーン・ミュア社の持株の大半はコースツ・グループ公開有限会社(Coats Group plc)に保有されました。同社は英国の多国籍企業で、世界最大の縫糸や補給品の製造販売会社かつ、YKKに次ぐジッパーとファスナーの2番目に大きなメーカーです。後にミュアは同社から所有権を取り戻しました。

彼女は自社でクチュールの伝統を発揮し、時代を超えた正統派の作品を生み出して高い評価を受けました。

この系列に属するデザイナーにはミユアーのほかに、1964年にデビューしたシア・ポーター(Shea Porter)、1962年に活動を開始したマダム・アスティエ(Madame Astier)らがいます。またクリストバル・バレンシアガの弟子の一人で、帽子のデザイナーから出発したアドルフォ・サルディーニャ1962年にニューヨークに<アドルフォ>の名前でメゾンを開店しました。

作風

ジーン・ミュアは「ファッション」という名詞を極端に嫌い、動詞として(to fashion)認めると断言していました(外部リンク「Jean Muir dress」)。タイムレスでシックなのに斬新でもある作品を作り続けました。

着やすく親しみやすいスポーティーなエレガンスを得意とし、ブルーマー・ドレス、柔道着のようなラップ・コート、レザーによる当時の女性らしいデザインが有名。彼女は色使いに完璧主義を求め、理想的な色調を達成するために繊維工場や染色業者と緊密に協力しました。

ジェーン・アンド・ジェーンで確立されたデザインをミュアは自社で継承しました。ミュアはシルク、カシミア、ジャージー、クレープなどの最高品質の生地を使い、形状と流動性に重点を置きました。彼女は柔らかい皮と柔らかいスエードからコートとジャケットを作りました。

次の外部リンクはバターリックの型紙セット。「Butterick 4577 | Vintage Sewing Patterns | FANDOM powered by Wikia」。「Young Designer London: Jean Muir」と記されています(顔写真付き)。前身頃に落ちるウエスト・ラインとプリーツの入ったミニ・スカートのアンサンブル。

Butterick 4577
Butterick 4577; ca. 1967; Designer Jean Muir mod dress with scooped dropped waistline in front and a pleated short skirt. Model is Celia Hammond.

またプリント生地をめったに使用せず不要な装飾を避けました。彼女が装飾を施した箇所には機能的ボタン、補強した袖口、ネックラインに平行なトップ・ステッチを入れるなど工夫しました。1980年代になるとミュアは衣服にスパンコールを飾る時もありました。

1964年、リバティー社製絹織物を用いたジェーン・アンド・ジェーン社在籍時のドレス3点でドレス・オブ・ザ・イヤー賞を受賞(合計2回)。これらのドレスは1963年にイングランド・サマセット・バース市に開館したアセンブリー・ルームズ・アンド・ファッション博物館(The Fashion Museum in the Assembly Rooms)に「Dress of the Yearコレクション」の一部として保存されています。

一目惚れ

タイトですがジャージー生地なので動きやすいイヴニング・ドレス。ミュアは配色にこだわったとされますが、他方でシックな色のドレスも多く作っています。たった一色でインパクトのあるこのドレスは格好良いです。

ジーン・ミュア 「イヴニング・ドレス」1995年。

ジーン・ミュア「イヴニング・ドレス」1995年。via Evening dress | Jean Muir | V&A Search the Collections

典拠元のVAMの解説によりますと、ジャージー地にスパンコール少々。ミシン縫製とのこと。1995年、ミュアにとって最後のコレクションとなった一つです。タイムレスという彼女の作風が最後まで貫かれたことを感じます。

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