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スタイル用語集 : 1日1個 平日配信
新しいファッション史

モードの世紀は、人類のファッション史をまとめ直し、躍動感ある歴史を描きます。
主にフランス、イギリス、イタリア、アメリカ、中国、台湾、日本に注目します。

これまでのファッション史は西洋か日本か、意味不明の二項対立に固執しました。
和洋。何て厚かましい言葉でしょう。

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ジャン・キャシャレル : Jean Cacharel

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ジャン・キャシャレル

ジャン・キャシャレル Jean Cacharel は、ジャン・ブスケが1962年パリに開いたフランスの既製服メーカーです。キャシャレルとはプロヴァンス地方カマルグに生息する美しい鳥の名前です。

ジャン・キャシャレル : 呼称の由来となったキャシャレルの鳴鳥(フランスのカマルグ)

キャシャレルの鳴鳥(フランスのカマルグ)via Whinchat (Saxicola rubetra) at Chacarel in the Camargue

ジャン・ブスケの略歴

ジャン・ブスケ Jean Bousquet は1932年に縫製機商人の息子としてフランスのニームに生まれました。身につけたテーラー技術は婦人服製作に大きく活かされ、若さとスポーティ感覚で、フランスのスポーツウェア界の第一人者と目されるまでになりました。何しろ彼の服はあまりに新鮮で若々しかったために、着たモデルがかえって老けて見えたといわれました。

テーラーに興味をもって技術学校に通い、紳士物のテーラリングの資格を取った彼は、メンズ・ウェアのデザインに限りがあることをさとり、才能がもっと広く生かせる婦人服デザインに志望を一転。1956年にパリへ渡り小さな店を開いてシャツを制作しました。

この店では、男のシャツを婦人ものにアレンジしたスキニー・シャツが評判をよび、ステイタス商品にさえなりました。続いてバミューダ・パンツ、キュロット・スカートに持ち前の新鮮さを発揮。その間、後にプレタポルテの第一世代のデザイナーとして活躍するエマニュエル・カーンをスタイリストに起用。

パリは当時、オート・クチュールの勢いが強く、戦後のベビーブーム世代がティーンエイジャーとして新たな消費者になろうとしていた時期でもあり、最初のプレタ・ポルテのデザイナーたち、つまり、ジェラール・ピパールやダニュル・エシュテルらが活動を始めていました。

キャシャレルの創業と店舗展開

踵を同じくして1962年にブスケはキャシャレルを創業。ターゲットをマス・マーケットに向けたキャシャレルの成功へ道は初のコレクションで見せたクレポン(楊柳)素材のシャツ。この素材は、シャネルが使用したジャージーと同様、下着用の素材だった。

1963年には、胸ダーツのないカラフルなシアサッカーのシャツを当時の人気モデルのニコルが着用し、雑誌「ELLE」の表紙を飾ることとなる。また、1965年には英国のリバティ社製の伝統的な花柄プリントを、よりモダンにリニューアルしたコットン・シャツが大流行。男物に近いシンプルなシャツは、ニットに以上の着心地を保証し、今でもコレクションには欠かせない定番となっている。

1966年には義妹のコリーヌ・グランヴァル(現サリュー)がデザインを手がけるようになり、1967年からは、コリーヌの親友、サラ・ムーンがイメージ広告を担当した。幻想的でロマンティックなキャシャレル・ガールは、1970年代のファッション・イメージ広告の先鋭ともなった。1969年には子供服のコレクションを発表、輸出部門のオスカー賞を獲得した。

1978年、高級志向のジーンズ・ファッションを発表してジーンズに新生面を打出し、スポーツ・ジャケット、セーターなども手がけて事業を拡充していった。ライセンス・アイテムとしてスカーフ、寝具類があり、マッコール・パターンと提携してホームソーイング用の服地を開発した。

香水でも1978年に若々しい花の香りの「アナイス・アナイス」が発売され、これも81年には香水部門で世界最多販売を記録。以来ベストセラーを誇り、現在でもパリのリセエンヌの定番の香りとなっている。その後の「ルル」(1987年)、「エデン」(1994年)、「ノア」(1998年)も成功。

2000年10月のパリ・コレクションで、キャシャレルが20年ぶりにショーを行ったことの意義は大きい。話題はロンドンの人気デュオ、クレメンツ・リベイロをデザイナーに迎えてブランド・イメージの大リニューアルを行ったことに集中したが、より重要なのは、このプレタポルテ(既製服)のメーカーが、今世紀の私たちの衣生活を振り返ちせてくれたことだろう。

現在でもジーンズ・ライン、メンズ、ライセンスにも積極的で展開もグローバル。日本人の田山淳朗がデザインを担当した1990年代初期には脅威的に売り上げを伸ばしたが、以後、日本のアパレル業界に革命を引き起こした彼のマーケティング能力は、この1990年代のキャシャレルで徹底的に培われたものである。

ブスケは、1983年に故郷ニームの市長に選出されてから1995年までは政治活動にも力を注いでいたが、ファッション界で大手資本による吸収合併の動きが急速に強まってくると、キャシャレルも大きな経営的決断に迫られた。そして1998年、プレタポルテのパイオニアとして、その成長を一線で引っ張ってきたブスケらしく、大資本と手を組むことなく家族経営を貫くことに決め、最も活気溢れた1970年代の原点をみつめながら、新生キャシャレルへと改革に乗り出す。クレメンツ・リベイロというセレブリティに人気の高いスターデザイナーの名前を前面に出した積極的なアプローチは、キャシャレルにはかつてなかったものである。

キャシャレルの作風

キャシャレルの基本的な特徴は、体を締めつけない、女性がほっとするような服。買いやすい価格と、クラシックでもありスポーティな組み合わせ自由の上下服。二十世紀を特徴づける大衆性と若さを備えたキャシャレルの、まさに日常のアイテムが、拘束的な下着から解かれた自然な身体への意識を育み、数ある服から自由に上下をコーディネートして思い思いに個性を演出するという服の着方を後押ししたのである。

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