グッチオ・グッチ : Guccio Gucci

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グッチオ・グッチ

グッチオ・グッチ : Guccio Gucci がイタリアの馬具メーカーとして1921年に創業した老舗。

グッチオ・グッチは、1881年フィレンツェ生まれ。1921年にフィレンツェにおいて革製品の販売を中心に創業。当初は旅行鞄と馬具を中心にした皮革製品の販売を行なっていたが、徐々に事業を拡大、ハンドバッグや小物の販売も手がけた。デザイナーの名前を入れて製品を販売した元祖である。

2次世界大戦の影響で、1935年に、国際連盟による経済制裁が行なわれた。同盟国側だったイタリアは他国との貿易が禁止され、皮革の入手が困難となったグッチの経営は危機に瀕した。しかし、グッチオは息子とともに、確保していた原皮を減らさないように、皮革以外の素材をミックスして製品を作ることを考案。これが、竹と革を組み合わせた47年に製品化される「バンブー・バッグ」の始まりである。

1938年、息子のアルドは自社製バッグに自らがデザインを引き、自分のイニシャルのGをふたつ組み合わせた、いわゆるGGマーク(GW)を完成させた。翌39年からは息子たちが本格的に事業に参加することとなった。52年には金具のついたモカシンを発表、56年にはグレース・ケリーのためにデザインされた花柄の「フローラ・スカーフ」が登場。この時期、息子アルドたちの協力もあり、急速に事業を拡大。イタリア周辺諸国、さらに、1953年には合衆国へと展開した。

こうして、195060年代には、バンブー・バッグとビットモカシンという、グッチの典型的な作品が広く認識されるようになった。またたく間に、グッチの製品は、優雅で高貴なイメージやシンボルとなり、オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)、ジャクリーン・ケネディ(Jacqueline Kennedy)、マリア・カラス(Maria Callas)、ウィンザー公夫妻(Duchess of Windsor)らが愛用。

しかし、1953年のグッチオの死後、経営的な内部紛争が絶えず企業改革に苦心する時期がつづき、コピー製品に関する法廷闘争の疲弊も相まって、70年代から80年代にかけてグッチ・グループは経営に行き詰まりをみせる。とはいえ、70年代には、東京店と香港店をはじめ世界中に急速に拡大。また、80年代にロゴを捺染したバッグが流行し、プレタポルテにも進出した。

1978年、グッチは、オランダのアムステルダムに本社を構えグッチ・グループ(Gucci Gourp NV)社としてリスタート。主力は、ハンドバッグ、小物、カバンなどの革製品をはじめ、靴、ネクタイ・スカーフ、既製服、時計、贈答品、宝石、眼鏡、香水に及ぶ。82年には株式会社となり、後、グッチオの孫マウリッチオに経営権が委譲され、8789年にかけて投資家グループのインヴェストコープへ株式の50%を売却。93年には経営権を完全にインヴェストコープへ譲渡した。

以後、グッチ・グループは抜本的な企業改革に着手。94年に、ドーン・メローの後継としてクリエイティブ・ディレクターにトム・フォードを迎えた。トム・フォードは伝統と歴史に現代的なトレンドをミックスした新しいブランドイメージを作り上げ、華々しいイノベーションを遂げた。94年に売上が倍増したのは世界中の話題となった。

95年にマウリッチオ・グッチが射殺、パオロ・グッチも死去。ここにグッチ家は全滅したが、ドメニコ・デ・ソーレをも迎えたグッチは、バッグや衣服はいうまでもなく、香水、腕時計、宝石をも扱うことによって、国際的なファッション業界におけるグローバル企業へと会社を再生。

しかし、トム・フォードとドメニコ・デ・ソーレは、20044月にグッチとの契約が切れることになっており、彼らを取り巻くフランスの小売大手ピノー・プランタン・ルデュート、グッチ・グループ監督委員会などの今後の動向が注目される。

1999年現在でのグッチ・グループは、従業員1504名をかかえ、業績は、売上高1042百万米ドル、営業利益281百万米ドル。財務内容は総資産で914米ドルである。ちなみに、カジュアル・ウェアを中心としたアパレル専門店「ギャップ」の同年業態を付記しておくと、売上高9054百万ドル、営業利益1659百万ドル、総資産3964百万ドルと、(米ドルとドルの調整を無視すれば)グッチ・グループを軽く上回っているのがブランド界、ファッション業界の現状。なお、グッチ・グループ・ジャパンはインポート・ブランド。レディース、メンズを扱う。

また、1999年にモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン社(LVMH Moet hennessy Louis Vitton)がグッチ・グループの買収に興味を示したことは記憶に新しい。