フェティシズム
フェティシズム : fetishism(略してフェチ)とは「迷信の対象、盲目的崇拝の対象、呪物対象」などの意です。また「部分的な物や切り離された物への愛着」の意味もあります。
フェティシズム(fetishism 呪物崇拝)が極度になれば「性的倒錯」「異常性欲」の意も持つといわれてきました(その批判は次段落に後述)。表記上フェチシズムとされることもありますが、発音すると呂律が回りにくいです。

マドンナ「秘密芸術プロジェクト」のキャンペーン写真。「ハーパース・バザー」誌2013年11月号に掲載。マドンナは当時55歳で多くの高級アクセサリーを付けることをを恥ずかしがりました。そして、フェティッシュなのチェーン・メールを求めました。撮影はテリー・リチャードソン(Terry Richardson)via MADONNA DRESSES TO THRILL | BLENDBUREAUXBLENDBUREAUX
倒錯?異常?
「性的倒錯」「異常性欲」については慎重に考えなければなりません。フェティシズムの説明に倒錯や異常と述べるのは1960年代の辞書から一貫しています。最近のファッション辞典は実質的に1960年代・1970年代に作られた辞書を踏襲しているので今でも倒錯や異常と説明されます。
しかし、フェティッシュ・ファッションやフェティシズムが普及している現状を見れば、一旦普通のことと捉えなおす必要もあります。
資本主義社会が進行するにつれ「倒錯」や「異常」の基準は目まぐるしく変わるので、一概にダメな印象を持っても仕方がありません。ミシェル・フーコーが言ったように≪正常は異常・異常は正常≫という側面もあるからです。逆に≪正常は正常・異常は異常≫も正しいので、現代社会は判断の難しい段階にあります。
フェティシズムの2重の意味
フェティシズムには2重の意味があります。一つは謎めいていると同時に、偽物・人工物・見栄っ張りな物・魔法物だということです。私はマドンナの大ファンですが、彼女自身が人工物に思えて仕方ありません…。
フェティッシュ・ファッション
フェティッシュ・ファッション fetish fashion とはフェティシズムに基いたファッションのことです。フェティシズムはファッションにおいてSM系(サド・マゾ)やボンデージ系の≪いかがわしい≫とされる官能的なルックスを指します。この点はマドンナを中心に後述します。
注意してほしいのですが、SMやボンデージでイメージされる主従関係はフェティッシュ自体ではありません。あくまでもフェティシズムとは物神崇拝・部分崇拝です。
フェティシズムの幻想のなかで部分と全体の倒錯は大きな意味を持つ。そこでは部分は全体とのつながりを失って、勝手に動きまわり、自分の存在を強力に主張する。(飯沢耕太郎『写真とフェティシズム』134頁 to amazon.jp)
フェティシズムにSMやボンデージの印象と結びつくのは、現代社会が建前上は平等社会になっているからです。つまり、主従関係や封建制は過去のものとなり、現実のものでは無くなったので崇拝対象となるわけです。
人気素材や人気アイテム
フェティッシュ・ファッションで好まれるものには人工物または人工要素の強いものがほとんどです。既に与えられた物(付与の物)や自然物は余り崇拝対象になりません。
人気素材には革製品(ラバー、レザー、ゴム、ラテックスなど)やナイロン製品があります。人気アイテムには靴、手袋、コルセット、メガネなどがあります。中でも脚部のアイテムに人気が集まり、特にハイ・ヒールやブーツ、それにストッキングやタイツなどが挙げられます。先に示したマドンナの靴はラバーのサイハイ・ブーツ。SMでサディストを務める女性がよく履くブーツです。(amazonでサイハイブーツを探す)
意味と嗜好のまとめ
フェティシズムの意味や嗜好は次のようにまとめられます。
- フェティシズムとは物神崇拝・部分崇拝である
- 偽物・人工物が対象になりやすい
- 既に与えられた物(付与の物)や自然物は余り崇拝対象になりません
- 主従関係は直接にはフェティシズムではない
まだ説明しきれていない点があります。付与の物はフェティシズムの対象になりにくいのに、過去の物は対象になりやすい点です。
付与の物は既に作られていて私たちが手にすることができますが、過去の物は既に作られた物でも私たちは生活で使ったり依拠したりできません。つまり、付与の物のうち過去の物は私たちから切り離されているのでフェティシズムの対象になるということです。
次にフェティシズムという言葉の歴史を探っていきましょう。
言葉の歴史
日本でフェティシズムやフェティッシュ・ファッションが注目され始めたのは1990年代後半のことですが、欧米では19世紀から精神分析学的にも経済学的にも、そしてファッション的にも重視されていました。
宗教学・人類学的な意味
フェティシズムに関する学説は宗教学や人類学から起こりました。
フェティシズムやフェチ崇拝者に関する宣教師や学者たちの論文は、木や粘土を崇拝したり偶像を崇拝したりする人々の無礼な宗教態度を非難したものでした。19世紀の初めにフェティシズムという言葉は既に非合理的に尊敬されていたもの全てを指すようになりました。
経済学的な意味
その後、マルクス主義による解釈が出てきました。カール・マルクスは錯誤意識と疎外の概念を用いて商品世界の魅力を分析しました。これは彼の主著『資本論』の第1部に収められている「物神崇拝」の箇所で論理的に説明されています。
マルクスによれば消費財の消費は疑似満足を与えます。階級意識が欠如している場合に労働者は労働生産物に秘密の価値を与えます。その価値によって全ての労働生産物は解読可能な社会的象徴に変換されます。つまり、特定の消費を目的とした生産物に社会的な象徴性が備わって、本来の消費とは違う用途や消費が発生する訳です。
たとえばブーツは履く物ですが、頬擦りする物ともなるわけです。消費目的のズレという点でこれは消費者フェティシズムと呼べます。
心理学的な意味
現在の心理学的な意味でフェティシズムを初めて使ったのがアルフレッド・ビネットです。彼のエロティック・フェティシズムの概念は性的逸脱の他の研究群に用いられました。
彼の造語には有名なサディズム(マルキ・ド・サドの後)やマゾヒズム(ザッヘル・マゾッホ後)があります。マゾッホはフェティシズムの古典小説『毛皮を着たヴィーナス』の著者です。
映画学的な意味
こうして「フェティシズム」という言葉にはますます多くの意味が含まれていき、異なる言説が重なり始めました。セクシュアリティに留まらない、権力と感覚・知覚の映画学者リンダ・ウィリアムスは、ポルノ映画を見ることで外部射精することをフェティシズムだと位置づけました。相手の人体から切り離されたエクスタシー(つまりマスターベーション)がフェティシズムだという訳です。社会が豊かになれば(ものが豊かになれば)マスターベーションが増えるとよく言われるのはそのためです(マルクス的にいえば自然疎外後の人間疎外)。
消費者フェティシズムの精密化
マルクスの『資本論』が刊行されて以来、消費者フェチシズムの概念は精緻化されてきました。
たとえば
- マルクスのいう商品生産とは対照的に社会学者のソースティン・ヴェブレンは、着る時に人間に威信を与えるような衣服を例に典型的な商品消費を強調しました。(to amazon.jp)
- ゲオルク・ルカーチは資本主義がどのように物や人々を抽象化するかを描くために、階級意識という統一概念を使って消費フェティシズムの分析を推進しました。(to amazon.jp)
- 最近では文化批評家のジュディス・ウィリアムソンが『消費の欲望―大衆文化のダイナミズム』で、商品が言語的な使用法やある種のイメージによっていかに混乱しているかを分析しました。(to amazon.jp)
- ジャン・ボードリヤールはこの混乱の自律性を詳述することで、消費者フェティシズムの伝統的なマルクス主義解釈をさらに進めました。(to amazon.jp)
- 他方、色んなフェミニストたちは資本主義社会において女性がフェティシズムの対象とされてきた点を分析してきました。
ボンデージ
フェティシズム・ルックの代表的な衣装にボンデージが挙げられます。ボンデージ Bondage とは拘束や束縛の意味から派生して(SMの)奴隷の身分の意。衣装では拘束性の強いものがボンデージ・ファッション(ボンデージ・ルック)と呼ばれます。
もとは、SM(サド・マゾ)の世界で使われていた用語ですが、ファッション界ではヴィヴィアン・ウエストウッドが積極的に取り入れ、パンク系のファッションがその典型となりました。ストリート・ファッションから生まれたこの傾向は、1992年・1993年秋冬のパリ・コレクションで洗練された形で登場し注目を集めました。
ジャンポール・ゴルチエは世界的な歌手であるマドンナにボンデージ・ファッションを提供するファッション・デザイナーです。マドンナはライブやメディアでボンデージ・ルックをよく用います。ゴルチエは自分が最初にデザインしたフェティッシュ・ファッションはコルセットだったと振り返っています。彼の作品に編みあげのコルセットが多い源流は1930年代から一般的だったポルノ写真の定番です。コルセットが過去のものとなり始めた時、まさにそれは物神崇拝の対象となりました。
ボンデージ・スーツ
ボンデージ・スーツ Bondage Suits とは皮膚にびつたり密着し、体を締め付け拘束する服。黒い草やエナメルなど、ハードな素材の特殊なデザインが徐々にファッション化し、体のフォルムを強調する服を指す意味も持つようになりました。1990年代の身体意識の高まりにより流行したと言われます。ミシェル・ファイファーの主演した映画『バットマン・リターンズ』でのキャット・ウーマンの衣装は典型的なボンデージ・スーツです。

ミシェル・ファイファー演じるキャット・ウーマン (c) 2005 Warner Bros. Entetainment Inc.
ボンデージ・ルック
ボンデージ・ルック Bondage look は身体を無理に締め付けるようなラバーやエナメルのパンツ・スーツ、編み上げブーツなど、ハードで官能的なファッション。
批評とまとめ : フェティシズムとフェティッシュ・ファッション
アルフレッド・ビネットの限界 : サド・マゾは対語か?
彼の造語に有名なサディズムとマゾヒズムがあると述べました。今でもよくサドマゾと呼ばれ対語として使われていますが、噛み合わない言葉を混ぜていて間違い。
マルキ・ド・サドの本とザッヘル・マゾッホの本を読み比べれば分かりますが、前者は封建主義的な主従関係であり、後者は個人主義的な主従関係です。前者には拘束(ボンデージ)があり後者には自由があります。言いかえれば身体的・物理的主従関係が前者、そして後者はむしろ精神的主従関係です。そこに登場する毛皮のビーナスは女王様(主人)だとしても、サドの小説に出てくるタイプの主人ではありません。
私たちとフェティシズム
冒頭で述べたようにフェティシズムとは部分への愛や崇拝です。アイドル・ファンからマニアックな靴フェチやパンストフェチまで、フェティシズムは私たちの社会に入り込んでいます。私たちは前近代のような自然と一体化した社会に戻ることや私たち自身が一体化することは出来ません。
また、フェミニストたちが指摘したようなフェティシズムの犠牲者としての女性という文脈は今では通用しません。女性たちもまた男性をアイドルとしてフェティシズム化されているからです。消費者としては男女平等は実現しました。
将来のフェティシズム
今後は恐らく、いろんな面で一体化が剥がれていき、あらゆる事物がフェティシズムの対象になっていくと思われます。私たちの身の回りの物だけでなく、過去の事物もそうです。レトロ、ヴィンテージ、アンティークと呼ばれる事物もフェティシズムの対象です。そして、人間の一部分だけでなく人間自体もいつかフェティシズムの対象となるかもしれません。
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