恋する惑星 : 錯綜する距離感とその楽しみ方

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恋する惑星 : 錯綜する距離感とその楽しみ方

恋する惑星 Chungking Express(重慶森林)は狭く雑然とした重慶マンションとその周辺を舞台に5人がみせる束の間で切ないの恋を描いた映画です。麻薬運び屋、二人の警官、ウェイトレスとスチュワーデス。大きな物語を排除し、さまざまな笑いや切なさをワンシーンの威力に込めた新しいスタイルです。『恋する惑星』を支配しているモードは距離感です。

恋する惑星 : この写し方が面白いです。

この写し方が面白いです。 (c) 1999 Block 2 Pictures Inc.

『欲望の翼』を完成させた王家衛が4年の沈黙を経て香港で公開した『恋する惑星』は流動性と遠近感を楽しめる映画で、前作ほどの過激なストーリーを避けています。手持ちのカメラや既成の光源だけによるライティングという簡潔な撮影方法に頼り、リズミカルな速度と映像的なリアリティを遺憾なく発揮した『恋する惑星』は、王家衛(ウォン・カーウァイ)監督作品のなかでも人気が高く、この映画からファンになった人も多いです。

ブリジット・リンは映画でサングラスを外しませんでした。

ブリジット・リンは映画でサングラスを外しませんでした。 (c) 1999 Block 2 Pictures Inc.

(c) 1999 Block 2 Pictures Inc.

「いくつかの短編小説を集めたもの」と制作意図を語る王家衛は『欲望の翼』のラストで唐突に登場した梁朝偉を『恋する惑星』の主役に据えました。この作品は2つのストーリーに分かれています。前半は、ブリジット・リン(林青霞)が演じるドラッグ密売の元締めと、金城武の演じる若い刑事との奇妙な一夜の出会いと別れ。後半は金城武の扮する刑事がよく立ち寄っていたファースト・フード店の売り子のフェイ(王菲, フェイ・ウォン)と警官(梁朝偉, トニー・レオン)とのドラマです。

恋する惑星 : 楽しみ方

この映画が2つのストーリーから成り立っているとはいえ、一瞬だけ、ブリジット・リンとフェイ・ウォンが同じ場面に登場します。ぜひ探してみて下さい。

王菲(フェイ・ウォン)と林青霞(ブリジット・リン)の擦れ違い。

王菲(フェイ・ウォン)と林青霞(ブリジット・リン)の擦れ違い。 (c) 1999 Block 2 Pictures Inc.

この2つのドラマには謎めいた雰囲気が最後まで漂っています。前半では、林青霞は名前もなく、金髪の髪と黒のサングラスをつけたままです。彼女は麻薬の密売を手伝わせた連中に持ち逃げされ、愛人である白人男性にも裏切られ、過激な暴力の場に駆り立てられます。

密売組織のアジトが私には意外でした。数名の男性・女性の衣服や携行品に詰められるだけの粉末麻薬を入れるわけですが、その場所が色々で、縫いつけるためにミシンが大活躍…(笑)。

まず、ズボンはこういう具合です。麻薬を隠すためにミシンを使ってズボンに細工をしている場面です。

麻薬を隠すためにミシンを使ってズボンに細工をしている場面。

麻薬を隠すためにミシンを使ってズボンに細工をしている場面。(c) 1999 Block 2 Pictures Inc.

(c) 1999 Block 2 Pictures Inc.

次に靴はこんな具合です。これも麻薬を隠すためにミシンを使っています。ただし、このミシンは縫床が特殊でした。

麻薬を隠すためにミシンを使って靴に細工をしている場面。

麻薬を隠すためにミシンを使って靴に細工をしている場面。(c) 1999 Block 2 Pictures Inc.

既に1860年頃には、縫床が棒状になっている靴修理用のミシンが開発されていました。次のイラストはシンガー社の靴修理用ミシンです。縫床が棒状になっていて、オプションの平板を付ければ普通のミシンとしても使えます(詳細はこちら)。

Singer 29K54 靴修理用八方送りミシン

Singer 29K54 靴修理用八方送りミシン。出典:砂田亀男編『特殊ミシンカタログ全集』日本ミシン商工通信社、1936年、16頁。

さて、この麻薬に関わる一連の場面で、ブリジット・リンの内面的な描写は徹底して避けられています。先に掲げたサングラスの場面を思い出して下さい。金城武とホテルに宿泊した一夜も、彼が彼女のハイ・ヒールを磨く傍らでひたすら眠りつづけています。翌朝、二人は既に見知らぬ者どおしとなって街へ消えていきました。

金城武が磨き続けたブリジット・リンのハイ・ヒール・シューズ。

金城武が磨き続けたブリジット・リンのハイ・ヒール・シューズ。 (c) 1999 Block 2 Pictures Inc.

後半の謎はさらに大きい。『恋する惑星』を支配している距離感というモードが多数の人々に発生します。梁朝偉の演じる警官が、恋人のスチュワーデス(周嘉玲)に振られる場面からこのドラマは始まります。

やがてファースト・フード店の売り子フェイと知り合うが、彼を好きになったフェイは無断で彼のマンションに出入りします。彼女は恋する梁朝偉の家で彼の不在中にひたすら掃除をするのです。フェイが掃除をする場面ごとに、警官とスチュワーデスとの恋愛まつわるストーリーがコミカルに縫い込まれていますが、フェイはスチュワーデスが好きだったCDを自分のお気に入りのものにすり替えるなど、大胆で面白おかしい悪戯を続けます。そして、なんとドラマの最後では、フェイがスチュワーデス姿で(前半のブリジット・リンのサングラスをかけながら)登場し、意中の警官は、いつの間にかファースト・フード店閉店後のカラオケ店長となっています。

トニー・レオンとフェイ・ウォンのちぐはぐな距離感。

トニー・レオンとフェイ・ウォンのちぐはぐな距離感。 (c) 1999 Block 2 Pictures Inc.

梁朝偉と王菲。二人のちぐはぐさが楽しいこのように『恋する惑星』では役柄の整合性によって観客にストーリーや場面を理解させるという当然の前提が無視されています。王家衛は、かつて「俳優が私の映画を全く理解していないことを望んでいる」と語ったことがあるが、『恋する惑星』はその方法が貫かれた作品です。当然、舞台が香港という固有名詞を備えている必要もなく、原題が示すとおり、重慶マンションと森林という二つのジャングルがこの映画の醍醐味になっています。ジャングルでは、二人の男女が向かい合っても、その遠近に違いが生じてちぐはぐになってしまう。『恋する惑星』はその遠近感の違いを充分に堪能させてくれる名作です。

衣装スタッフ

  • 美術総監(Production Designer) : 張叔平(William Chang Suk Ping, ウィリアム・チャン)
  • 美術指導(Art Director) : 邱偉明(Alfred Yau Wai Ming, アルフレッド・ヤウ)

ウォン・カーウァイ(王家衛)『恋する惑星』1994年、香港

映画評

  • 金城武とブリジット・リン、トニー・レオンとフェイ・ウォンという2組のカップルを軸に構成される新しい感覚の恋物語。カメラ・ワーク、美しい色使い、印象的な音楽と、どこをとっても文句なしの作品。これでウォン・カーウァイ・ワールドにはまる人も多いのでは。(Cut, no. 43, 1995, Sept,  p.71)

Excerpt about Chungking Express in English

Chungking Express, drug traffickers & two cops, waitresses & stewardess. Five love between five people with a narrow and cluttered Chongqing Mansion and its surroundings set in love. The new style excludes a big story, and puts various laughs and sadness into the power of one scenes.