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カトリーヌ・ドヌーヴ : Catherine Deneuve

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カトリーヌ・ドヌーヴ

カトリーヌ・ドヌーヴ Catherine Deneuve は、1943年10月22日、フランスのパリに生まれた映画女優です。

カトリーヌ・ドヌーヴ : 「ヴォーグ」フランス版(1973年10月号)の表紙を飾ったカトリーヌ・ドヌーヴ。

「ヴォーグ」フランス版(1973年10月号)の表紙を飾ったカトリーヌ・ドヌーヴ。Catherine Deneuve, Vogue, Paris, 1973.10

両親・姉も俳優で、姉はフランソワーズ・ドルレアック(67年に交通事故死)。中学生の頃から、幾つかの作品に端役で出演。デビュー作は『Les Collegiennes』(1956年)ですが、本格デビューは準主役の『Les Portes claquent』(60年)。翌年『パリジェンヌ』で主役の一人に抜擢され、第4話に出演しました。

輝いた1960年代

1960年代前半

1962年に、マルキド・サド原作『悪徳の栄え』で大注目を受け、ジャック・ドゥミ監督『シェルブールの雨傘』で人気は決定的になりました。これは、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞のミュージカル映画。ダイナミックなハリウッドのミュージカルとは異なり、メランコリーな感じが強い作品です。

次いで『反溌』(1965年)。セックスに嫌悪感を抱く少女が、次第にセックスに狂っていく役を上手くこなしました。この作品を機にドヌーヴは、女性のもつ愛憎・欲望などを表情や仕草だけで表現する力を発揮し、外面・内面を備えた女優として評価されるようになります。

1960年代後半

1960年代後半は傑作ラッシュのうえアメリカに進出し、「世界最高の美女」という肩書きがつきました。アメリカでの最初のヒットは、ジャック・レモンと共演した『幸せはパリで』(68年)。

これを機に、彼女のポートレートは「ニューズウィーク」、「ライフ」といった国際的な雑誌の表紙を飾るようになります。アメリカでは、官能、退廃、背徳などの表現力ゆえに「魔性の美女」とも呼ばれました。

ドヌーヴが国際的に知名度をあげていた1968年、ザ・サンデイ・タイムズ・マガジン(The Sunday Times Magazine)のジャーナリストであったフランシス・ウィンダムがよく彼女を取り上げました。そして、次のように述べています。

彼女は手際がいいし、かなり文学的な心をもっていて、そのうえ活発で優雅な作法を身につけている。また、気強い半面で打ち解けやすくもある彼女は逆説的な料理「ショーフロワソース」に似ています。

カトリーヌ・ドヌーヴ。マン・レイ撮影。1968年。

カトリーヌ・ドヌーヴ。マン・レイ撮影。1968年。Catherine Deneuve, photographed by Man Ray 1968 Photo: Man Ray Trust/ DACS/ ARS/ ADAGP via Catherine Deneuve interview: Man Ray and me – Telegraph

この時期、他にも、ルイス・ブニュエル監督の『昼顔』(1966年、Belle de Jour)、当時姉の恋人だったフランソワ・トリュフォー『暗くなるまでこの恋を』(1969年)、『哀しみのトリスターナ』(70年)などに出演。71年には、後に恋人となるマルチェロ・マストロヤンニと『哀しみの終わるとき』で共演。

フランソワ・トリュフォー監督「暗くなるまでこの恋を」のカトリーヌ・ドヌーブとジャン=ポール・ベルモンド。

フランソワ・トリュフォー監督「暗くなるまでこの恋を」のカトリーヌ・ドヌーブとジャン=ポール・ベルモンド。La sirene du Mississipi / Mississipi Mermaid (c) 1969 Les Films du Carrosse.

トリュフォーの『暗くなるまでこの恋を』では、ラストの雪のシーンの豪華な衣装が有名だが、これは、アラン・レネ監督が61年に撮した『去年マリエンバードで』を衣装担当したココ・シャネルが主演のデルフィーヌ・セイリグに着せた羽毛飾りの付いた衣装を念頭に、イヴ・サンローランがオートクチュールで作成したもの。

フランソワ・トリュフォー監督「暗くなるまでこの恋を」のクレジット。ミス・ドヌーヴ用衣装がイヴ・サンローランによってデザインされたことがわかる。

フランソワ・トリュフォー監督「暗くなるまでこの恋を」のクレジット。ミス・ドヌーヴ用衣装がイヴ・サンローランによってデザインされたことがわかる。La sirene du Mississipi / Mississipi Mermaid (c) 1969 Les Films du Carrosse.

1970年代以降

以後、匂い立つような妖艶さを活かしつつ、演技にも磨きがかかり、多数の作品に出演。そのどれもが代表作といえる名演でファンを魅了しました。

なかでも、1980年に製作されたフランソワ・トリュフォー監督の『終電車』では、同年のセザール賞を、作品賞、監督賞、主演男優賞(ジェラール・ドパルデュー)、主演女優賞(カトリーヌ・ドヌーヴ)というように、全て受賞するほどの評価を得ました。40代に入っていたカトリーヌ・ドヌーヴは、この作品でさらに美貌に磨きをかけていて、献身的な妻でありながらも新人俳優に惚れる女性の二面性を見事に演じ切っています。

トリュフォーはドヌーヴ主演では前作になる『暗くなるまでこの恋を』で、世界最悪の悪女といっていいほどの冷酷な女性を演じさせた後悔がありました。ドヌーヴ2作目の『終電車』では、彼女の才能をあらゆる面から引き出すように考慮したそうです。1990年代になっても、その美貌が衰えることなく、正に『大女優』の名で21世紀の今も活躍を続けています。

ゴシップ

『パリジェンヌ』で脚本を担当したロジェ・ヴァディム監督と1961年から交際が始まり、1963年にクリスチャンを出産。結婚はせず、その年に別離。1965年には『欲望』の写真家モデルとなったデイビット・ベイリー(David Bailey)と結婚しましたが1970年に離婚。マストロヤンニとの間には、1972年にキアラを出産しましたが、未婚で同棲のまま、1996年にマストロヤンニは死去(クリスチャン、キアラ共にその後俳優になりました)。

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