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貫頭衣からヨーロッパの衣服とアジアの衣服を考える

モードの歴史
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貫頭衣からヨーロッパの衣服とアジアの衣服を考える

このページでは、貫頭衣とよばれる昔の衣服からヨーロッパとアジアの衣服を考えます。両地域にみられる共通点や相違点に注意して、衣服の世界史をまとめています。

大学講義の補足的な記事ですが、履修に関係のない多くの方にもわかりやすいように書いています。

同志社大学の学生は「jeh (4).pptx」のファイルをもとに、穴埋めや行間埋めなどを進めてください。

この記事のポイントをピックアップすると次のとおりです。

古代の貫頭衣から日本の衣服(外衣)はゆるやかに変化をし、江戸時代にその形態が固定化された。貫頭衣の克服のあり方には、ヨーロッパとアジアで違いがみられた。この回ではその違いに注目して衣服変化の過程を概説。

ピックアップをさらに小分けにすると次のようになります。

古代の貫頭衣とは?

貫頭衣とは頭を貫く衣ふくのことで、図示すれば今でも世界中で見られることが分かります。手っ取り早い例がTシャツです。

まず古代ヨーロッパの貫頭衣はこちら。

古代ヨーロッパの貫頭衣。田中千代『世界の民俗衣装─装い方の知恵をさぐる─』平凡社、1985年、65頁。

ついで古代中国の貫頭衣はこちら。

古代中国の貫頭衣です。どちらも袖無し。一つは前方開放衣、一つは被る点で純粋な貫頭衣。

「貫頭衣(長式)A, B両種形制、以B式為典型、均由両幅布縫合留口」
(沈従文編著『中国古代服飾研究』上海,上海書店出版社,2002年、22頁)

古代中国の貫頭衣は2つの種類が描かれています。「1A」の方は前方が開いている前方開放衣で、これを貫頭衣と呼ぶか微妙ですが、「1B」は典型的な貫頭衣で、古代ヨーロッパの貫頭衣と同じく頭を入れる部分に穴が開いていて、《頭で貫いて被る」衣服です。

東洋の古代貫頭衣

中国の貫頭衣をもう少し見ていきましょう。次のイラストは男女別の貫頭衣の着用例を描いたものです。

古代中国の貫頭衣。男女別に描いています。

沈従文編著『中国古代服飾研究』上海,上海書店出版社,2002年、22頁

留意点

女性の貫頭衣は被っているように見えます。男性の貫頭衣は肩に掛けているだけのようです。どちらも貫頭衣だとして、次のような問題点があります。

つまり、男女差はこれほど明確かということです。

女性の貫頭衣はスカート部分やレッグウォーマー風の脚衣も含めて保身の役割を持っています。上半身や股間も隠す役割もあります。

これに対して、男性の貫頭衣はどうでしょう。上半身も股間も隠す役割しかないような具合です。

古代中国または古代東アジアは、圧倒的に農林水産業中心の経済社会ですから身体や衣服を傷めやすかったと想像します。隠蔽だけでなく保身の役割をもつ女性の貫頭衣を男性も着ていたのではないかと思います。

貫頭衣の特徴

古代ヨーロッパの貫頭衣に対して古代中国の貫頭衣がもっている特徴は次のとおり。

  • 肩掛け風で身頃まで覆う
  • 背中は不明だが縫ってるかな

という点です。

古代ヨーロッパの貫頭衣のイラストを見直してみてください。次のようにヨーロッパと中国を対比できます。

  • ヨーロッパの貫頭衣は布が二の腕を十分被っているが、中国の貫頭衣は肩を覆うだけ
  • ヨーロッパの貫頭衣は布の縦分量も豊富で巻いて着用し(皺くちゃの巻衣)、中国の貫頭衣はパーツごとに簡単に縫ったようで平面的

という違いがわかります。

日本の衣服(外衣)はゆるやかに変化をし、江戸時代にどう固定化された?

この項目は私のミスで、変化したのではなく多様になったということです。貫頭衣→小袖(今の着物)という変化を説明しようとしましたが、変化ではありません。

日本の衣服は多様になりました。正確かつシンプルにいいますと、大昔は貫頭衣だけで、この貫頭衣はTシャツのように現代でも日常的に着られていています。着物(和服)系は飛鳥時代に大袖、中近世に小袖が出てきて、今は小袖を浴衣や振袖などといってイベント衣装になっているということです。

中世ヨーロッパの貫頭衣・巻衣・裸体

ヨーロッパの貫頭衣を示す一つの絵があります。

貫頭衣からテーラリングへ

15世紀ヨーロッパの服装をみると、まだまだルーズだったことが分かります。”La morte di Adamo, dettaglio di Adamo e dei suoi figli circa 1452 affresco basilica superiore di San Francesco, Arezzo” via Quadri di Della Francesca Piero

留意点

15世紀のヨーロッパでは貫頭衣だけでなく、裸体や巻衣も日常的だったことがわかります。15世紀ヨーロッパの服装はまだまだルーズでした。

15世紀というと、欧州で洋裁が誕生して1世紀以内の時期ですから、地域や人によっては今のような洋服を着ていないという人も多いことが分かります。

貫頭衣の特徴

黒色の貫頭衣を着た女性を見ましょう。肩掛け風に貫頭衣を使っていて身頃(胴体)まで覆っています。しかし、帯や紐で締めていないので、風が吹いたら放っておくんでしょうか…。

貫頭衣からの離陸方法の東西

貫頭衣以外の衣服を作ろうとする動きは東洋でも西洋でもみられました。それぞれ方法が異なります。

その前に、ヨーロッパでチュニックとよばれる貫頭衣をご紹介します。この衣服を拠点に脱貫頭衣の東西を考えましょう。

カフタン・チュニック 木綿製

木綿製のカフタン・チュニック。

この木綿製カフタン・チュニックは、水平な肩袖(平肩)を想定し、布幅が足らないために袖つけをしています。衣服の肩辺りで生地の模様が変わっていますね。

このような平肩衣服は東洋でも西洋でも当たり前で、20世紀初頭くらいまでは多くの人類が着ていたと考えられます。少し東洋と西洋で違うのは、西洋ではこのような服以外に、裁縫を駆使した服が14世紀末ころから一部の人が作りはじめたことです。

東洋

東洋では20世紀まで一貫して平肩衣服が作られ、また着られていました。もちろん、中国や日本などのように19世紀半ばの開港によって洋服も入ってきた地域は平肩衣服が100%と言う訳ではありません。

東洋の民族衣装、漢服・旗袍・한복・着物をみますと、20世紀前半になっても、平肩の形を採っているものばかりです。この理由の一つに、東洋には毛織物よりも柔らかい絹織物が豊富にあって、布を簡単に切って簡単に縫うという作業で服を作れたという点があります。

身体でいう肩や袖に接する部分の形態は「東アジア民族衣装の展開:袖と衣裳からみた古代中華圏の影響」をご覧ください。20世紀前半に平肩を止めた民族衣装と止めなかった民族衣装を図示しています。

西洋

他方で、西洋はどうだったのでしょうか。簡潔にいいますと、一部ですが平肩を止めた衣服が14世紀末に出てきました。

その技術的な根拠は1375年に開発された鋼鉄製の縫針です。それまでは単なる鉄の縫針でした。

それまでの西洋で広く普及していたのは毛織物です。毛織物は絹織物に比べて格段に硬く分厚い布です。これを縫うとなると、折れにくい硬い縫針が必要になります。

ですから、布(織物)の幅を東洋よりも2倍・3倍以上にして、布を裁つだけで服を作る方向、いいかえればパーツに切られた布を縫いたくない方向に行った訳です。これまで述べたように東洋にも貫頭衣が普及していましたが、西洋では切実な理由で貫頭衣(または巻衣ほか)が必要だったわけです。

そのうえ、1375年に鋼鉄針が開発されてから、西洋では衣服を縫いやすくなりました。

裁つことも縫うことも試行錯誤する条件が整ったわけですから、ここに裁縫や洋裁とよばれる服づくりの技術がいろいろと開発されていきます。

洋裁の誕生―西洋の離陸 or 西洋東洋の逆転―

上に述べたとおり、14世紀末に鋼鉄針が開発されてから、洋裁(西洋裁縫)が誕生しました。14世紀中頃には型紙が開発されていたともいわれます。

ただし、教科書やマニュアルのような体系化は今までされてきていません。ヨーロッパのいろんな地域のいろんな人がバラバラに知恵と努力を投入して、今でも大事な技術がバラバラに現代にまで引き継がれてきました。

バラバラに開発されてきた洋裁技術を「中世・近代の単発的発展」として、次項に述べます。

中世・近代の単発的発展

もっとも典型的な、洋服らしい発明は、平肩を止めて斜肩を開発し袖つけのあり方を変えたことです。あなたの着ている服の腕の付け根を見てください。服の肩ラインと服の袖ラインは直線ではなく、袖は下を向いていますね。それがセットイン・スリーブです。

西洋が開発した袖は他にもたくさんあります。ラグラン・スリーブドルマン・スリーブなどなど。

衣服形成の洋裁技術

衣服の形づくりで大切な技術は、ダーツとタックです。とくにダーツは男性・女性の身体ラインをはっきりさせるというメリット(場合によってはデメリット)を作りだします。

ダーツはこちらをご参照ください。

タックはウエスト左右に1~2本入れるのが基本です。とくに男性用パンツ(スラックスなど)をご覧ください。

衣服装飾の洋裁技術

衣服の装飾で大切な技術は、ギャザーとプリーツです。

ギャザーはこちらをご参照ください。

ギャザーの基本動作は「寄せて縫う」のですが、プリーツは「畳んで縫う」作業です。一例に、ギャザーを施したスカートはフワフワ、プリーツを施したスカートはヒラヒラな漢字になります。

西洋東洋の逆転―二重の洋服化

最後に、20世紀になると洋裁は東洋へ影響を与えるようになります。この影響を私は「二重の洋服化」と呼んでいます。

どういう点で二重なのでしょう。まとめます。

  1. ヨーロッパから輸入した洋服が東洋に普及した
  2. 東洋の伝統衣装(民族衣装)が洋服要素や洋裁技術を導入した

以上の2点です。

1点目は広く日本のファッション史や服飾史が述べてきたことですので、ご関心があればその辺の本をご参照ください。

問題は2点目です。

中国の漢服、旗袍、朝鮮のチョゴリ、日本の着物、ベトナムのアオザイは、全て洋服の要素を取り入れたり、洋裁技術を採り入れています。

これらの具体的な内容は次の記事一覧からご確認ください。

また、上半身を短く下半身を長く見せる黄金律をふまえた着装も西洋の影響を受けています。その影響はこちらに詳しくまとめています。

まとめ

貫頭衣からの離陸方法の東西をみてきました。ファッション史からみた西洋の離陸とは洋裁の誕生だったわけです。洋裁は貫頭衣の裁縫とは違って、西洋裁縫という確固たる地位を持つようになっていきます。その時期はおおむね中世(14世紀・15世紀)です。

それから6世紀を経た今でも洋服や洋裁は自然と私たちの生活に溶け込んでいます。「服」といえば「洋服」です。もはや「洋服」という言葉は「和服」という言葉と同じくらいに仕事なっているかもしれません。

「和服」が20世紀に窮屈になった点を憂えたエッセイを書いています。ご関心のある方は次のページからたどっていってPDFファイルに収められたエッセイをぜひお読みください。

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