新しいファッション史

モードの世紀は、人類のファッション史をまとめ直し、躍動感ある歴史を描きます。
主にフランス、イギリス、イタリア、アメリカ、中国、台湾、日本に注目します。

これまでのファッション史は西洋か日本か、意味不明の二項対立に固執しました。
和洋。何て厚かましい言葉でしょう。

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フェイ・ウォン : プロフィールと活動の歴史

フェイ・ウォン 王菲 faye wong wang fei キーパーソン
フェイ・ウォン 王菲 faye wong wang fei
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フェイ・ウォン

フェイ・ウォン 王菲 (王靖雯

フェイ・ウォン 王菲 faye wong wang fei

フェイ・ウォン 王菲 faye wong wang fei

  • 出生地 : 北京
  • 生年月日 : 1969年8月8日
  • 星座 : 獅子座
  • 身長 : 172cm
  • 体重 : 48kg
  • 学歴 : 高卒
  • 家族 : 父、兄、娘
  • 言語 : 北京語、広東語、英語、日本語
  • デビューのきっかけ : 歌の先生の紹介趣味 : 歌、水泳、バレーボール
  • 友達 : レオン・ライ、カリーナ・ラウなど
  • 好きな歌手 : テレサ・テン、the Cranberries、The Sundays
  • 好きな俳優 : チョウ・ユンファ
  • 好きな映画 : たくさん
  • 好きな食べ物 : スナック、果物、デザート
  • 好きな場所 : 北京

出生から歌手デビューまで : 1969年-80年代後半

フェイ・ウォン

黄暁陽『王菲画伝』中国广播電視、2004年、27頁

フェイ・ウォンは、1969年8月8日、中国・北京に生まれました。父は工場のエンジニアで労働条件が過酷でした。母もソプラノ歌手で歌い回りが多く、家族が一緒に時間を過ごすことが少ない家庭状況でした。しかし、彼女の隣人にフェイ・ウォンを可愛がってくれ自分も慕う女性がいました。
高校卒業後、福建省の福建大学へ進学が決定しましたが、父から香港移住の話が出たため入学登録をしないまま香港へ渡りました。香港では黄埔に暮らしながら、フェイ・ウォンはモデル養成学校へ通いました。当時の彼女は中国標準語が香港で通じないこともあって「コーズウェイベイ」(銅羅湾(CAUSEW AY BAY)へよく一人で散歩に出かけたそうです。

モデル養成学校を卒業するとモデルへの関心はなくなり、父がDi An Ts ongを紹介したことがきっかけで、フェイ・ウォンは歌を学び始めました。教室では歌だけでなく踊りも抜群の力を発揮したため、教室のイベントでは最もカラフルで最も美しい衣装を与えられ、常に主役だったそうです。

1988年、Di An Tsong先生がフェイ・ウォンをレコード会社シネポリーのChan Tsiau Baoに紹介。彼は彼女の声に驚き、レコード契約書にサインするよう強く要請。彼女の両親がシネポリーとの契約書にサインしました。

歌手デビューと留学・復帰 : 1980年代後半~1990年代前半

翌1989年、アルバム『王靖雯』をシネポリー・レコードからリリースし歌手デビュー。アルバム名となった「王靖雯」は中国語芸名で、ウォン・カーウァイ監督『2046』ではこの芸名で出演しました。また当時の英語芸名は Shirley Wong シャーリー・ウォン。

このデビュー・アルバムはヒットし着実にファンを獲得しました。しかし、スターダムの階段を上ることを止め、フェイ・ウォンは自分の歌手としてのキャリアを捨て音楽を勉強するために渡米します。アメリカでは叔母の家で世話になった後、ニューヨークへ行き自分のアパートで暮らします。

そこでは歌と踊りの短期クラスを複数受講しました。クラスでの訓練は、フェイ・ウォンの独立性を強めたうえ、あれもこれもといった流行ではなく、彼女の社会的な技能、特に人とのコミュニケーションの技術を磨き上げました。

1991・92年頃、アメリカ留学を前に演劇に関心を持ち始めた頃のフェイ・ウォン。

1991・92年頃、アメリカ留学を前に演劇に関心を持ち始めた頃のフェイ・ウォン。 via 王菲个人资料档案 王菲情史婚史成名史(图) – 娱乐 – 国际在线

その後フェイ・ウォンは、数多くのレコードをリリースするため香港に戻ると決心。ただし、単にレコード契約を履行することしか考えておらず、フェイ・ウォンは学校を退学せず、教育期間を延期しようと思っていました。

ところが帰国直後にフェイ・ウォン(王菲)の本名(厳密には王靖雯)でリリースした4枚目のアルバム『カミング・ホーム』が強烈にヒットし、アメリカの音楽学校復学の計画が消滅します。このアルバムに収録されているいくつかの曲がヒットを飛ばしています。中でも多くの賞を勝ち取ったのが、中島みゆきの「ルージュ」を広東語でカバーした「容易受傷的女人」(傷つきやすい女)で、香港のカラオケ愛唱歌になりました。

インターナショナルな歌姫へ : 1990年代前半

広い音楽ジャンルをこなす歌手として、このアルバム『カミング・ホーム』はフェイ・ウォンをスーパースターの地位にのし上げました。しかし、この頃からフェイ・ウォンの一つの特徴として判ってきたのが、香港の普通の歌手と違って、フェイ・ウォンはマスコミを無視することです。

この記事は「Cut」の対フェイ・ウォンのインタビューをドタキャンされた顛末を兵頭統子さんが記したもの。(Cut, no. 43, 1995, Sept, p.75)

この記事は「Cut」の対フェイ・ウォンのインタビューをドタキャンされた顛末を兵頭統子さんが記したもの。(Cut, no. 43, 1995, Sept, p.75)

上の記事は「Cut」誌の対フェイ・ウォンのインタビューをドタキャンされた顛末を兵頭統子さんが記したものです。同誌の取材約束の日にフェイ・ウォンはドタキャンしたそうですが、その日前後には香港のテレビ局の撮影もキャンセルしたとか、映画「恋する惑星」のカメラマンを務めたクリストファー・ドイルは「こっちにいなくちゃいけない時にあっちにいるんだから演出なんてできないよ」と話しています(笑)。逆にアドリブ演技は抜群なんですが、それにはこういう経緯があったんですね。

以後、『十万回のなぜ』『悔やまぬ心で』(以上93年)、『恋のパズル』『無遊』『背影』『天空』(以上94年)など、アルバムを続々とリリース。これらは日本でも全て発売され、香港歌手では知名度ナンバーワンとなりました。94年は台湾や東南アジアにも進出し、さらには、米国とカナダで初のツアーも成功させました。

Amazon.co.jp: フェイ・ウォン
Amazon.co.jp: フェイ・ウォン

1994年はフェイ・ウォンは歌手だけでなく女優としての能力も発揮。日本では上映権が切れたものの未だビデオやDVDで人気が根強いウォン・カーウァイの『恋する惑星』(重慶森林/Chungking Express, 1994年)に出演。フェイ・ウォンは『恋する惑星』の後半部分に登場、マイペースで遊び心満載の新鮮さがバカ受けし、香港電影金像奨・主演女優賞にノミネートされただけでなく、スウェーデンで主演女優賞を受賞しました。

同時に、クランベリーズ「Dreams」をカバーしたこの映画の主題歌「夢中人」も爆発的にヒット。96年には「TIMES」誌10月号の表紙を飾り「広東ポップス界のプリンセス」と紹介されました。

ウォン・カーウァイ監督「恋する惑星」の一場面。マイペースで遊び心満載の新鮮さがバカ受けし、香港電影金像奨・主演女優賞にノミネート、スウェーデンでは主演女優賞を受賞。クランベリーズ「Dreams」をカバーしたこの映画の主題歌「夢中人」も大ヒット。

ウォン・カーウァイ監督「恋する惑星」の一場面。マイペースで遊び心満載の新鮮さがバカ受けし、香港電影金像奨・主演女優賞にノミネート、スウェーデンでは主演女優賞を受賞。クランベリーズ「Dreams」をカバーしたこの映画の主題歌「夢中人」も大ヒット。 (c) 1999 Block 2 Pictures Inc.

1990年代半ば頃は、イギリスのコクトー・ツインズの曲のカバーなどで順調に人気を上げながら、1996年にアルバム『浮躁』(邦題 : いらいらする)をリリース。鼻歌だけの曲を5つも収録しながら、これも大ヒット(香港では受けが悪かったが)。

コクトー・ツインズはフェイ・ウォンの声をとても高く評価しており、彼らのアルバム「ミルクとキス」で「Serpent Skirt」という曲を彼らの歌の1つに収録することを依頼。また、コクトー・ツインズはフェイ・ウォンのアルバム『浮躁』のための2つの曲「分裂」「掃興」、さらにアルバム『フェイ・ウォン』でも「遊園地」をプロデュースしました。

フェイ・ウォン「マイ・フェイヴァリット」アルバム発売広告(Cut, no. 43, 1995, Sept, p.71)

フェイ・ウォン「マイ・フェイヴァリット」アルバム発売広告(Cut, no. 43, 1995, Sept, p.71)

出産・歌手活動再開・日本ブレーク : 1990年代後半

1996年、芸能界嫌いが強くなったため、結局Maggie Cheung(張蔓玉、マギー・チャン)が主演することとなった『ラヴソング』の出演を拒否し、一旦北京へ移り、女の子童童ちゃんの出産準備に入りました。童童ちゃんが生まれて間もない1997年1月、フェイ・ウォンは歌手活動を再開。1997年の再開以降は『10万回のなぜ』『自便』『玩具』(97年)、『菲賣品』『唱遊』(98年)、『只愛陌生人』(99年)などを順調にリリース。

この間、日本では、98年2月にNHKホールで開催された「アジア・ライブ・ドリーム98」で3曲を歌った初ライブを実現。翌99年2月には、ゲーム「ファイナル・ファンタジーVIII」のテーマ曲「アイズ・オン・ミー」(Eyes on Me)をリリースし、3月には中国人アーティストとして初めての武道館コンサートも成功させました。

Amazon.co.jp: フェイ・ウォン
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インターナショナルな歌姫の定着と引退 : 2000年以降

2000年以降、女優業でも再び独特な特徴を発揮。沖縄が舞台のクライム・サスペンス『恋戦。OKINAWA Rendes-vous』(00)ではレスリー・チャン(張國榮)、レオン・カーファイ(梁家輝)、加藤雅也らと共演。「アイズ・オン・ミー」や、この映画の主題歌「新しいルームメート」を収録したアルバム『寓言』(邦題 : フェイブル)も同年リリース。

2002年にはウォン・カーウァイ製作&ジェフ・ラウ監督の『天下無雙』(日本未公開;英題「Chinese Odyssey 2002」)に出演。退屈のあまり宮廷を飛び出して街に出るお姫様役を演じ、男装ゆえに酒飲み友達になってくれとトニー・レオンにせがまれたり、歯磨き粉の泡を口の周りにたくさん塗りたくってお茶目な姿を見せたりしています。

2001年には、フジテレビ系の連続ドラマ「ウソコイ」で、中井貴一、仲間由紀恵らと共演。2003年12月、久々のアルバム『將愛』リリース。雄大なメロディーの中でか細い声をのびのびと浮かべたような仕上がりは、さらに新たなファンを獲得し、台湾での発売1ヶ月で100万枚を売り上げました。

2004年10月に公開されたウォン・カーウァイの『2046』では、失恋による絶望スレスレの中国人女性ワン・ジンウェンと、心に大きな傷をもち機能低下が著しいアンドロイド wjw1967 という、シビアな状況におかれた二役をこなしました。

Faye Wong (Wang Fei) @Huai Hai Zhong Lu, Shanghai Shi, China, 2005.

フェイ・ウォン(王菲)@上海市淮海中路(中国)2005年。

2005年、再婚のため歌手活動・女優業を引退することを宣言。これまでのベスト・ソングやインタビュー映像などを盛り込んだ『王菲的故事』を発売。「フェイ・ウォンの物語」とでも訳せるこのDVDで、これまでのフェイ・ウォンの活動・活躍は一旦幕を閉じます。

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