オシャレなフラットシューズたち

幻想的で現実的な映画の名作「窓からローマが見える」

池田満寿夫監督『窓からローマが見える』クラウディオ・カッシネリ、デリア・ボッカルド、中山貴美子ほか出演、1982年、日本 映画批評
この記事は約10分で読めます。

池田満寿夫監督の「窓からローマが見える」は、1982年に富士映画によって製作されたエロティックサスペンス、あるいは、ラブロマンスである。同監督の同名小説を映画化したもの。

夫人の佐藤陽子を起用したことでも有名な本作品は、錯綜した愛憎関係が露骨に展開されていることが印象的である。

舞台となる場所はイタリアのローマとフランスのパリの二つだが、これが目まぐるしく変わる。

夏が終る、秋が来る、冬が来る、春が来る、そして…また夏、私<O>は…

出典:「窓からローマが見える」パンフレット、松竹株式会社事業部、1980年。

「窓からローマが見える」パンフレットから。フレーズが女性特有の退廃感か運命感か。

「窓からローマが見える」パンフレット、松竹株式会社事業部、1980年。

ストーリー

ストーリーは複雑な愛憎関係によって成立しており、主要な登場人物5名の織りなす恋愛の場面もまた、目まぐるしい展開をみせる。

錯綜した恋愛関係は、次のような人々によってつくり出される。ローマの音楽学校に通う日本人女性O、報道カメラマン「カルロ」とその妻でありモデルの「オルガ」、カルロの助手「アントン」とB。

作品のはじまり

作品のはじまりは、「カルロ」とBが10代と思われる日本人女性Oの放尿を目撃し、彼女を追いかけ回すシーン、そして、フランス人モデル女性「オルガ」が夫の助手「アントン」によってレイプされるシーン、この二つとなっている。

パリで強姦されたオルガは、アントンの意のまま数回にわたってセックスを許すことになる。その後、彼女は夫のいるローマに向かうが、日本人女性Oにのめり込んでいる夫には、妻のオルガが幻覚として映り、街で見かけて追いかけるが、決してつかまえることができない。

他方で、助手Bは、上司のカルロとの関係を断ち切らせようとOを説得し、自分のものにしようとアタックを重ねるが、同年代の男性に物足りなさを感じる彼女は、この助手と数日だけつきあった後にカルロのもとへいく。

来る日も来る日もカルロはOとデートを重ねるが、いつでもどこでもデート先に現れる妻オルガ(の幻影)に彼は悩まされる。Oとのデート中にも妻を追いかけては見失うという醜態を演じるのだが、妻は一向に実体を現わしてこない。

そういう日が何日か続いた後に、カルロの妻オルガをレイプし、同じくローマへと向かっていた「アントン」が、デート中のカルロの隙をみて今度はOをレイプする。

場面の転換

数分後に異変に気づいたカルロの前には、彼女がアントンにピストルを突きつけられながら強姦されている光景が展開している。

その時、ただ見つめることしかできないカメラマン・カルロの前に現れたのは、レイプ犯のアントンを射殺しにきた、カルロの妻オルガだった。アントンが射殺された後、カルロは我に返り妻の後を追うがタクシーに乗られ逃げられてしまう。現場に戻ってきた時、Oもまた姿を消しており、カルロは一人その場で茫然と立ちすくむ。

このような愛憎関係の展開のなかで、四人が顔を合わせたのは日本人女性Oのレイプ現場である。オルガは犯人のアントンを射殺するが、カルロやOの前から姿を消したことを考えれば、彼、もしくは彼女を助けに来たわけではない。むしろ、自分自身のために射殺したのだとみる方が自然な気がする。

オルガの目的は?

では、オルガは何のためにアントンを射殺したのだろう?

もちろん、先述したように、射殺後の彼女の行動をみると、自分をレイプした犯人だから殺したのだという理由だけではあるまい。

レイプは言語道断に否定されるべきものであるが、レイプされたという「事後」として考えてみた場合、それには、身体的な恐怖、男性に対する恐怖にとどまるものではなく、女性のなかで愛が分裂し、精神と肉体との葛藤として展開されてしまう点が、本作品で露呈されているように思う。

これがオルガの経験してしまった、新たな恐怖なのだろう。だからこそ、なおさら許されてはならない行動なのだという結論も出てくるうえ、精神と肉体との葛藤はレイプという形で行なわれてはならないという判断も生じる。

しかし、そのようにレイプが否定されようとも、「殴りながら犯してくれないと感じないの」とオルガの口から嘆願の声が漏れる事態が罷免されるわけではあるまい。

精神と肉体との葛藤

本作品には、映画を観る前から分かっているような、倫理的にレイプが悪いという問題よりも、それが精神と肉体との葛藤を誘発し、肉体に精神がひきずられ肉体の欲望が勝るという問題にアクセントがある。

恋人どおしがセックスに明け暮れるというような意味での「精神に対する肉体の優位」ではなく、レイプという行為を通過した後にでもこの「優位」が成立するという点が、この映画が映し出す「恐怖」なのではなかろうか。恋人とのセックスやナンパのセックスにおいて肉欲や暴力(的行為)におぼれるのではないというのが「恐怖」なのだ。

レイプされ、それ以後レイプの暴力性から抜けられずにマゾに転落し、加害者アントンの思い通りに飼われつつあるオルガ。錯綜した愛憎関係のなかで、もっとも認めがたい恋愛関係がもっとも強い関係を取っているという転倒において、この映画は強烈な恐怖を性の根源的な問題として映し出すことに成功している。

池田満寿夫監督『窓からローマが見える』クラウディオ・カッシネリ、デリア・ボッカルド、中山貴美子ほか出演、1982年、日本

池田満寿夫監督『窓からローマが見える』クラウディオ・カッシネリ、デリア・ボッカルド、中山貴美子ほか出演、1982年、日本

私の感想:女は幻想的か?

「窓からローマが見える」監督の池田満寿夫はこの映画を作るにあたって、彼自身の女性観の次のように述べました。

基本的にはエロティシズムがあって、女というのは幻想的な存在であり、一種のナゾであるということです。これは、もともと、ボクの基本的な考え方なんです。日常の中にフッと不思議な面が出る。そういう非日常的な部分を描きたい。

「窓からローマが見える」パンフレット、松竹株式会社事業部、1980年。

感想1

原作ではとくに見えやすいのですが、私には池田の日常と非日常が単なる二項対立になっているにすぎないと思えるんです。それは次の二つの点です。

  1. エロスを男性主体で描き過ぎていて、女性の主体性がない。
  2. それ自体は許すとしても、エロスに女性の主体性がない点を日常的だと決めつけている。

この映画で女性は男性の性欲の被害者として登場します。その上で自らもエロスを求めるような反応も出てくるのですが、結局は受け身。女性の能動性としてエロスを描けていません。

その点で「女というのは幻想的な存在」という彼の持論が弱いんだと感じます。ひょっとして自分を日常で女性を非日常だと都合よく決めつけていないかと。非日常だからといって街中で妻やOを見失うというのは、単純な映画の手法に甘んじた発想でもあります。

感想2

この映画は私が小学生の時にみて以来、たびたび見直してきましたが、女優二人に助けられたなというのも一つの感想です。

男女間のエロスでは(じゃあ逆に)自分が女性のために非日常になれるのかという点も大事だと思うんですけども…。

日常の中に非日常をバンバン挿入してくるマルグリット・デュラスの小説「モデラート・カンタービレ」の方が、この映画「窓からローマが見える」以上に幻想と現実が混在していてヘビーでディープです。

モデラート・カンタービレ:恋愛エクスタシー5秒前
モデラート・カンタービレ : マルグリット・デュラスの小説 から恋愛のモードとエクスタシーを考えています。本書はデュラスの作品のなかでも難解な部類に入るといわれますが、ここで展開されている男女の物語は何ら高尚な恋愛関係ではなく、むしろお茶の間に浸透した日常茶飯事といってよいものです。

キャスト

中山貴美子

中山貴美子はこの映画のオーディションで883名の中から池田満寿夫の美感に触れヒロインに抜擢された、当時売れっ子のトップ・モデルです。

1958年12月26日に福岡県大牟田に父を寺の住職として長女に生まれました(山羊座)。妹との二人姉妹。身長162センチ、ヒップ83センチ。バスト80センチ、ウエスト56センチ。

中学生の頃から体操を続け、高校時の1977年に「ミス・ヤングインターナショナル」のミス水着に選ばれました。

その後、香蘭女子短期大学に入学。秘書科の勉強のかたわらフリーのモデルとして活躍をはじめ、ニューヨークのティファニーと三越との提携した「ティファニーの宝石ショー」の全国キャンペーンに参加ファッション・ショーの演出家に要請され1980年秋に上京。

それからは坂東京子や志村雅久のファッション・ショー、「装苑」などの雑誌モデルなどで活躍しました。

パンフレットには次のように高く評価されています。

彼女が演じる神秘的な美少女「O」は声楽を学ぶ留学生という設定。彼女が歴史深いローマで主人公のカメラマン、カルロと綾なす夢む肢体は、池田芸術の豊饒なエロスの世界を拡げ、その琴の音色を思わせるしなやかなキャラクターは、あらゆる可能性を秘め、大いに注目されるところである。また歌手としてもデビューしこの作品の日本語盤主題歌を歌う。

「窓からローマが見える」パンフレット、松竹株式会社事業部、1980年。

デリア・ポッカルド(DELIA BOCCARDO)

1948年1月29日にイタリアのジェノバに生まれた女優です。

1960年(12才の時)に、イギリス・サセックスのメーフィールド・カレッジ修道院に行き英語を学びました。当時イタリアのインテリ階級では、留学して勉強させるという伝統があり彼女もその例でした。

1964年にローマへ戻り、法律の勉強をしながら「”映画実験センター」で2年間演技を学びました。友人の卒業製作の映画2本に出演し、これがディノ・デ・ラウレンティス・プロのスカウトマンに見い出されました。感性の良さと美貌で1967年映画界にデビュー。

その後、世界を舞台に国際女優として活躍し、「窓からローマが見える」では池田満寿夫の要望で、初めて日伊合作映画に出演。主な出演作品に「クルーゾー警部」(英1968)、「夜の刑事」(伊1969)、「冒険者」(米1970)、「白銀の冒険」(米1970)、「テンタクルス」(米1977)。

クラウディオ・カッシネリ(CLAUDIO CASSINELLI

ヨーロッパで正統派2枚目として根強い人気を持っていました。

1967年のコロムビア映画製作、マルコ・ベロッキオ監督の「ラ・チナ・エ・ピチナ」(ベネチア映画際、国際映画批評家連盟賞受賞作)で映画デビュー。

1972年のフランコ・ロッシ監督のTV映画 「ガリバルディ」、ジャンフランコ・ミンゴッティ監督の「フラピアデイ・ムソルマニ」をはじめ、「警視の告白」のダミアーノ・ダミアニ、「毛皮のビーナス」のマッシモ・ダラマーノなどいずれもイタリア一級の監督作品に出演。

1970年代末にはアメリカ映画にも進出。「アバランチ・エクスプレス」(1978)、米伊合作「ドクター・モリスの島/フィッシュマン」(1980)などに出演、イタリア国内はもとよりヨーロッバのTVや映画で活躍しました。

スタッフ

君島一郎:Ichiro Kimijima

君島一郎はこの映画で衣装提供を担当しました。costumi delle o modello sono dl kimijima haute couture paris

ポール・モーリア:PAUL MAURIAT

ポール・モーリアはこの映画で音楽を担当しました。

「恋はみずいろ」「オリーブの首飾り「愛のファンタジー」などが有名。ロマンティックな演奏と華麗なサウンドで陶酔させずにはおかない、当時の人気は世界的にも最高峰。

この映画で初めて映画音楽を作曲し、サウンド・トラックの全てを手掛け、話題の渦中にいます。

このセンセーショナルなデビューを飾る「窓からローマが見える」のメインテーマはフィリップス・レコードよりサントラ盤として1982年3月10日にLP・カセットとも同時発売。なお主演の中山貴美子の歌で日本語盤主題歌もフィリップス・レコードより発売。

池田満寿夫:Masuo Ikeda

池田満寿夫は原作著者であり、この映画で監督と脚本を務めました。

池田は1934年に旧満洲に生まれました。1952年に長野県立長野北高校を卒業。のちに画家・小説家となりました。

1960年に第2回東京国際版画ビエンナーレ展文部大臣賞受賞。1965年にニューヨーク近代美術館にて個展を開催。1966年、ヴェニス国際ビエンナーレ展国際版画部門大賞受賞、他受賞多数。

1976年に小説「エーゲ海に捧ぐ」で第3回野性時代新人文学賞を受賞し、翌1977年に第77回芥川賞を受賞。1978年に日本・イタリア合作映画「エーゲ海に捧ぐ」の脚本・監督を務め、現地のスタッフらとともに、ローマやギリシァで撮影、1979年1月に完成、同年4月下旬に日本公開。1979年ニューヨーク・イーストハンプトンに在住。

池田満寿夫の小説「窓からローマが見える」の表紙写真です。

池田満寿夫「窓からローマが見える」角川書店、1979年

Amazon | 窓からローマが見える [DVD] | 映画
中山貴美子, クラウディオ・カッシネリ, 池田満寿夫 邦画・洋画のDVD・Blu-rayはアマゾンで予約・購入。お急ぎ便ご利用で発売日前日に商品を受け取り可能。通常配送無料(一部除く)。

池田満寿夫監督『窓からローマが見える』クラウディオ・カッシネリ、デリア・ボッカルド、中山貴美子ほか出演、1982年、イタリア・日本

コメント

タイトルとURLをコピーしました
footer-insert.php