ミシンと衣服の経済史 第4章 質疑応答

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ミシンと衣服の経済史 第4章 質疑応答

これまで授業を通じて寄せられてきた学生方々からのご質問に章単位でお答えしていきます。著書のご案内はこちらをご参照ください。⇒「著書 – ミシンと衣服の経済史

岩本真一 ミシンと衣服の経済史 地球規模経済と家内生産

岩本真一『ミシンと衣服の経済史―地球規模経済と家内生産―』思文閣出版 2014年7月

1 琉球は、1872の琉球処分で日本に合併されていますが、1934年に琉装が見られないのは、そのことと関係があるのですか。また、琉球も、日本と同様に西洋の外面的需要の為に、洋装は、輸入に頼っていたのですか。(p108) 1つ目、関係あります。日本は琉球の否定と日本のコピー化を推進。洋服は不詳です。
2 p95 14行目「この傾向には当時の繊維産業の世界史的背景が大きく起因しており、…」の世界史的背景とは何か 直後辺りに触れている、産業革命の発生と影響によって、世界中で糸と布が余っていた。だから女性の家事は織物から裁縫へと変わっていった。学校教育でも20世紀の家庭科は裁縫が基本。
3 呉服店から百貨店に進む理由がよくわかりません。百貨店はデパートであるから商店などから進化するのでは?服を作るだけの呉服店では業務があまりにも変わってしまうから厳しいのでは? 呉服店は商店。20世紀になり、呉服だけでは経営ができないと判断した所が多い(大丸、三越、高島屋など)。そこで色んな商品を扱うようになった。ただし、呉服コーナーは残し、織物の大量生産が可能になった1910年代頃から、特に着物を量産して売りまくるようになった。
4 p89 L4 この頃日本の技術は本場欧米を凌駕していたということなのか 凌駕していません。あ、文章が悪い。日本人で欧米に留学する人が増加、洋裁を学ぶために。
5 p114で諸藩が農民に対してなぜ足袋などの使用禁止令を出したのですか? 不詳ですが農作業に足袋は不要と判断されたかと。また、武士も禁止令を出されています。これは戦国時代の武士に裸足が多かった遺風。