旗袍変容の諸説と限界

清朝期旗袍と民国期旗袍

清朝期の旗袍は材料生地をほぼ全て直線に裁断していました。製図・型紙(パターン)の発想はありません。完成品全体の幅は広く、シルエットはAラインに製作されたため裾は広がっています。防寒用に綿入が施される場合はとくに質感があります。袖口はやや広がる傾向があります。腕や足の露出は無く、丈が若干短い場合でもズボンかスカートが着用されました。

via 旗袍百年變奏 展現中國古典美 – 太陽報

民国期の旗袍が洋服や洋裁技術から影響を受けたことは研究上の共通見解です[1]。しかし、旗袍が変容した点については細部で一致しません。民国期旗袍の変化に関する諸説の要約を以下のリストにまとめます。

なお、形態の基本であるシルエットが清朝期のAラインからHライン[2]へ、さらにはSラインへと変遷した点は共通しています。また、変化の目まぐるしい立領の高低、袖の長短、丈の長短は除外しています[3]

妇女旗袍款式 | 上海图书馆历史图片搜集与整理系统:
妇女旗袍款式 | 上海图书馆历史图片搜集与整理系统

民国期旗袍の変化に関する諸説

  1. 1920年代中期に腰回りが収縮し曲線が突出。袖は少し短く袖口は広く (鄭永福・呂美頤編『近代中国婦女生活』101頁)
  2. 1930年代初期に腰回りと袖口が縮小。1930年代中期に腰回りがフィット (黄能馥・陳娟娟編『中国服装史』386頁)
  3. 1920年代末に欧米からの影響でスリム化とボディ・コンシャス化 (中国近代紡織史編委会編『中国近代紡織史 上巻』166頁)
  4. 1930年代頃に肩縫、接袖が発生 (中国近代紡織史編委会編『中国近代紡織史 下巻』175頁)
  5. 民国期に身体露出の開始と旗袍の曲線化、1930年代に身体全体がフィット。1920年代・1930年代頃に袖付けの導入 (包銘新主編『中国旗袍』62頁、64頁、72頁)
  6. 1920年代末に腰回りのスリム化と身体ラインの明確化 (華梅『中国服装史』』196~197頁)
  7. 1920年代に(女性自身による)曲線美の認知と身体に沿った裁断開始 (華梅『中国服装史』』198頁)
  8. 1920年代初頭に欧米服飾から曲線造体化と緊身的方向。25年に身体全体がフィット (王東霞編『從長袍馬褂到西裝革履』134頁・136頁)
  9. 細く曲線的なシルエットが特徴 (謝黎『チャイナドレスをまとう女性たち』121~122頁)
  10. 改良後の新型旗袍にはダーツと繋ぎ目があり立体的 (冷芸『裁缝的故事』109~110頁)
  11. 1930年代にシルエットの曲線美 (白云『中国老旗袍』123頁)
  12. 1926年はまだ大袖、1934年に全身が曲線化 (呉昊『細説中国婦女服飾与身体革命』283~287頁)
  13. 袖口は1928年に広く30年に締まる (黄土龍『中国服飾史略』202頁)
  14. 1930年代後半以降にダーツの導入、40年代半ばに接袖の導入 (長崎歴史文化博物館編『チャイナドレスと上海モダン展』35頁、52頁)
  15. 1930年代末期に腰ダーツ・胸ダーツ、肩縫線、接袖の導入 (羅麥瑞主編『旗麗時代 : 伊人、衣事、新風尚』72頁)
  16. 1940年代に腋下ダーツ・後腰ダーツ、肩縫線の導入 (俞跃「民国时期传统旗袍造型结构研究」38頁、54頁)

出典 : 岩本真一(モードの世紀)作成。

注 : 「文献」は編著者・書名・頁番号のみ。正確な情報は「旗袍の図書リスト」および「近現代旗袍の変貌」論文本体に記載。

王家衛『花様年華』 (c) 2000 by Block 2 Pictures Inc.
王家衛『花様年華』 (c) 2000 by Block 2 Pictures Inc.

結論

このリストの共通見解を簡潔に示すと「後戻りのない構造のスリム化と、ボディ・コンシャス化の方向」[4]という高橋晴子の要約に帰結します。ちなみに、この方向は20世紀和服にも当てはまります[5]。このリストにある通り、旗袍に洋裁がどのように採り入れられたかを示す文献は多く、日本の着物史研究とは異なる高い研究水準を示しています。ただし、旗袍の変化がどのように着用者の行動を規定するのかについては一切言及していません。西服(日本語で洋服)の導入はファッション(流行)で済まされるものではなく、後戻りの無い、生活に密着する変容でした。その点で、運動性に関する関心が無いのは、研究史上の盲点となっていました。それを克服したのが私の論文「近現代旗袍の変貌」です。旧型旗袍と新型旗袍の機能性や運動性の違いに注目して読んで頂ければと思います。

脚注

[1] 手縫か機械縫かの違いに言及したものは少ない。民国では電動ミシンの普及(張沙沙「民国旗袍造型研究」設計芸術学碩士論文、広西芸術学院、2013年、5頁)や、国産ミシンの実用化(1919年、中国近代紡織史編輯委会編『中国近代紡織史 下巻』174頁)によって、手工縫製から機械縫製への転換がはじまった。台湾では1930年代以後にミシン縫製が導入され、手縫は補助作業に利用されるようになった(羅麥瑞主編『旗麗時代 : 伊人、衣事、新風尚』44頁・46頁)。

[2] いわゆる寸胴型。Hラインの旗袍には広い袖口が多く使われ(1920年代)、シルエットに清朝期のAラインが残っているとみる説もある(張沙沙「民国旗袍造型研究」10頁)。

[3] 他にも民国期にパイピング(滾辺)が細くなったと指摘する研究もある(華梅『中国服装史』196~197頁、陳研・張競瓊・李嚮軍「近代旗袍的造型変革以及裁剪技術」『紡織学報』第33巻 9期、2012年09月、2頁)。

[4] 高橋晴子『近代日本の身装文化』246頁・248頁。なお、従来の旗袍を継続して着用されることも多く、京派旗袍(北京中心)とよばれた。これに対し、当時の新型は海派旗袍(上海中心)とよばれた。京派と海派の詳細は旗袍史の大きな主題の一つであり、数多くの文献が取り上げている。以下に一部を挙げる。包銘新主編『中国旗袍』71~77頁、謝黎『チャイナドレスの文化史』52~65頁。

[5] 和裁・着付けの観点からは大丸弘「現代和服の変貌―その設計と着装技術の方向に関して―」(『国立民族学博物館研究報告』第4巻4号、1980年3月)。着付けの観点からは以下でも指摘されている。高橋晴子『近代日本の身装文化』247~248頁、シルエットの観点からは森理恵「「キモノ」の洋装化と民族衣装「キモノ」の成立」(武庫川女子大学関西文化研究センター編・発行『東アジアにおける洋装化と洋裁文化の形成』2008年、96~104頁)。


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[投稿日]2017/02/27
[更新日]2017/05/06