貫頭衣からテーラリングへ : 大丸弘「西欧型服装の形成」を読む

はじめに : 貫頭衣から テーラリング ?

この火曜日・水曜日の2日間、あっという間に仕事が終わって、やっぱりビビる大丸弘論文。貫頭衣の普及から テーラリング 技術の勃興まで、大雑把に印象を。

大丸弘『西欧型服装の形成―和服論の観点から―』国立民族学博物館研究報告別冊4号、1987年2月

(以前の感想はこちら〔近代日本の導入した洋裁 : 大丸弘「西欧型服装の形成」を読む〕)

先週と今週で一番衝撃だったのは、貫頭衣の説。貫頭衣は原始的な衣服で、布を縦長(多分)に使って、真ん中を頭部程度にくり抜いてザックリ被った上体衣です。

貫頭衣
貫頭衣。沈従文編著『中国古代服飾研究』上海,上海書店出版社,2002年、22頁。

貫頭衣の印象

中国衣服史でも日本衣服史でも必ず、貫頭衣の説明から始まり、その脇下を縫うことで袖概念が発生したとか、前と後を割って(裁断して)縫うようになった(帯の発生につながる)とか、そういう説明が続くんだけど、「前と後を割る」という理屈が今まで分かりませんでした。これは後藤守一の説。それに、飛鳥時代には支配層たちは着用してないし…(民衆レベルでは残ったはずだけど)。日本ではその後、中世には民衆レベルでもかなり消えたはず。

大丸論文では、貫頭衣はむしろ西洋で14世紀くらいまでは一般的な衣服だったそうです。そんな話聞いたことない(笑)。

もっとも単純な挾体衣(貫頭衣) いまだ テーラリング は勃興を待っている…。大丸論文157頁
La morte di Adamo, dettaglio di Adamo e dei suoi figli circa 1452 affresco basilica superiore di San Francesco, Arezzo via Quadri di Della Francesca Piero

根拠は毛織物。東アジアの絹織物よりもヨーロッパの毛織物の方が堅い・厚いので、裁縫技術から見るとヨーロッパは裁断に向かい、東アジアは縫合に向かいました。それが中世までの傾向だと…。だから、毛織物の西洋は広幅に織る方向に無かって、189センチというかなり長い織物幅を実現させたと…。なるほど。

となると、アジアでは「前と後を割る」という後藤説は間違っていて、「割っている」のではなく、背中中心を縫ったのであって、前を打ち合わせて帯締めするという技術段階を想定できますね。

テーラリング の発生

そして、どこまで調べんねんと度肝を抜かれたのが、1375年のイギリスで開発された鋼鉄針。これによって毛織物を縫合する時に針が折れないという技術段階に到達したと…。そう言う訳で、14・15世紀には、いわゆる洋裁技術(Tailoring テーラリング )の基礎が確立し、その後はアジアよりも優勢的な技術優位の段階に入ったと…。

日本を研究するためには、中国も欧州も、いずれはアメリカも勉強しないと、語れないことを再び痛感。

3冊目の本で、洋裁技術の西洋における確率、この点を追求せねばと思っていたので、かなり助かったけど、3冊目の本は大丸弘先生要約集みたいなものになりそうで怖い(笑)。


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[投稿日]2017/07/01
[更新日]2017/07/02