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2011年3月30日

はじめての上海(地下鉄龍陽路駅)

200406001.jpg私が初めて中国、そして上海で撮した写真。浦東国際空港からリニアモーターカーを乗って、終点の地下鉄龍陽路駅で降りました。

駅周辺は寒々とした雰囲気で、リニアモーターカーの最終便だったこともあって、駅にいる客も少なく一人ボーっとウロチョロしていると、タクシーの運転手たち8名に囲まれたことを思い出します。困っていたところに20歳くらいの女の子に「May I help you?」と言われ、汽車の上海駅に行きたいと伝えたところ、地下鉄に一緒に乗って案内してくれました。

「Where are you from?」と聞かれ、(日本と答えるのは嫌なので)「Osaka」と返事したところ、それは韓国か日本かと迫られました。日本と答えたところ、舌打ち付きの睨みが私の目に突き刺さったのですが、途中の地下鉄車内で、日本、そして日本人は、父としてのヨーロッパに育てられた恩は覚えているけど、母としての中国を忘れてしまったという話をしました。この100年の日本は、母を忘れた歴史を持っているという趣旨が伝わったとき、仄かに彼女の顔がほころんだことを今でも覚えています。

林京子『ミッシェルの口紅』

4061982435.jpg上海・ミッシェルの口紅―林京子中国小説集 (講談社文芸文庫)。著者の上海生活の回顧談・回想録。中国人、日本人、イギリス人の複雑なコミュニティが垣間見えます。

1927年頃の上海で、路地裏の狭いアパートの人間関係が活き活きと描かれていて、よくもまぁ、7歳か8歳くらいの時の印象をここまで細かく書けたなぁと驚きます。

印象的だったのが、日本軍と中国軍が上海事変で局地的な戦争になり、一旦、実家の長崎に引き上げた著者が、収束後に上海へ戻ってきた場面。次のように書いているのですよ。
上海の街は暗すぎた。光が暗いのではない。壊れた家の木片や砕けた煉瓦が、ワンポゥツォの行く手に散らばって、一つ一つが影をつけているのだ。
※ワンポゥツォ=人力車
(林京子『ミッシェルの口紅』中公文庫、1983年、9ページ)

著者は3女だから、結構クールな目を持っています。しかも執筆当時は8歳前後だったこともあるのでしょうが、影(の大小)に気づくという視点に私は驚きました。とっくに忘れていた感覚なので。。。恐らく、戦争後の街路に散らばった様々な破片が、彼女にとって生々しく、大人や姉たちよりも一層巨大なものとして、彼女の身体の前に立ちはだかっていたのでしょうね。

映画『追憶の上海』

B00008CHC9.jpg【邦題】追憶の上海【原題】紅色戀人【英題】A TIME TO REMEMBER【製作年】1998年【製作国】中国【言語】英語+広東語+中国語

【出演】レスリー・チャン(張国榮)、メイ・ティン(梅婷)、トッド・バブコック(Todd Babcock)、タオ・ツァオルー(陶沢如)、ロバート・マックレー、イエ・タンタン【監督】イエ・イン(葉纓)

1930年代の民国VS共産主義を描いた作品。

メインの人物となる4人をそれぞれ組合わせて対比的に描いているが、その設定と展開が絶妙。典型的なのは、メイ・ティン扮する革命戦士の少女と、その父親で中華民国の警察の偉いさんとの確執。この父娘の関係には、かつては共産主義運動に荷担していた父が、民国警察に娘を人質に取られ寝返ったという経緯がある。

9年間会っていないという設定で、直接親子二人が対面して喧嘩するという場面は出てこず、父親が娘を思い出すということしか描かれないが、父親の結末に象徴的なように、当時の不安定な人間関係が手探りの状態で展開されている。

また、レスリー・チャンの演技がここでも嵌りきっている点も見どころ。中国人どおしの戦争(つまり内戦)が不毛で非生産的なものとして、レスリー扮する革命家ジンと彼を取り巻く人たちの関係をつうじて描かれているわけだが、戦後に中華人民共和国政府が政治的にとても慎重な態度を持ってきた理由がよく分かる。

ところで、現代の上海は、映画の冒頭と最後で象徴的に東方明珠が出てくるが、前の黄浦江を流れる水の揺れが強調されていたのが印象的。

旅日記(2005年3月)

上海では、パソコンが先月壊れたために失われた写真を取り戻そうと、300枚ほどデジカメに収めましたが、やっぱ夜景がイマイチ、って、こう書いている今になって「夜景モード」にするのを忘れていたということに気づいたりするわけですが、絶景といわれるバンド(外灘;旧租界)の写真も数枚は成功しました。

あと貴重だったのは、最終日前日つまり一昨日ですが、茂名路や准海路など服のお店が並ぶ通りを歩いていたとき、幸運にもブティック経営者の方と話す機会に恵まれたことです。彼女は中国語、広東語、上海語、英語を話すことができるので、こちらの貧しい言語力に合わせてもらい、英語でひたすら話し続けました。高校を中退して上海に来て、10数年の間給料をコツコツ貯めてブティックを2年前にオープンしたそうです。

日本では和服の需要が高度成長期以降に激減し、在来綿織物業も衰退するという悲惨な状況が生じましたが、その点を憂いながら「韓国や日本の衣料を販売するのもいいけど、この2国はほとんど欧米の物まねしかできない国で、独自の文化を不幸にも持つことができなかった。日本は服飾の原点の仕立屋すら消滅した国だ。だから、中国の伝統的でカジュアルな服も同時に販売した方がいい。中国の強みはそこにあるよ。」と拙い英語で語ったところ「新しいお店を2軒持つつもり。30代以上の女性をターゲットに、できるだけ幅広いジャンルを扱うから、心配する必要はない。」との答えが返ってきました。

旅日記(2005年5月)

最近、日本のマスコミが神経症的になっていて、あらゆる人為的なミスも許さないという姿勢が強まっていますね(規律社会から管理社会への変化。つまりアメリカの一端に相応しい神経症です)。友達たちだけでなく、上海でもヒアリングしてみましたが、だいたいの意見は「あぁ、20歳くらいの子供たちが暴れていたね。ストレス溜まっているのよ。」で終わる程度。もちろん、大使館の一部破損など脱線はあったものの、所詮、20歳前後のガキの戯れという認識が一般的なようでした。

こういう国による印象の違いを感じるたびに、他国のことをウダウダ書き立てるより、暴走族をストーカーでもしたらどうなんだと思うのですが、まぁ記者どもに聞く耳はないのでしゃぁないのかな。

そりゃそうと、今回は上海でお願いした女性3人の写真3枚も含めて、451枚撮してきました。バンドと呼ばれる知らぬ人はいない程に観光地化されている箇所の近代建築と街路がメインです。あとは、レスリー・チャンやトニー・レオンの伝記を買ったり、安いDVDを買い倒したりとショッピングも楽しめました。

3月に行ったときにはまだ感じなかったのですが、少なくとも農工業とサービス業が兼ね備わっている上海については日本(東京)の横に並んだという印象を受けました。今とは逆に、この数年間で、短足でスタイルや体型バランスの極端に悪い日本人女性たちのファッション目標が上海の女性たちとなってゆくのでしょう。

そんでもって10年後には東アジアの地域が中国の政治力と経済力を中心に牽引されていくのを確信したり・・・。2、3年内に日本の政治家の力が問われ、恐らく中身のともなわないプライド(世界各国で爆笑される日本人全般の特徴)のせいで外交が潰れ、あとは没落という日本史の終焉を迎えるんでしょうね。

中国銀行口座解約について(旅行会社に感謝)

しょっちゅう頼んでいた旅行会社ジョージハウスジャパンさんには、2度にわたってお世話になったことがあります。

まずは1回目の2004年6月。渡航当日にもチケットが届きません・・・。これは郵便局のミスで、隣室の台所に挟まれていたという驚愕の事実にも、スタッフの方がチケットの日時変更にギリギリまで対応してくださってのが、大助かりでした。結局、日時変更せずに予定通り出発できたのですが(郵便局の方が2人、自宅まで来て丁寧に対応してくださったのも感謝)。

さて、この記事のタイトルの本題です。

2度目にジョージハウスジャパンさんに感謝したのは、つい最近、2005年(本年)11月のこと。

中国銀行(Bank of China)の銀行カードと通帳を今年のいつかに紛失し、悪用の不安があるので解約したかったのですね。中国銀行大阪支店に、その旨を尋ねたところ、まずは紛失届を提出して、その後に解約手続きをする必要があるとのこと、さらには、日本の中国銀行諸支店と、本国(中国)の中国銀行はオンラインで結ばれていないため、日本国内からは届けの提出や解約手続きなどができないとのことで、結局言われたのが、

通帳を作った現地へ行ってくれ

とのこと。ただ、紛失届提出と解約は1日でできるはずと言われたので、

たった一度なら

と思い、11月中旬に私は中国へ渡ったわけであります。このとき、ジョージハウスジャパンさんには、航空券はもちろんのこと、ホテルの予約と汽車のチケット購入までしていただき、非常にスムーズに事は運びました。

ところが、通帳とカードを作った支店へ到着して片言の英語で話すも、どうも雲行きが怪しい。紛失届を提出して、銀行の職員からもらった書類には「七天后」という文字が・・・。間違いなく「七日後」・・・。と不安に駆られているとき、職員が英語で付け足します。

7日後から14日後の間にもう一度来てください。そうすれば、解約でき預金も返せます。

これは辛いものがあるので、私はジョージハウスジャパンさんの担当者に国際電話。担当の方は恐らく中国人(中国語を話せる方)の方で、銀行の職員と話をしてくださいました。

そうしてまた、帰国後すぐにジョージハウスジャパンさんに電話。担当の方が事情をよく知ってくださっているので、スムーズに予約。ホテルと汽車も準備万端。

ってことで、11月下旬に再度、中国へ行き、無事に解約ができました。当時の恋人だった中国人に国際電話で「解約できたかどうか」を中国語で確認してもらい、翌日、ジョージハウスジャパンの担当者さんにも「没問題」の旨を伝え、無事に帰阪いたしました。

サイトについて

追憶の上海は、運営者が2004年と05年の2年間、計10回の旅行で撮した写真を中心に作成したサイトです。

近年、経済が活発化してきた中国でも、とりわけ上海は活気がみなぎっている市域で、古今東西、明暗、老若男女、貧富といったさまざまな対立項が密集しています。都会は都会であると同時に(東京同様)田舎者の集まりでもあり、ここにはさまざまな食生活や衣料文化が凝縮されているといっても過言ではありません。

このサイトは、写真を中心に上海の現状を伝えつつ、歴史も参照することで、上海の色々な顔をお知らせすることを目的にしています。ネットサーフィンだけでなく、リアルな旅のお供にもお役立て下さい。

(参考)中国の行政区域

中国は国土面積が非常に大きい(日本の約26倍)ので、行政単位は、日本が地方を行政単位としていないのに対し、中国は、日本の地方程度の広さの区域を行政単位としている点が異なります。

日本では近畿地方や関東地方などの「地方」は行政単位になっておりません。中国の場合、日本の地方に該当する広さの行政単位は省です。省以下は、市が日本の都道府県、県が日本の市郡に該当すると考えればすっきりします。

なお、政治的、経済的に特に重要だと判断された市については、直轄都市(四大直轄市)として、北京市、天津市、重慶市、上海市の4つが指定されています。当然、これらの市は、いずれの省にも属していません。

上海って?

呼称:上海市 略称:滬 hu
人口:1711万人 面積:0.62万平方キロ
六大分類:華中 三大分類:東部 外資投資:長江デルタ

人口1700万人強を有する四大直轄市(他に北京、天津、重慶)の一つで、中華人民共和国のなかで最も経済が活発な地域です。

東海岸中央部に位置することもあって、ヨーロッパ、ロシア、日本の軍事侵略・経済侵略のターゲットになってきた歴史が長く、その名残を示す建物も随所にみられます。とりわけ、バンド(外灘)から静安区までの区域では、近代建築が目白押し。

現在は、「上海コレクション」開幕も時間の問題と思われるほどファッションの情報発信地としての役割が目立ちますが、表面的にだけでなく、日米企業の進出地として、また中国国内の出稼ぎ場として、さまざまな人たちの産業・経済活動全般を受け入れている上海。太っ腹なこの地に食べ過ぎの疲れはないのでしょうか?

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