旗袍 チーパオ : 概要・影響・民国期の変化

旗袍 : 概要

旗袍 とは、スリット(開衩)、立領(詰襟、チャイナ・カラー)、斜め開きの襟(大襟)、首→右肩→右わき腹へ規則的間隔で留めるチャイナ・ボタンなどで有名なドレスです。旗袍の英語表記は qipao (チーパオ)。英語文献では長衫(cheongsam)、つまり長い着物と表記されることもしばしば。厳密にはチャイニーズ・ドレスですが、日本ではチャイナ・ドレスとよく呼ばれます。

旗袍を掻い摘んでまとめますと、中国清朝を支配した女真族(満族)の長い衣装が呼称の由来です。漢民族は満族を旗人と呼んでいました。現在にいたる旗袍の原型が形成されたのは1930年代のことです。

張曼玉(Maggie Cheung) の 旗袍 「花様年華」
かなり高い領の旗袍を着た「花様年華」の張曼玉(Maggie Cheung) (c) 2000 by Block 2 Pictures Inc.

清代の旗袍

女真族(満族)が着用していた頃の旗袍はズボンと組み合わせて着用されました。後代に比べてゆったりと感じる布の量感は綿入や袷の習慣があったためです。

次の写真は廣州集成圖像有限公司所蔵のものです。写真の角度と被写体の角度から、立領と開衩が目立ちませんが、大襟は左の女性からは太い10本ほどの縁取り線を、真ん中の女性からはナルト風に装飾された布がパイピング(縁取り)としてあてがわれていることを確認できます。真ん中の旗袍の下方に縫目があります。これは左右の綿入が混ざって異動するのを防ぐためで、清代旗袍にはよく見られます。

旗袍 清代満族的旗袍 Manju's qipao at Qing Dynasty
清代滿族的旗袍 via 旗袍百年變奏 展現中國古典美 – 太陽報

旗袍の影響

中国、朝鮮、日本、ベトナムでは古代中国から衣服(主に漢服)の影響を強く受けてきました。その内、朝鮮と日本では、それぞれツー・ピースおよびワン・ピースの形態を採った衣装として一部の人々に展開してきました。チマ・チョゴリ(치마・저고리)と着物(きもの)です。

これらはいずれも20世紀になってから、洋服からの影響を受けて民族衣装として再編成されたものです(「和服の洋服化 : 衿元・胸元と端折りの関係から」ほか)。中国の旗袍は、ベトナムのアオザイ(Áo dài、襖)と同じく、洋服の影響をいっそう強く受け、身体のラインを強調する裁縫技術が積極的に導入され、1世紀前の姿とはずいぶん違うようになりました。他民族衣装への旗袍の影響は「袖形成と上下の組み合わせからみた東アジア民族衣装の展開」もご参照ください。

民国期旗袍の変化

民国期に旗袍は漸次的に洋裁(西式裁縫)を採り入れました。1910年代・1920年代には清朝期旗袍に対し細くなりました。綿入が消滅したので、旗袍が柔らかく見えるようになります。しかし、1930年代からは旗袍の緊密性や拘束感が強まります。体型が如実に表れ、身体に密着する立領と身頃が際立ってきます。旧旗袍は長袖でしたが、新旗袍の袖の長さは色々で、袖無や半袖が多く長袖は少数でした。

新旗袍は1910年代半ばに上海で流行した後,1920年代から1940年代にかけて全国的な広がりを見せました。それからというもの、袖の長さ、立領の高さ、開衩の深さ、丈の長さ、柄の豊富さ、身体密着度などが旗袍の多様性を構成していきました。これらの傾向は地域と時期によって異なります。1930年前後の代表的な旗袍は、北京拠点の京派と上海拠点の海派の違いが有名です。いずれの旗袍も綿入が消滅しましたが、生地柄は後者の方が西洋風に華美で、また腕と足の露出を強めていました。

新しい旗袍が「曲線造体」(身体に沿う曲線、スリム化)で構成され、「緊身的方向」(身体密着的な方向、ボディ・コンシャス化)に形成されたのは、欧米の裁縫技術を取り込み、立体構成で作られるようになったからです(詳細は「旗袍の洋服化」)。旗袍が導入した洋裁技術の一つに接袖が挙げられます。旧旗袍は肩と袖が水平に連なっていて(連袖または平連袖)、衣服形態上に肩と腕という区別が存在しませんでしたが、1940年頃から新旗袍は接袖(set-in sleeve)を採り入れ、肩と袖が別々に裁たれた後に縫合されるようになりました(接袖)。肩・袖の裁縫方法が変化したことは新旧の間にある地味ですが決定的な変化です。

旗袍 民国海派旗袍赏 : 南京金陵大学学生,摄于1940年。Qipao in 1940
民国海派旗袍赏 : 南京金陵大学学生,摄于1940年 via 相册_POCO空间_POCO网(POCO.CN)

1940年代まで旗袍の裾丈は足首から膝までを上下しました。脚を見せるという選択肢が旗袍に備わったため、当時は主として防寒目的で膝下を覆うストッキングやタイツが穿かれるようになりました。同じ目的で外套も着られ始めました。脚の露出はハイ・ヒールのパンプスが好まれました。

写真は、1940年に撮影された南京金陵大学学生たちの海派旗袍だと転載元に説明されています。抗日戦争(日中戦争)時、物資欠乏と節約強要は中国も日本も同じでしたが、旗袍には国産布を用いたため衣服の材料生地は不足しませんでした。とはいえ、かなり装飾が質素になっています。なお、私の妻が2015年に雲南省博物館で開催された海派旗袍展に行きました。その感想が写真付きで「海派旗袍展-雲南省博物館 | atelier leilei」に詳しく述べられていますので、ご参照ください。

旗袍という言葉

中華民国議会では旗袍の言葉の是非がたびたび議論されました。旗袍という名前が旧政府の清朝を想起させるという理由からです。しかし,長衫や長袍等,候補に挙げられた呼称では男性衣服名と混同するという理由で,結局は旗袍で統一されていきます(1920年代初頭)。1929年4月に国民政府が「服装条例」を公布し、旗袍が女性の礼服として正式に決められました。

旗袍のデザイン・ポイント

以下の3箇所は旗袍の製作過程の中でもっとも難しくて手間のかかる作業です。

  • 高い領
  • チャイナ・ボタン
  • 縁取り

旗袍の領を高くする場合は、硬い芯地を入れます。そうすると、型崩れせずキリっとした形になります。チャイナ・ボタンは市販の物よりも自分で作った方が形が良く、かけ易くて長持ちします。縁取りは配色のアクセントが大事です。違う色の生地を使ったり、幅広くしたり、二色使いでダブルにしたりと、パイピング(縁取り)一つで旗袍の表情も変わってきます。


この記事の面白かった所や分かりにくい所を教えて下さい!

[投稿日]2017/01/10
[更新日]2017/05/28