21世紀20年まで:旗袍がファッションからコスチュームへ

歴史(年代別)
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1980年代になると、普段着に旗袍を着る人はかなり減りました。

旗袍を着る人が減ったことは、中国大陸だけでなく香港や台湾や東南アジアの人たちにもいえます。

この時期に旗袍はレストランやホテルのフォーマルウェアになっていました。日本でチャイナドレスの言葉で親しまれるようになったのもこの時期です。

この記事では21世紀20年までをとりあげ、旗袍がファッションからコスチュームへ変わった経緯をたどります。

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2000年代

2000年代、私が初めて上海(中国)へ行ったとき、レストランやホテルで旗袍を着ているウェイトレスやフロントが結構いました。

ぱおつ
ぱおつ

1990年代までを引きずったのが2000年代だと思います。

上海龍鳳中華服装有限公司

上海龍鳳中華服装有限公司のような老舗は2000年代から着々と営業を続けてきました。

1993年と2011年に、上海龍鳳中華服装は国家商業貿易部に中華老舗の企業を受命。

この製作技術は2007年に静安区の無形文化遺産リストへと上海市の市級無形文化遺産リストへ登録されました。2009年には国家級無形文化遺産にも。

中国風ファッションの再来と新しいチャイナドレス店

1980年代、チャイナドレスが人々の視野に戻ってから、チャイナドレスの製造・販売を専門にする衣料品店や衣料品会社が上海にだんだん現れていました。

21世紀の最初の10年間、ファッション業界でつよい中国風ファッションが生まれました。

世界貿易機関(WTO)、ブリックス4国(ブラジル、ロシア、インド、中国)、2008年の北京オリンピックと2010年の上海世界博覧会で「中国」にかんする議題がさかんに展開されたからです。

西洋の有名なファッションデザイナーたちがつぎつぎに上海や北京で旗艦店をオープン。

中国の文化や文字をファッションデザインの要素へと変えました。

21世紀の中国は世界の舞台からふたたび文化的アイデンティティの正字表記を取得かのようでした。

新しいチャイナドレス店が注目されていったのが2010年代でした。。

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2010年が旗袍(チャイナドレス)の転機に

上海のチャングルロードやマオミンロードなどには、小さなチャイナドレス(旗袍)店がたくさん並びました。

多くのチャイナドレス店が集まって「チャイナドレス・ストリート」がつくられ、繁栄したエリアになりました。

これらの店は小さく、カスタマイズ・ワークショップ(カスタム・チャイナドレス)の形で妙技を披露しています。各店舗には、生地の選択、職人技、詳細なデザインに独自のメリットがあります。

2010年、上海旗袍のカスタマイズを標準化してハイエンドに押し上げる動きがありました。

上海ファッション協会が主導して、上海スタイルの旗袍を高度にカスタマイズするために一連の作業を行ない、「上海旗袍高度カスタマイズ標準」を起草しました。

Hanyi、Man Loulan、Qin Yi、Longfeng、Zhuang Rongなどのリーダーたちが「Shanghai Cheongsam Advanced Customization Center」を設立しました。

これにより、チャイナドレスを業界標準と業界提携でカスタマイズできるようになりました。

相互学習によって各店舗が営業しています。

ぱおつ
ぱおつ

上記の旗袍ファッション・リーダーのうち「Man Loulan」のお店は見たことがあります。

旗袍ファッション・リーダーの一つMan Loulan(蔓楼蘭)

旗袍のブランドの一つ蔓楼蘭は上海市黄浦区南京東路に店を構えています。

次の写真は2016年夏に上海へ行ったときに南京東路で写したものです。中国語簡体字では「蔓楼兰」と表記。

LOMELL / Qipao by Manloulan @Shanghai, Aug. 30, 2016. (660 Nanjing Road, Huangpu Qu, Shanghai Shi) / 蔓楼蘭的旗袍@上海、2016年8月30日(中国上海市黄浦区南京東路660)

10年ぶりくらいで街に並ぶ店舗がすっかり様変わりしていました。

民国期上海を想像させる老上海というキーワードが南京東路の一つのテーマになっています。

蔓楼蘭ブランドは1997年に上海で創業しました。

現在は中国チャイナ・ドレスの10大ブランドの一つとして、レディース・ファッション、メンズ・ファッション、子供服、アクセサリー、ギフトを取り扱っています。

蔓楼蘭の公式サイト 蔓楼兰 – 都市的高品质生活姿态

蔓楼蘭の歴史

この蔓楼蘭(蔓楼兰/manloulan)も老上海をイメージさせるチャイナドレス販売店です。

公式サイトによりますと、2013年に「国際企業家展示海派旗袍」でコレクションを披露しました。

蔓楼蘭の旗袍は海派旗袍がテーマです。旗袍の袖つけに接袖が多いのはこのためでしょうか。

Qipao by Manloulan @Shanghai, Aug. 30, 2016. (660 Nanjing Road, Huangpu Qu, Shanghai Shi) / 蔓楼蘭的旗袍@上海、2016年8月30日(中国上海市黄浦区南京東路660)

上の写真でマネキンが着る旗袍は非常に丈が短く設計されています。

スリットを確認できません。大襟も省略されているでしょうか。後ファスナーの可能性があります。

このマネキンの座り方から、丈が短い現代旗袍を着るときの脚の露出と演出の仕方がわかります。

接袖旗袍 set-in sleeve / Qipao by Manloulan @Shanghai, Aug. 30, 2016. (660 Nanjing Road, Huangpu Qu, Shanghai Shi) / 蔓楼蘭的旗袍@上海、2016年8月30日(中国上海市黄浦区南京東路660)

蔓楼蘭のこだわる蘇州刺繍

蔓楼蘭の旗袍には蘇繡(苏绣)という刺繍が多く施されています。

この刺繍は江蘇省東部各地の伝統的な刺繍の総称で、蘇州、無錫、常州、南通、揚州などを含みます。

蘇州刺繍は鮮やかな色彩、高度な技術で内外に知られ、湖南の湘繍、広州の粤繍、四川の蜀繍とともに中国四大刺繍の一つとされてきました。

レイレイの蘇州刺繍報告

蘇州刺繍の刺繍糸はかなり細く、もっとも細い糸は髪の毛の十分の一です。

色艶やかなシルクの刺繍糸は100色以上におよび、豊かなグラデーションを表現できます。

蘇州刺繍はシルク100%の刺繍糸を使っています。

現場ではこん~なたくさん色が揃っています。

蘇州刺繍(蘇繍)、2010年1月24日。atelier leilei提供。

高度な技法と多種類の刺繍糸により、従来の刺繍では無理だった、絵画や写真かと見まがうほどの豊かな色彩と立体感のある生き生きとした仕上がりができました。

蘇州刺繍(蘇繍)、2010年1月24日。atelier leilei提供。

刺し子は一針一針と丁寧に刺繍しています。

なんか、気が遠くなりそうです…。

ちなみに絹糸の刺繍糸は1本そのまま使うのではなく、細く細かく何本かに裂いてから使うそうです。多い時はなんと16本も裂くとのこと…。

本当にびっくりです(-0-)/

蘇州刺繍(蘇繍)、2010年1月24日。atelier leilei提供。

丁寧に丹精を込めた作業の成果です。

本物を見ると思わず感動しちゃいました!

蘇州刺繍(蘇繍)、2010年1月24日。atelier leilei提供。

私の一番のお気に入りはこの「孔雀図」です。

羽毛の1本1本まで細い絹糸で見事に再現されました!

自分の部屋に飾りたい刺繍NO.1です。

2010年代

2010年代、旗袍を着ているウェイトレスやフロントはほとんど見かけなくなりました。

すっかり中国の風景が変わりました。

制服旗袍(ユニフォーム・チャイナドレス)が消えました。

催事用旗袍(イベント・チャイナドレス)として、またコスプレ・チャイナドレスとして残ったのが2010年代の旗袍の歴史です。

露出系コスプレイヤーの惨状

コスプレとなるとチャイナドレスって一気にミニになります。

結局、2010年代の10年間、露出系コスプレイヤーは《脱ぐと逮捕》の柵(シガラミ)から抜けられず、同じ丈で同じように露出をしてきました。

コスプレのチャイナドレスは、他人との差別化や自分の過去との差別化ができない衣装になってしまいました。

といっても、中国発の世界的コスプレイヤー小柔SeeUさんのように、世界水準を超えている露出系コスプレイヤーがいるもの確か。

だいだいの傾向としては、最近のコスプレは露出と逆の民国旗袍やアオザイへ人気が移ってきています。

民国期旗袍をイメージさせる商品は上海その他の地域で多く見かけます。

上海発アイコン化された旗袍

私が初めて中国へ行ったのは2004年春の上海でした。

それから1年後の2005年5月の浦東は、こんな感じでした。

上海浦東地区 May, 2005

2006年頃から上海へ行かなくなり、久しぶりに行ったのが2013年でした。

2017年は8月に行きました。その時の浦東地区の写真が次です。

上海浦東地区 Aug, 2017

少し角度が違うので雰囲気の違いがわかりにくいですが、かつて上海最高だったエンパイア・ビルは上海環球金融中心(森ビル)に抜かれました。

その上海環球金融中心も今では影を潜めて、上海中心大厦(Shanghai Tower)がダントツの高さを誇っています(2014年時点でビルディングの世界2位)。

この間、上海を旅したことのある世界中の人々が外灘側から東方明珠を中心に写してきたこの種の写真が、近年は横にズレていっているはずです。

上海浦東地区 30, Aug, 2016

ビル建築の速さにも圧倒されます。

上海市内だけで、この10年ほどの間に地下鉄は10本が開通し、街路はチェーン店がさらに急増していて、ためらいました。

旗袍をアイコン化したチェーン店「摩登紅人」。化粧品や雑貨を販売しています。上海市南京東路、2016年8月30日。

そのチェーン店の一環として、中国では上海を中心に民国期ブームにあやかったレトロな商品がたくさん企画され販売されてきました。

人間は近代に活きることを止めて、近代を消費するようになりました。

見ていて惚れ惚れする旗袍もまた、レトロな雰囲気をぶら下げて、色んな商品で見かけるようになりました。たとえば先におみせした「蔓楼蘭」のような店です。

また、人々が旗袍を着ることはレストランですら見かけなくなりました。

楽しいけど寂しいという二重の気分になるのは、おそらく私が現代人ではなく近代人だからでしょう(笑)。

新しい生地素材へのチャレンジ

身体をどこまで見せるかに限界があります。

旗袍に手を加えるほうが創造性も豊か。

紙製の上着

まずは紙製のジャケットやガウンをご紹介。

旧暦の正月を旗袍を着て祝うという恒例の慣わしに紙製の上着が出現しました。

中華人民共和国山東省にある聊城市では2018年2月10日に梁遠(Liang Ying)がデザインしたチョンサムの服を愛好家たちが来ました。

髪ではなく紙をカットして旗袍の上に掛けています。無形文化遺産の1つである中国の伝統的なペイパー・カッティングで、梁氏は省トップの継承者です。

ペイパー・カッティング・オーナメント。Paper cutting ornaments for qipao designed to greet Chinese Lunar New Year

旗袍ベテラン職人の減少

つぎは、旗袍のベテラン職人が減った話です。

旧暦正月を祝うのに旗袍不足が生じて、必ずしも旗袍にこだわる必要がないのではという意見が出ることも。

「中国の正月に旗袍は必要か?」

単刀直入に話を進めるのはSouth China Morning Post誌。最近は香港にいるベテランの上海テーラーたちの多くが引退し見つけるのが難しくなっています。

代わりに若いドレス・メーカーが旗袍を提供を開始。

同誌に取り上げられている5人のファッション・デザイナーのうち、日本人デザイナーのケイタ・マルヤマ氏の話を取り上げます。マルヤマ氏は中国のモチーフである花柄や龍の刺繍など東洋要素を積極的に取り入れたデザインが定番です。

旗袍は、女性の曲線を強調するため着用が難しいことがあります。 私はそれらをより快適にしたいと思っています。スタイリッシュですが、毎日着ることができます。そういうわけで私のデザインは従来よりも少し緩やかな仕上がりなっています。South China Morning Post

チャイナドレス復興をねらうファッションショーや展覧会はにぎわう

チャイナドレスの人気が下がっていることは中国大陸、香港、台湾、それに東南アジアでも知られています。

次に紹介するのはチャイナドレス復興をねらうファッションショーや展覧会。

Exhibition of Shanghai style cheongsams kicks off in Paris

2018年2月8日、フランスのパリにある中国文化センターで「上海スタイル・旗袍百周年記念展(The Centennial Exhibition of Shanghai Style Cheongsams)」が開催されました。

同文化センターと上海無形文化遺産保護協会が共同開催した展覧会は「ハッピーチャイニーズニューイヤー」の文化活動の一環。犬年を歓迎しました。

この展覧会はいろんなスタイルのチャイナドレス20点を公開しています。テーマは中国の長期ににわたる旗袍文化と過去の上海美学。

海派旗袍という上海美学の旗袍バージョン。伝統的な文化と現代の要素を統合して上海スタイルの旗袍を形づくってきました。

パリの中国文化センター所長であるヤン・チェンクアン(Yan Zhenquan)氏はチャイナドレスが外国人と中国衣服文化の代表者にもっともも特徴的な中国の衣服に映ると語りました。

同氏は展覧会が中国とフランスの文化交流を促進し、フランスの民衆が中国文化をよりよく理解できるよう希望しているとも語りました。この展覧会は2月28日まで開催されます。展覧会ではチョンサムに関する特別講演が行われます。(以上「Exhibition of Shanghai style cheongsams kicks off in Paris」を圧縮意訳)

Spotlight on beauty of cheongsam

既婚女性・未婚女性の旗袍姿を評価するインターナショナル・チャイナドレス・クイーンの選考会「マレーシア・ケバヤ 2018」がマレーシアで行なわれました。

今年で4回目。今回のテーマは「心を癒す美しさ」。

主催者の一人Kee(喜)氏はコンテストにむけた記者会見で語りました。

プラットフォームを創りあげることでインスピレーションをうけた若い女性たちが自分の才能を披露して、専門的に訓練されたモデル産業を模索する機会になればいいと。

スリーブ(袖)は短いですが、裾丈は踝までのロングもあれば、膝上のショートもあります。ショートの方が目立ちますが、コンテストのテーマである「心を癒す美しさ」はロングの方に分があるように思いました。単なる美人コンテストに終わらないよう応援したいと思います。

(以上「Spotlight on beauty of cheongsam – Metro News | The Star Online」を圧縮意訳)

民国系コスプレイヤーの台頭

この数年間の露出系チャイナドレスのコスプレイヤーたちを見ているとTwitterやInstagramのフォロワー数が伸びず、2010年代にくらべて哀れな状態です。

露出パターンは、旗袍の美的基準が脚から胸へ変化した点で説明できます。

胸を強調するとき、旗袍で邪魔になるのは大襟。ですから、いま大襟をもたない旗袍が溢れかえっています。

このように考えると、露出度を高めてチャイナドレスを着ているコスプレイヤーじゃなく、旗袍の基本4要素のうち3要素ぐらいは押さえた旗袍を着ているコスプレイヤーの方々やビンテージ旗袍の愛好家を応援したい気持ちになります。

民国旗袍をみごとに再現しているのが柳花痴狂さん。

北京発の柳花痴狂さんから、1910~1940年代のチャイナ服や中国古来の衣装の写真を集めています。

ハンドメイド作家の登場

また、中国大陸、香港、台湾、日本などで、ハンドメイドの旗袍が注目されるようになりました。

この現象も2010年代になってからです。

上海ファッション協会は高級なテーラーメイドの旗袍をめざしていますが、他方、普段着の旗袍をつくるハンドメイド作家が現れてきたのは頼もしいことです。

いま、旗袍を着る人たちは次のどれかで旗袍を調達しています。

  • ビンテージ旗袍を買う
  • ビンテージ風の旗袍を作る・買う
  • 布コスト削減チャイナドレスを作る・買う

いまでも旗袍を仕立てる古いお店もあります。

チャイナドレス・コスプレの行方

旗袍(チャイナドレス)は、普段着、制服、催事・コスプレの流れでモードの世紀が一周しました。

この間、旗袍(チャイナドレス)は露出規制に関する法律を超えることができませんでした。

コスプレの限界と可能性

21世紀のコスプレは露出を適当に楽しんでメイク加工にも重点をおく方向と、露出を重視せず旗袍(チャイナドレス)と顔の表情に重点をおく方向が残っています。

つまり、小柔seeuさんと柳花痴狂さんの道があります。

残念ながら、最近の日本で撮影しているコスプレイヤーたちは、2000年代の創造性豊かな時代から減退していて、小柔seeuさんの容姿や画像映像の編集レベルを超えられませんでした。

中国人コスプレイヤーの強さ

中国人コスプレイヤーが世界中で有名になりやすい理由は、もともと中国人の方が脚の形が良くて長いという問題だけではありません。

  • 絶望を見る日本人コスプレイヤーと展望を見る中国人コスプレイヤーとの視線の違い
  • プレイヤー自身が画像映像を編集できる、またはカメラマンに依存しきらない、女性の自立心

中国と日本のコスプレイヤーをみていると、両者には無数の埋められない水準差があります。

衣服の歴史を勉強していくと結局コスプレを語らざるを得なくなります。

なぜなら、今はほとんどの服がニットか、ゆったりした布帛のどちらかになっていて、形態は既製服のパターン化された洋服、ルーズ化した洋服だからです。

どこにでもあって誰でも着るような服を論じてもつまんないので、力を込めて語るとするとコスプレになるわけです。

他方、露出系コスプレの極限の課題はすでに使い古された感があって、2020年代の露出系コスプレはどうなるんでしょうか。私としてはむちゃむちゃ飽きてます。

他方で、時代物や歴史系のコスプレは大流行。

こちらはどんだけ衣装を見せるか。ビンテージ・ファンの旗袍女性たちは自分とうまく似合うかを考え、写真の手も込んでいます。

ペインティングで旗袍を人体に再現

中国のインターネット記事「上一组有创意的旗袍题材的人体彩绘」を見て驚いたアートがあります。

リアリティから判断して面白い現象だと思いました。

これは人体が旗袍を着ているようにペインティングする芸術です。日本にも人体ペインティングがあるにはありますがパッとしません。

中国だからこそリアル

日本では簡単に裸になれますから、人体ペインティング芸術は物好きに終わってしまいます。

でも中国ですとパブリック性をもち、アートになります。展示会でかなり活況を呈しているようです。

表現の自由とペインティングのリアリティ

日本ではよく表現の自由が取り沙汰されます。

表現が自由すぎるとアートとヌードのあいだには何の垣根もありません。

でも、中国のように簡単には脱げない社会ではアートとモードの垣根が高く、規制のもとでのアイデアが生まれやすいんですね。

日本で人々は自由のもとで不自由になります。

中国で人々は不自由のもとで自由になります。そしてアートが鮮やかに輝きます。旗袍を裸体に塗った姿をぜひご堪能ください。

このサイトの旗袍年代記、チャイナドレスの歴史も現代までやってきました。

これからは調べ物をまとめていく作業は減らして、旗袍ファンの方の活躍を見守ったり、atelier leileiの作品づくりを取材したりと、花開く現代旗袍をカメラに収めていきたいと思います。

歴史(年代別)
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この記事の著者
ぱおつ

旗袍好きの夫婦で運営しています。ぱおつは夫婦の融合キャラ。夫はファッション歴史家、妻はファッションデザイナー。2018年問題で夫の仕事が激減し、空きまくった時間を旗袍ラブと旗袍愛好者ラブに注いでいます。調査と執筆を夫、序言と旗袍提供を妻が担当。

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