ピエール・カルダン : Pierre Cardin

ピエール・カルダン の概要

ピエール・カルダン Pierre Cardin は1960年代に宇宙服のデザインとライセンス戦略でオート・クチュール界を陳腐化させたデザイナー。その軽快で簡潔なデザインはアンドレ・クレージュと並んで称賛されます。

ピエール・カルダン アンサンブル、1968年、毛・プラスチック
ピエール・カルダン、アンサンブル、1968年、毛・プラスチック via Pierre Cardin | Ensemble | French | The Met

ピエール・カルダンの個人略歴

ピエール・カルダンは、1922年、イタリア・べニス生まれ。両親はフランス人。17歳でヴィッシーの仕立屋で働きはじめ、フランスがドイツから解放された1944年にパリへ出た。1945年からイシドール・パカン(パキャン)、エルザ・スキャパレリリュシアン・ルロンピエール・バルマンの店を駆け足で遍歴。1946年、創業したばかりのクリスチャン・ディオールの店に移り、舞台衣装、紳士服なども手がけた。1947年2月にクリスチャン・ディオール店初のコレクションで著名な「ニュー・ルック」が発表されたが、ピエール・カルダンはタイユール(テーラード仕立て)のアトリエ主任として参画した。当時、クリスチャン・ディオールのメゾンには、イヴ・サンローラン、ギィ・ラローシュもおり、ピエール・カルダンを含めて、ディオールの「若き3プリンス」とよばれた。

ピエール・カルダン アンサンブル
ピエール・カルダン アンサンブル Ensemble (via The Met)

ピエール・カルダンの店舗略歴

ピエール・カルダンは1949年にサントノレ街に自分の店舗を開き、男性向けと女性向けとに分け、それぞれを「アダム(Adam)」と「イブ(Eve)」と名づけました。1957年秋の「投げ縄ライン」以来、次々と意欲的な試みを発表し、布地の魔術師といわれたほどの前衛的な才能がいかんなく発揮されていきます。そして、宇宙時代といわれた1960年代、とくに1964年の「スペース・エイジ」など斬新なアイディアと宇宙的なデザインで一時代を画しました。さらに、1966年のヌード・ルック、金属製の装身具、ユニセックスの宇宙服スーツ、チュニックとタイツの組合せなどは、斬新さのオンパレードといえるデザインでした。ピエール・カルダンは、早い時期から裁縫師としてプレタ・ポルテも手がけ、子供服やジュニア服まで創作活動を広げました。

ピエール・カルダンは、1962年にプランタン百貨店でカルダン・コーナーを開設し、自店のオート・クチュール作品のコピーを自店で作製した安価なプレタ・ポルテを売り出しました。これによって、クチュール業界のプレタ・ポルテ進出の主導権を取り、オート・クチュール(注文服)のブランドとして、プレタ・ポルテ(既製服)を初めて発表。また、1963年、紳士物既製服業者ブリルの要請で「ジュニア・コレクション」を出し、これが大当たりとなって、婦人服プレタ・ポルテを中止し、ブリルと提携して紳士服業界に進出しました。その後、ピエール・カルダンは1978年に韓国に進出、同年に中国からも招かれ、同国の服装の近代化を指導し、初の外国人ファッション・ショーを北京で実現させました。

ピエール・カルダン コート、1970年頃、皮革・鉄
ピエール・カルダン、コート、1970年頃、皮革・鉄 via Pierre Cardin | Coat | French | The Met

ピエール・カルダンの作品は、ビニールやアルミ、プラスチックといった無機質な素材を使った幾何学的なラインをもった「コスモコール・ルック」が最も有名ですが、女性服では大胆で独特なシルエットをみせ、カートリッジ・プリーツ、スカラップ、くりぬき、金属製のジッパーやベルト、ヘルメットなども特徴的でした。また、ユニセックスな紳士服でこの分野にも新風を吹き込んでいます。

ピエール・カルダンの対日進出と多角化の行き詰まり

なお、1959年に高島屋の招きで来日した際、ピエール・カルダンはファッション・モデル松本弘子の個性を買ってパリに招き、店の専属にしたことは有名です。カルダン自身、日本の伝統的な意匠に興味を持っていました。続く1960年代に日本では百貨店がピエール・カルダンの作品を輸入し始めました。これによって、ピエール・カルダンは、ブランド名をあらゆる分野の企業に貸し出す「ライセンス・ビジネス」を展開。東京にライセンス管理会社「ピエール・カルダン・ジャパン」が開業されました。1979年には東京・有楽町で芸術家具の店「エボリューシオン(Evolution)」を開設。さらに、ジャン・コクトーの映画『美女と野獣』の衣裳デザイン、パリ・コンコルド広場に近い劇場「エスパース・ピエール・カルダン」の経営なども行なっており、多角的な起業家として、他のデザイナーの追随を許していません。

ピエール・カルダン コート、1966年・1967年秋冬コレクション、毛。
ピエール・カルダン、コート、1966年・1967年秋冬コレクション、毛。 via Pierre Cardin | Coat | French | The Met

ピエール・カルダンの名は、既製服だけでなく、魔法瓶、ボールペン、タオルなどにも冠され、中国人や日本人が最初に認知した高級ブランドとなりました。しかし、多くの海外ブランドが日本に入ってきた1980年代以降、そのライセンス商品が、かえってブランドの高級感を損なうことになり、国内では今、ライセンスを減らしイメージの復権に力を入れています。現在、上記以外にも、ワイン、生活用品、かつら、航空機など、ライセンス数は100カ国以上900に及ぶライセンスを取得していますが、経営難は免れず、21世紀になってピエール・カルダンは自社を中国企業に売却しようという意向を示しました〔モードと中国 : ピエール・カルダンの動向〕。

1992年、フランス最高の栄誉あるアカデミー・フランセーズの会員に、モード界から初めてピエール・カルダンが選出されました。

ピエール・カルダンの作品


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[投稿日]2017/01/08
[更新日]2017/05/28