ピエール・バルマン : Pierre Balmain

: Pierre Balmain は1950年代のパリのオート・クチュール界の中心的デザイナーの一人。パリに衣装店を経営していた。

ピエール・バルマンの経歴

ピエール・バルマン は1914年、スイス国境に近いピレネー山麓(フランス側)サン・ジャン・ド・モーリエンヌに生まれた。父は紳士物服飾業、母は婦人服のブティックを経営。建築学を学ぶためにパリの国立美術大学に入ったが、人形の衣裳作りに熱中した少年時代以来のデザイナー志望を捨てがたく、コンコルド広場のデザインにインスピレーションを受けモード界への転向を希望。エドワード・モリヌーのもとに持ちこんだデザイン画が高い評価を受けたのが契機になって、リュシアン・ルロンの店に入りモデリストとして働く。第二次世界大戦で招集を受け、休戦後は母のブティックを手伝う。ルロンから、ドイツ占領下のパリに呼び戻され、新入りのクリスチャン・ディオールとともに再び同店で働くこととなった。

House of Balmain | Cocktail ensemble | French | The Met

ピエール・バルマン「カクテル アンサンブル」1963~67年頃 via House of Balmain | Cocktail ensemble | French | The Met

ピエール・バルマンの開店

1945年の夏、パリのフランソワ・プルミエ通りに母の援助をうけアパートの一室を借り、自分のメゾンを開店。同年秋の初展示では、なだらかな肩、ウェストを絞ったフルスカートのゲピエルックのドレス、ブロンド色のサテンに黒玉石で縫取りした美しい夜のブラウスなどを発表。翌46年の春には、フレッシュな「労働着ルック」のブラウスなどを発表。画家クリスチャン・ベラールが彼のために、貴婦人、上流階級のマダム、有名女優などを次々に紹介したおかげで、ピエール・バルマンは当初から「グランド・ダーム」のクチュリエとなることができた。かたわら、映画、演劇の衣裳デザインも手がけた。

House of Balmain | "Oriane" | French | The Met

ピエール・バルマン「オリアネ」絹、ガラス、貝。1954・55秋冬コレクション via House of Balmain | “Oriane” | French | The Met

ピエール・バルマンの特徴

また、理論家でもあるピエール・バルマンは、「ヘラルド・トリビューン」紙主催の後援会で、堪能な英語を駆使してモード美学の講義をしたのは有名である。また、オート・クチュール組合付属学校で服飾史も担当。ラジオやテレビでの講演も多い。彼の優雅な作風は、世界中の上流階級の女性に人気があった。1957年に発表した香水「ジョリ・マダム」の成功後、同名のコレクションをが名高い。パリ・オート・クチュールの黄金時代といわれる1950年代に、ピエール・バルマンは、、クリスチャン・ディオールと並んで「ビッグ・スリー」とよばれた。1960年代にも優雅で伝統的な衣装を貫いたが、1970年代になると「ジョリ・マドモワゼル」へと変更。日本では、昭和皇后陛下の衣裳デザイナーを務め、両陛下の訪欧、訪米の際に皇后のドレス一式をデザイン、制作した。

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