モードを考える

このページでは、モードについて、辞書から分かりやすく説明しています。

辞書からみたモード

モード/MODEからファッションを連想するのは難しいことではない。モードを考えるうえで、最初に辞書的な意味からイメージを膨らませてみよう。

モードという名詞は、様式、やり方、形態、風(ふう)などの訳語をもっており、定冠詞のtheが付くやいなや、やや固定化された様式という意味で「流行」という衣をかぶせられる。「out of mode」が流行遅れだとか、すたれたとかいった状態を示すのはそのためだ。英和というパラフレーズからは、「ある種の型」といったイメージが出てくる。

ファッションとしてのモード

服飾辞典をみれば、もう少し具体的な模様が出てくる。そこでは「ファッションと同義語」、あるいは、「パリのオートクチュール・ハイファッション」そのものを指す。そして、そのような型が「マスファッションの原型となるようなもの」だというわけだ。

とすれば、ファッションとしてのモードは、オートクチュールを型/MODELにしたハイセンスな仕立服のことであり、それは大衆ファッションのプロトタイプとなるべきものなのである。そこには高級モノが大衆モノを誘引するというような図式が見え隠れしているが、モードとは、その大衆モノを誘導する側の高級モノの方だと分かる。

最新モデルとしてのモード

モードに対して、人格的な表現、あるいは物的な姿を与えたとき、それは同単語のモデル/MODELとなって、ファッションショーの表舞台へと出てくる。モードとはひとつのお手本なのであって、私たちはそれからよそ見をするわけにはいかない。

高級品から大衆品へとモデルが引き継がれ、その時間差において高級品は新たな姿へと生まれ変わる。そして、その姿は大衆のなかに受容されていくたびに更新される。モードが流行やファッションである以上、それは最新の規準を記録する・更新するのであって、それは、「その都度」最新のもの、強いていえば「常に行われる実験」めいたものとなってくる。常に更新されることがモードそのものの性格だとすれば、「常に変化する新しいもの」「常に現代的なもの」として、モードは近代・現代/MODENの申し子に他ならないのだ。

大衆モデルとしてのモード

しかし、モードとは同時に、めざすべき規格という目標めいた意味だけではなく、「和らげる」といった動詞、「穏健な、適度の」といった形容詞などをその周辺においている。マルグリット・デュラスの名作に有名なモデラート/MODERATEである。

だからモードを高次のモノだとはいい切れないのであって、それは様々な次元でいろいろな装いでみせる型なのである。『モデラートカンタービレ』では有閑階級の子息が「ヘタクソ」なピアノレッスンを披露してくれたが、それとて別の角度からみれば、「気楽に音を作ることができなかった」とも読めるわけだ。ピアノの先生がアンヌの息子に繰り返し言葉を添えていたのが「モデラート・カンタービレ」(気楽に歌いなさい、弾きなさい)だった点を忘れてはなるまい。

高級モデルも大衆モデルも、それは立派なモードであり、お手本も使う者にとって手本であるかぎり、それはモードなのである。そしてそれは時として規律的な強度をもって私たちを縛り付け、ある時は楽にもさせてくれる。しかし、どのような形にせよ、モードとはそのつど最新の規準を刻んでいるのである。

私たちにとってのモード

だから、モードは私たちにとって一つの最新規準であることに変わりはないが、近代的な「高級VS大衆」としてのモードは、今となっては古すぎる。それは身分であるとか家の格であるとかに左右された閉塞的なものだったからだ。「高貴なVS卑賤な」という枠組みが、そっくりそのまま「すばらしい人格VSダメな人格」といった対抗関係に簡単にずれ込んだ近代を私たちは嫌悪した。

しかし、その後、私たちがその嫌悪と引き替えに得たものはなんだったのか。近代の規律は強制的で排他的なものだった。しかし、私たちはそれを嫌悪したとはいえ、私たち自身のなかで憧れたり惹かれたりするような「モデル」が消え去ったわけではあるまい。常に新しいのに、すぐにさびれるモードを私たちは数え切れないほどに知っている。過去になったモードをもう一度引っぱり出してくるのもまた、モードだ。

私は、モードの多様な姿を振り返り、自分にとっての安らぎの地平、自分にとっての活力源、そういったものを立ち止まって思い起こし、自律神経を鍛えようと思う。




 
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