躍動感のある揺れ : フォト・アートの誕生(マン・レイ写真展)

(以下の記事は2003年に書いたものを構成し直したものです。)

(Man Ray)写真展を2回にわたってみに行ってきた。展示作品の総数550枚を数える本格的な写真展だった。予感として楽しみにしながら、それに答えてくれるかのように私の目を惹いたのは、シュルレアリストの写真家とあって想像しがちなマネキン(mannequin)を被写体とした写真群ではなく、他ならぬパリの風景写真であった。また、商業写真といわれるような、ヴォーグ向けの広告写真にも考えるところがあった。

これまで、20世紀転換期前後の風景写真で集中的にみたことがある写真家といえば、(Eugène Atget)しかおらず、単純に比較することしかできないが、時代こそ前後しているものの、同じパリという大都市を被写体として、マン・レイの撮すさまざまな風景の方が、アジェ以上に広がった視野をもっていることが分かった。もっとも、技術的な要因も、そこにはあるのだろうが。アジェのミクロな風景はもちろん好きだが、今にも通じるような都市の風景としてマン・レイの作品はその端緒となったのではないかと感じた。

Alix collection

アリックスのショー(ハーパース・バザー1936年秋号)。publish in Harper’s Bazaar, automn 1936 via Alix collection (Man Ray Trust)

モード系の写真は、たとえば同じヴォーグ向けに広告写真を撮ってきたヘルムート・ニュートン(Helmut Newton)に比べて、ドレスがとても鮮やかに撮されていることに惹かれた。躍動感、ちょっとした揺れというのは、白黒の方が鮮やかに撮せるのだろうか。マン・レイがスキャパレリたちをモデルに、ヴォーグ誌(Vogue)の広告欄を飾っていた時代は、白黒写真に馴染みのある自然な頃だった。被写体がマネキンであろうと、生身の人間であろうと、そこには、被写体と衣服とのあいだに、そして、それらが一体となったオブジェと撮影者マン・レイとのあいだに、活字となるような物語が潜んでいるかのようだ。

しかし、100年以上の歴史をもったヴォーグ誌にニュートンが登場したとき、山田登世子じゃないが、ぼくたちは、皮膚が衣服になる場面を目撃することとなる。皮膚が衣服になると同時に、衣服はその時、被写体肌となったのである。しかし、マン・レイの場合には、衣服(ドレスが多い)と皮膚ははっきりと分離したままであり、ドレス自体の躍動感が保たれている。マン・レイのモード写真のなかに、ぼくたちは、女性と衣服との戯れと揺れに触れることができるのだ。

Guido Comis &Marco Franciolli, Man Ray, Skira, 2011.

また、シュルレアリストたちの集まりなど、人間の集まりを撮した場合の「空気の揺れ」とでもいうべき作品群もまた、マン・レイの真骨頂の一つではないか。(Marcel Duchamp)をはじめとするシュルレアリストたちと仲が良かったマン・レイ。そこには、デュシャンの実験作品をマン・レイの実験写真で撮るという仲間たちの雰囲気が十二分に伝わってくる。もっとも、個人的には、仲間一人一人を描いたソラリゼーションはあまり好きではないのだが。ある者の作品が一つの仮説となって別の者にとっての作品を喚起するような、まるで、一人が吸っている煙草の煙が、次々に広がってゆき、N+1の環となってチェーンリンクするような不思議な場面。そのような雰囲気のもとで、デュシャンやマン・レイたちが共同で行なったといわれる実験映画というのは、果たしてどのようなものとして制作されたのか、観る機会があれば、ぜひ押さえておきたいと思う。

この一年間の写真展、観たのは3人の展覧会に留まり、数は少ない。しかし、昨年の5月、ヘルムート・ニュートンから始まり、メイプル・ソープ、マン・レイと見てきたことになる。3人を直接に比較するのは難しいし、そもそも、それが可能なものかどうかも怪しいが、一人一人の良さは、少しずつ分かってきた。できれば、もう少し文献を読みつつ、3人の醍醐味を遺憾なく発揮したコンテンツを提供していきたいと思う。

美術館「えき」KYOTO PART I > 2003年6月4日(水)~15日(日)、PART II > 2003年6月17日(火)~29日(日)

Photographs of Man Ray, June 4 -June 29, 2003cKyoto, Japan – Museum Eki – 7th floor of Isetan Department Store in JR Kyoto Station

パンフレットの紹介文

ヨーロッパからの移民を両親に持つアメリカ人、エマヌエル・ラドニツキーは、ダダイスムの旗手マルセル・デュシャンとの交流をきっかけに自らの芸術的方向性に確信を抱き、パリへ渡ると、まもなく写真家としての名声を築きました。しかし、ペンネームとして選んだ「マン=人」と「レイ=光」、マン・レイを名乗り、画家を自負する彼は「写真は芸術ではない。まして私は写真家でもない」。という意味の発言を重ねたのです。一体彼は、写真に何を想いながら膨大な数のシャッターを切り続けたのでしょうか。
今日、写真という表現は確固たる地位を確立していますが、当時、写真は新たな表現メディアとして絵画制作より低くみられていたことが、その発言の背景にあります。しかしマン・レイは写真に無限の可能性を見出し、新たな芸術表現の領域を確立しました。彼の仕事は、暗室での作業のなかで、フィルムに写し取られたイメージと自己の想像力のうちなるイメージをひとつに照応させることにあるのです。この瞬時の緊迫した作業のなかで彼は「ソラリゼーション」や「レイヨグラフ」などと命名された画期的な表現法を発明しました。マン・レイの名の通り、光と人を繋ぐ魅惑のアートの数々を生み出したのです。このような新しい写真技法を作品のなかで発表するとともに、20世紀前半のヨーロッパにおける芸術家たちとそのグループによる熱い動きを生き生きと伝え、独自の美意識と時代に対する鋭い感性を遺憾なく発揮したのです。この展覧会は、ダダイスト、シュルレアリストとして多岐にわたる創作を残した多才な芸術家マン・レイの、写真表現に焦点を当てたものです。画家マン・レイのまさに画家である根拠は、逆接ながら、彼の写真の仕事が雄弁に語っています。本展は、未公開の個人コレクションのなかから、500点を超す彼の多様なフォト・アートの世界を会期2回に分け、テーマ別で展覧します。

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