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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ □■□ モードの世紀 ファッション用語〜1日1個 □■□ □■□ 今日の用語 Christian Dior - クリスチャン・ディオール □■□ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ *―*―*伊勢丹コスメWebショッピング【isetan beauty】*―*―* 伊勢丹が発信するコスメショッピングサイト「イセタンビューティ」は <ランコム>のアイテムが充実の品揃え。 お気に入りの定番から気になる新作や限定キットが、大集合! ▼http://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=I22LU+3UQ29U+1PY+1HN5LV ______________________________________________________________________________ 【ごあいさつ】 みなさま、はじめまして。このメールマガジン「ファッション用語〜1日1個」を編 集している遊民と申します。持っている本・辞書や近所の図書館、それにインターネッ トなどを駆使して、できるだけ分かりやすく、かつ、楽しめるようなメールマガジンに していきますので、どうか宜しくお願いいたします。 お送りする用語は、クリスチャン・ディオールから始めて、その後、関連する用語を 一日一個ずつご紹介していくという方針で行なっていおうと思います。当面は人物ばか りを追うこととなりますが、時には人名以外のファッションキーワードもご紹介してい きます。 なお、読者の方々のご意見も参考にさせていただきたいので、ぜひ、ゲストブック「 モードの世紀_掲示板」にもお越し下さい。 「モードの世紀_掲示板」 ../c-board35/c-board.cgi?id=mode21 それでは、さっそくディオールの略伝、そして関連情報などを進めていきますね。 ______________________________________________________________________________ 【Christian Dior - クリスチャン・ディオール(1905〜57)】 第2次世界大戦後の世界のファッション界を10年余にわたって支配した、今世紀最 高のクチェリエ。 1905年、フランス・ノルマンディーのグランビルに、実業家の息子として生まれ た。父の希望に従い、外交官を志して政治学を学んだが、父親の死後、画商に転向し、 帽子のデザインのスケッチが好評を博したのをきっかけに、服飾デザイナー、クチュリ エを志望する。 その後、38年にロベール・ピケの店(メゾン)に入って指導を受け、41年には、 リュシアン・ルロンの店に移り、ここでピエール・バルマンを知った。第2次大戦で出 征し、除隊後にはルロン店のモデリストを務めた。46年末、木綿王といわれたマルセ ル・ブサック(Marcel Boussac)の援助を受け、現在のパリ・モンテーニュ街に、メゾ ン「クリスチャン・ディオール」を発足し、翌47年春には最初のコレクションである 花冠ライン(または8ライン)を打ち出した。これは、丸みをもったなだらな肩、細く 絞ったウェスト、ペチコートで張らせた床上り20cmのフル・スカートによって構成 されていた。このラインによって、世界の女性のスカートが、従来の怒り肩のラインと 短かいものから、なで肩と優美なロング・スカートへと変化したのである。この花冠ラ インは、たまたま戦時モードからの転換を求めていた国際モード界で「ニュー・ルック 」として受け入れられ、ファッション革命をもたらしたといわれるほどのセンセーショ ンを引きおこした。なお、「ニュー・ルック」という命名は、米誌『Harper's Bazaar」 編集長であったキャメル・スノウである。 ニュー・ルックは、19世紀のドレスを思わせるような、作品としてはむしろ回顧的 なものであった。しかし、モード活動が抑圧されていた第二次世界大戦時から、戦後の 豊かなモードの時代への先鞭をつけた点、さらには、世界のモードの首都パリの威信を 復活させたという点で、歴史的な意義が与えられている。 こうして、ディオールの名は世界に広まり、以後10年間、ディオールは世界のモー ドのトレンド・セッターとしての役割を果たすことになる。シーズン毎に発表する創作 シルエットを、チューリップ、H、A、Y、アロー(矢)・ラインなどと名づけてファッシ ョン界をリードしつつ、香水・毛皮・ファンデーション・ネクタイ・既製服「ミス・デ ィオール」などを含めた商品構成で、世界最大の衣裳店を築きあげた。彼はファンデー ションを利用して、シルエットをはっきりと描きだす方法をとっていたが、一貫してな だらかな肩線を維持した。47〜57年まで、ほとんど毎シーズンのように新しいライ ンを打ち出したが、この間スカート幅はしだいに狭く、丈もわずかに短くなっていった が、基本的なラインはニュー・ルックを継承していたのである。このファンデーション は、ブラジャー、ウェスト・ニッパー、ガードルにも応用された。 このようなディオールのラインは、幾分レトロで女らしいドレスを得意としていたが 、他方では、オリジナルな裁断線のスーツなども捨てがたい。 以下、ディオールの本領であるラインを中心に、年別の傾向を大まかにみてみよう。 まず、50年春の「バーティカル(垂直)ライン」はボリュームを上半身(袖や背中) にもたせ、スカートをバイアス裁ちのスリムなものにして、シルエットを変えた。51 年春には「オーバル(長円形)・ライン」を打ちだし、初めてウェストを解放した作品 も展示した。さらに52年春の「シニュアス(曲がりくねった)・ライン」は全面的に ウェストを解放したソフトでほっそりしたライン。53年春の「チューリップ・ライン 」は再びウェストを締め、ヘム・ラインを床上り37cmに上げる。翌54年秋の「H ライン」では、初めてシンプルなストレートなラインを打ち出したが、つづくAおよび Yラインも含めて、バレンシアガのルース・フィットやチュニックの影響がみられ、肩 の丸みも少なくなっている。しかし、56年春の「アロー(矢)ライン」でディオール らしさが復活した。とくに、18世紀のカラコを発展させ、ブラウスやドレスなどと組 み合わせる着方は、1970年代のレイヤード・ルックに取り入れられている。また、 これに次いで「マグネット(磁石)ライン」、「リバティ・ライン」を打ち出し、最後 の作品である57年秋の「スピンドル(紡錘)ライン」へとつづく。 この間、ドレスと共布の夜のパンプスを考案し、また、長い柄の雨傘は彼が最も好ん だ昼間のアクセサリーであった。 アシスタントだったサン・ローラン、カルダン、ギィ・ラローシュたちを育て、57 年秋に他界した後は、58〜60年、イヴ・サン・ローラン(Yves Saint Laurent)、 61年以後は、マルク・ボアン(Marc Bohan)がメゾンのクチュリエとして創作活動を 指導している。 創作の面だけでなく、経営面でもディオールは、大きな躍進を遂げたと認めることが できる。ブサック方式の近代的なクチュール企業の経営方針と彼の世界的な名声と活発 な宣伝活動が相乗効果をうみ、メゾンの売上げ高は他店を大きく引き離し、大ディオー ル帝国を築き上げた。また、ディオールの死後、ディオール社では60年代後半に、プ レタポルテに力を入れはじめ、66年「ミス・ディオール」(担当者フイリップ・ギブ ルジェ)、および毛皮部門(担当者フレデリック・コステ)、次いで、「デイオール・ ベビー」「デイオール・スポーツ」を次々に新設した。さらに、75年クリヨン・ホテ ルの傍らには、毛皮専門の高級ブティックを開設した。 しかしながら、78年に親会社のマルセル・ブサック・グループが倒産し、これにと もない、ディオールのメゾンも繊維企業ウィロ社の傘下となり、アガッシュ=ウィログ ループに入った。さらに、80年ブサックの死後、81年には社会党政権であったフラ ンスの公的救済を求める事態となった。しかし、1984年に、ブサック・グループの 買収に乗り込んだベルナール・アルノーは、85年に傘下のクリスチャン・ディオール の社長となり、デザイナーをイタリア人のジャン・フランコ・フェレに任せ、オートク チュール、レディス・プレタポルテ、アクセサリー部門の責任者に就かせた。この時点 でディオールの経営は難を逃れた。そして、フェレは、初めてのコレクションである8 9年秋冬のオートクチュール・コレクションにおいて、「ニュールック」をモチーフとし たデザインを発表し、デ・ドール賞を受賞することとなった。以後、デザイナーは、ジ バンシーのデザイナーであったジョン・ガリアーノ(John Galliano)に受け継がれてい る。また、ディオール・オムは、エディ・スリマン(Hedi Slimane)が担当している。 ディオールの死後30年が経過した1987年にパリ衣装芸術美術館で行なわれた回 顧展以降も、山本耀司やマルティーヌ・シットボンをはじめとする現代のデザイナーた ちの作品には、ディオールの影響が色濃く残されている。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【公式サイト】http://www.dior.com/ ├ http://fashion.dior.com/ ├ http://www.diorjoaillerie.com/ └http://www.dior.com/pcd/International/JSP/Home/prehomepays.jsp 【関連用語・作品】 ・エディ・スリマン(Hedi Slimane) ../brand/hedislimane.html ・ジョン・ガリアーノ(John Galliano) http://www.e-oribe.info/OribeHP/02awards/01winner1st/04galliano.html 【おすすめファンサイト】 ・NORIRA http://homepage2.nifty.com/norira/home.htm クリスチャン・ディオールのプロフィール、化粧品の使用感レポート、コスメ日記 Dior新製品情報 【その他の関連ニュース】 ・2003年秋冬(ジョン・ガリアーノ) http://www.elle.co.jp/home/fashion/collections/fw2003/show.php?brand=galliano ・2003年春夏(ジョン・ガリアーノ) http://www.elle.co.jp/home/fashion/collections/ss2003/show.php?brand=galliano ・マルティーヌ・シットボン http://www.elle.co.jp/home/fashion/collections/ss2003/show.php?brand=sitbon 【編集後記】 以上をもちまして創刊号はおしまいです。 みなさまに無事にお送りすることのできた、この創刊号は、日本のファッション界・ アパレル業界、さらには50年代・60年代の消費動向にも多大な影響を与えたクリス チャン・ディオールを取り上げました。創刊号+ディオールということで、いささか気 合いが入ってしまい、かなり膨大なものとなりました。最後まで読んでくださり、末尾 ながら感謝する次第です。 ディオールは、改めていうまでもなく、オートクチュール、プレタポルテのような、 いわば高級なブランドとしての大御所でありますが、彼の本領はラインにあるというこ とがいえると思います。生地やクチュール(仕立て)という側面ではなく、デザインと いう面からみれば、ディオールの行なった革命というのは、女性のスカートやブラウス の自由度に関わるものでありました。したがって、それは「高級さ」を超えたところに まで影響を与えたのです。モードの面白いところは、そのような「格差」(古い言葉で は「階級」といえばいいでしょうか)が歴然と存在する反面、それをも乗り越える事態 を誘発する点にあると思います。 やや格式張った話をしましたが、今後とも、このメルマガと「モードの世紀」を宜し くお願いいたします。 2003年11月17日(月) 遊民 ______________________________________________________________________________ ▽▼装いの仕上げは、フランス新着アイテムで! http://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=C7EWE+5H2JK2+2HQ+644DV ANAオリジナルカラーが登場!人気のピガニョールの傘。 ブルーとピンクのコットンの花が大胆に咲いたデザイン。 傘の柄には、誇り高き傘の街オーリヤックの名が刻まれてます。 ______________________________________________________________________________ [マガジン名]ファッション用語〜1日1個 [マガジンID]0000121007 [発行周期]一日一回 [発行者]モードの世紀 ../ [発行者メールアドレス]staff@../ *メールマガジンの解除はこちら ../mailmode.html |
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