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20061221

●近代日本 の服装

(1)和洋折衷(19世紀後半) ・洋服は制服から…軍服をはじめ、警察官・鉄道員・郵便配達員の制服など→主に男性。 ・和服(着流し、小袖など)は室内着または外出着 └外出着の場合、男性はステッキ、インバネス など、女性はショール、ハンドバッグなど、主に、アクセサリーから洋装が導入。 (2)小袖の名称変化と意匠変化 ・明治中期から「袷」、夏物は「単衣」。当時「着物」は衣服全般を指していた 。 ・意匠は江戸時代のものが基本だが、一部、模様に洋画の技法・色彩が使用され、アール・ヌーヴォーの流行も反映。 (3)20世紀前半の変化 ・女性の洋服利用…20年代から徐々に、セーラー服、ワンピース、ブラウス+ジャンパースカートなど。 ・国民服の登場…30年代後半から始まった種々の衣料統制のなか、男性を中心にカーキ色の国民服。女性は筒袖の着流しにモンペという袴との組み合わせが普及。女学生の場合、スカートは禁じられ、セーラー服とモンペの組み合わせに。 (4)20世紀後半の変化 ・高度成長期の1950年代後半以降、着付け教室が全国展開 ← 呉服を一人で着られる女性の急減。 ・デニム綿布によるジーンズの先進諸国への浸透 ← 元はアメリカ合衆国の作業用ズボン。男性→女性。 ・Tシャツの上着化…元は男性向け下着だったが、色物・柄物として普及。90年代には白物でも外出。 (5)高田倭男の論点 ・日本では「服装の歴史」は終焉(「ここらが限界と感じるのは著者だけではないであろう」 )。 └21世紀を通じて、各地・各国の「民族衣装」は壊滅に?。 ・世紀後半に急速に衰退した呉服(キモノ)・着流しの再流行は、幾度か試みられたが失敗。 ・洋服が衣服の代名詞となってしまい、わざわざ「洋服」と言う必要もなくなった(≒洋間の普及)。 ・通信販売とインターネット販売によって、消費者が衣料の素材や質感に無頓着になった。 (6)私見 ・2005年に政府が提唱したクール・ビズ(COOL BIZ)は、制服の圧力を緩和させた効果あり。 ・スーツは洋服の代表格であり、20世紀前半には注文服であったのが、20世紀後半になって大半が既製服へ。その間、日本列島は第2次産業国から第3次産業国へと変化し、工場労働者も含めた肉体労働者が減少。そのため、スーツ着用者の比重は大幅に増加。 ・もっとも、「和服」や「呉服」で語られてきた近世以来の衣料の復活は、高田の言うとおり不可能であり、復活させる必要もない。日本の服飾史は終わったと見てよい。今後、資本主義化する諸国の服飾の歴史も終演していく。それが資本の力、資本主義経済システムの威力である。とすれば、長期的に地球史をみると、最期に資本主義化する国には極度な負担が来るであろう(→ 100年後に人間の歴史はあるのか? 地球はあるのか? → cf. シャルル・フーリエ『四運動の理論』による北極冠の形成は?)。

●近代日本における衣料生産の諸類型

(1)仕立業とは(裁縫、洋裁、和裁 、職人、注文服、採寸、オートクチュール、ドレス、旗袍、恋愛)
①基本的に___業と同じ(切ってから縫う、つまり、裁断後に縫合)。繊維産業の最終工程。
②綿糸・絹糸紡績、綿布・絹織物製造等に従事する労働者よりも比較的高賃金(『府県統計書』等から)。
③タイプb1…オーダー・メイド(___生産、注文服 )。いわゆるテーラー(英語:________) 。
・洋服(ドレス、スーツ、旗袍、アオザイ等)は仮縫い無く本縫い。呉服は[仮縫い→本縫い]
・国民性を印象づけるのに便利な衣料生産。呉服、旗袍、アオザイ等々。
・19世紀末~20世紀におけるタイプb1の展開例
├オートクチュール組合の場合、コルセット を追放しつつ19世紀の技術をスムーズに継承。
├西陣でも組合は設立されたが、江戸時代の技術は朝廷(皇居)移転とともにブランド化に失敗。
└20世紀後半のイタリアでは、アルマーニやベルサーチ等が賄賂で活性化(展示会優遇等) 。
④タイプb2…レディ・メイド(___生産、既製服)
└製品の種類は天文学的数字(天然繊維4種+メリヤス × 製法・地域・色 × 3サイズ × 品目)。
(例)イタリアネルシャツ、白撚真岡足袋、白縞ズボン下、アニリンズボン下、羅紗前掛、東京製婦人用パッチ等。

(2)近代日本における洋裁・洋裁教育 :タイプa・タイプb1─典型的な鎖国型普及とシンガーの台頭
①明治初期:教養としての洋裁(キリスト教宣教師による英学が付随するケース多い)
・1870年…横浜ヘボン施療所(メアリー・エディー・キダー/アメリカ合衆国。現/フェリス女学院)
・1872年…京都府立新英学校及女紅場(エヴァンス夫妻/イギリス。現/京都府立鴨沂高等学校)
・1873年…時習社(同上)、裁縫塾(サイゼン/ドイツ)
・1878年…出島英和学校(J.C.デビソンかC.S.ロング/ともに合衆国。後者なら現/鎮西学院か?)
・1886年…知新女学校(不詳。宮城県一関)
②明治中期:専門職としての洋裁(鹿鳴館、外国人居留地等での経験を経た日本人洋裁教授者の登場)
・1886年…共立女子職業学校(元/渡辺辰五郎裁縫私塾、現/共立女子学園)
・1887年…婦人洋服裁縫学校開校、沢田虎松(フランス公使館裁縫方)らが指導。
・同時期、足袋職出身で西洋人家庭の入仕事を経た田中栄次郎、早期にミシンを駆使した飯島民次郎(1883年に在日ヨーロッパ人の婦人客を狙って開業、のち、飯島貴族婦人専用洋服店へ) ら。
③明治後期:教育科目としての洋裁(帰国子女ラッシュ・女学校創立ラッシュの開始)名人技の終了
・高等女学校教授細目…1899年制定時に子供服・エプロン、1903年に文部省検定裁縫科試験へ洋裁科目導入(当初は和裁教師が洋裁も教授) 。
・1899年…実践女学校開校(下田歌子、現/実践女子大学)。
・1900年…_______社、日本進出(以後、06年時には東京・大阪・長崎・名古屋に支店)。
・1901年…女子美術学校開校(横井玉子・藤田文蔵ら、現/女子美術大学)
・1906年…ミシン裁縫専門学校 開校(東京麹町区有楽町・大阪東区北浜)
・1911年…共立女子職業学校が高等師範科を設置。同科は25年の専門学校令で専門学部へ昇格。
④大正期から第2次世界大戦終了まで:洋裁学院・研究所設立ラッシュ(女性教授に平面裁断多い)
・1920年…『婦人之友』で西島芳太郎が洋裁実習と誌上洋裁を担当。
・1920年…飯島民次郎の弟子、並木伊三郎が「並木婦人子供服裁縫教授所」開校。
・1921年…並木婦人子供服裁縫教授所が、シンガー・ミシン販売店の遠藤政治郎の協力で「文化裁縫女学院」 へ。
・1921年…飯島系仕立業者の町田菊之助が「婦人子供服普及会」を設立し、講習・講演・型紙を販売。
・1921年…飯島栄次が神田に「飯島洋裁研究所」を設立し、翌年、「飯島洋裁学院」へ。
・1926年…加藤謙吉がラジオ婦人洋裁講座「婦人服の裁断と仕立方」をラジオで担当。
・1926年…杉野芳子が読売新聞で洋裁講座を連載し、目黒に「ドレスメーカー女学院」開校。
・1929年…伊東茂平「イトウ洋裁研究所」を開設。
・1937年…田中千代が芦屋に「田中千代服装学園」設立(現/田中千代服飾専門学校) 。
・1940年…桑沢洋子(伊東茂平の弟子)が「桑沢服装工房」設立。54年に桑沢デザイン研究所、バウハウス導入。
⑤戦後の洋裁教室ラッシュと減少
・洋裁の意味変化…戦前までの職業人養成から、花嫁修業への転換。

⑥まとめ
・職業から趣味への裁縫の変化と衰退

・大学・専門学校→教室

・近代家父長制の成立と終焉

← 熊月之・马学强・晏可佳选编『上海的外国人(1842-1949)』上海古籍出版社出版、2003年、152ページより転載。


(3)仕立業の実態:タイプb1→①・②、タイプb2→③

①洋服仕立職…繊維産業での高賃金例(ほとんど男性?)
一般職工は洋服業者の間柄を見るに、孰れの職工社会も其の弊は免れざれども、特に洋服職工は洋服業者(親方連中)との間に確執多く、断えず睨み合い居るは嘆かはしき事なり、十月、十一月、十二月、或は三月、四月の如き洋服の注文多き時は、洋服業者も言葉を叮嚀にして職工を招き、時に彼の紡績工場に行はれたる職工の奪合ひを行ふこともあるも仕事が閑になれば前日の親切は全く一変し職工にして時に不幸に陥ることあれば乗じて顧みざる者多し

②和服仕立…起業のしやすさ、男女間分業(専門仕立屋≒男性と、内職仕立≒女性)
和服仕立を職とするものに男子が之れのみ専門にするものと、婦女子が内職にするものとの二種あり、尤も内職にするものは仕立屋と名づくべきものにはあらざれども之れも婦人の職業の一なれば、左に専門と内職とを區別して其の収入の如何を記さんに、先づ専門仕立屋は主に呉服屋よりの注文が多くして、大きなる呉服屋を得意とする仕立屋にては隨分仕事の注文は澤山にして、絶へず三四人の職人を雇ひ居る處もありて其収入も少なからぬものなれども、一寸一通りの呉服屋の二軒位を常得意として夫れに時々他よりの注文もあれば夫婦が絶えず仕立る丈けの仕事は充分なり、殊に盆前とか年末とかの折々には、夫婦丈けにては間に合わず臨時に職人を雇ふこともあり、此の塲合には腕利の職人にては一日の手間賃が二圓にしてこの職人は一日に縮緬の三枚重ね一組を仕立上げるといふ、尤も之は職人中にても優等のものなれども大概通常の仕立人なれば縮緬の袷類一枚半又は二枚を仕立上げるが一日の仕事なり、而して其の仕立料は單袴木綿物三十錢、同く絹物七八十錢以上、絹袷袴一圓以上、帶男物博多にて一圓以上、女物にては上等の織物になれば四圓五圓以上際限なし、袷縮緬類一圓以上普通絹物七八十錢木綿物二三十錢、羽織縮緬なれば一圓五十錢以上絹物にて一圓内外木綿物にて三四十錢單衣は木綿にて十錢内外絹物にては二三十錢、之れが先づ通例の相塲にして總じて品の良きもの程仕立料の高きものにて仕立屋にても毎月其の揚り高は少なくとも四十圓均らしの収入ある算用なりと、此の内より家賃の五六圓を引去れば絲代其他は誠に僅かのものなれば一家の生活を爲すは决して難きにあらざるなり、而して之に要する道具といへば截板(タチイタ)、火熨斗(ヒノシ)、針、鋏位の者にて十四五圓の金もあれば充分なり、◎内職仕立の方は乃ち細君、娘、或ひは後家さんなどが一家の生計の補なひにするものなれば、澤山なる収入のある筈はなけれども門口、格子などに「和服仕立仕候」と張紙を爲し且は近邊の内儀、出入の髮結等に頼み置けば仕事は可なりにあるものなり、尤も呉服屋などの定まりたる得意とてはなく概して仕事は上等物は少なきものにして、又仕立料も専門仕立屋よりは二三割方安目なり、されど仕事は大抵絶えずあるものなれば一家の用事の傍らにする細君にても月に少なくとも四五圓、少し手早くして勉強すれば七八圓の収入あり、又娘と二人にて稼げば相當の収入となれば生活の補助には充分なるべく、殊に後家などの獨り身にては其の生活を支ふるに差支へなかるべきなり。

③足袋屋…多品種取扱事例と取扱方法(②の内職仕立と近似)
表通りの一寸足掛り善き塲所にて間口三間位の店にて、夫婦にて非常の勉強するといふ足袋屋の經濟を記さんに、店には足袋は固より手拭、ハンケチ、手袋、襯衣(シャツ)、短袴下(ヅボンシタ)を取揃へて飾りある、其の就中主なるものは足袋にして利益の割合も中々結構なるものなり、先づ其の利益の割合を示さば、九文(ココノモン)又は十文(トモン)の紺足袋一足の代金二十三錢之にする木綿は側表(ガハオモテ)一尺二寸八錢四厘、裏同じく三錢、底雲齋五寸三錢二厘、縫賃及びコハゼ代三錢都合十七錢六厘を差引けば五錢四厘の利益となる、同じく白足袋一足の代金は十七錢之に要する木綿は側表一尺二寸三錢三厘、裏同じく一錢七厘、底雲齋五寸三錢二厘、縫賃及びコハゼ代三錢、都合十一錢二厘を差引けば五錢八厘の利益となる、又七文八文の中足袋は此の九文十文の七分の割合にして、五文位の子供足袋は十文の半分の割合なれば何れも一足に付三錢乃至四錢の利益となるなり、而して一日の賣高は九文十文の紺足袋共に十二足くらいなれば此の利益ザツト七十錢、中足袋及び子供足袋取交ぜ三四足なれば此利益十五錢、外に襯衣(シャツ)、短袴下(ヅボンシタ)等の類四個一個代金平均三十錢として一圓二十錢此の利益は大概二割なれば乃ち二十四錢、手拭が最も薄利のものにて一割之れが一筋平均三錢五厘として六筋賣りて二十一錢此の一割は乃ち二錢一厘、以上の利益を總計すれば一圓十錢餘にして月に積りては三十三圓餘となるなり、此の内より家賃の七圓くらいも支拂へば其の殘り二十五六圓の金にて一家の生活を爲す勘定なり、併し右の勘定は通常毎日の平均の賣高によりて計算したるものにして正月、祭りなどの月には隨分可なりの賣揚あるべし、又夫婦にて賣高の足袋を悉皆縫上ぐれば一足に付三錢の縫賃の利益ある譯なり、されど如何に勉強の夫婦にても悉く縫葢すこと能はず大抵夫婦は襯衣ズボン下などの裁縫を自分にして足袋は唯截ちたるのみにて他へ頼むこと多し、而して此の商賣は夏分は少し賣れ行惡しきものにて冬の七分位のものなり、此の資夲は敷金造作に四十圓、截板針鋏等の裁縫道具又は反物の仕入費一切七八十圓都合百二三十圓もあれば充分なり又遣方に依りては五六十圓にても足るべし、最も必要なるは其の技倆にして夫婦ともに裁縫に熟練し居るべきは云ふまでもなく其の亭主たるものは少なくとも三年くらいは足袋屋に奉公して修行したるものならざるべからず。


●工場生産的仕立業(タイプb2)の展開

(1)3つの展開パターン
①経営拡大型…____と_____がセット →(2)
②経営持続型…中小規模で業務拡大は小さいが長期的操業が可能 →(3)
③短期消滅型…小資本で操業可能だが業務貧弱・零細 →(4)

(2)経営拡大型…しまや仕立店(福岡県久留米市、足袋屋としては20世紀初頭創業)
①社名の変遷…しまや → ___足袋 → ___足袋 → ___足袋 → 日本ゴム →______
②製品の変遷…多品種 → 足袋 → ゴム底足袋 → 地下足袋+ゴム靴 → ゴム(→ タイヤ)
③石橋家(      )…タイヤ製造会社としての成功と仕立屋としての廃業


(出典)石橋正二郎『私の歩み』出版社不明、1962年、石橋正二郎『回想記』凸版印刷、1970年、より作成。

(3)経営持続型…F仕立店(兵庫県姫路市、19世紀末創業)

①たくさんの業種名…「裁ほう」 、「足袋シャツ、装束」 、「襯衣莫大小商」 、「仕立」 等。
・仕立業(仕立屋)が「足袋屋」と称されるケースは多い(→レジメ2ページ「③足袋屋」)。
②製品の変遷…仕事着 → 仕事着+柔道着(10年代) → 仕事着+柔道着+セーラー服(20年代以降)
・仕事着は、シャツ、パッチ、ズボン下、脚絆、前掛、腹掛など。顧客は生野鉱山と周辺の小売店。
③シャツにみる材料(素材)の多様性
・織法…風織半袖、綾織、月影織、桜織、青石織、青赤織、倉敷大一取合、日出織、岬織メリヤス、刺子、七子etc…。
・綿ネル …イタリアネル、インドネル、イギリスネル、白縞ネルetc…。
・その他…縞縮・白縮、白綾ネル、天竺・晒天竺・縞天竺 etc…。
④生産体制と販売体制…自家生産(手縫い・ミシン縫い)+委託生産+仕入販売
⑤販売動向、国別販売動向

図1                       図2

図1「名目販売額と実質販売額の推移(1901~26年)」
※単位は円。長期取引顧客である、山本小政の「相棒シャツ」・「相棒ズボン下」、安保萬助の「白綾シャツ」の年間平均単価を算出し、1904年を基準にした指数で、各年の名目額を除した。
図2「主要販売圏域(1901~26年)」
※単位は円。「但馬国」は朝来郡、養父郡、城崎郡、美方郡、豊岡郡、出石郡。「播磨国」は神崎郡、赤穂郡、揖保郡、飾磨郡、加古郡、加東郡、加西郡、宍粟郡、多可郡、佐用郡、明石市、飾西郡、加古川、多紀郡、津名郡。「新販売圏」には、大阪市、姫路市、神戸市、有馬郡、岡山県、武庫郡、滋賀県、東京都、京都府、大阪府、韓国、河内。以上、地名は、基本的に「大福帳」の記載通り。26年間を通じ、地名は確認できるものの年次不詳に関する金額は以下の通り。但馬国1,174円、播磨国2,611円、新販売圏1,093円、地域不明815.9円。

・(図1)10年代後半にみられる名目販売額の急増は物価で相殺、実質販売額は微減へ。
・(図2)16・17年頃から、播磨国が但馬国を逆転。生野銀山を初めとする鉱山労働者向けに集中?
・(図2)24年に新販売圏が但馬国に逼迫。同年の実質販売額は現状維持→従来と異なる製品拡大。

⑥新販売圏と柔道着 の登場

表1「新出顧客の特徴 - 柔道着購入者上位20位」

※単位は円。1909~26年総額の上位20位を挙げた。

■ 表1から分かること
・顧客には学校・警察署・文具店などが多い。
■ 他の史料から分かること
・柔道着・柔道又・帯のセット販売が多い。
・顧客には、上記以外に、道場(大日本武徳会等)、役所(福崎町役場等)が多い。
・山村清助(揖保郡龍野下モ町)…同業者と同時にF仕立店の特約販売店 。
・田辺又右衛門…不遷流柔術4代目 。大日本武徳会の教師も務め、後に警視庁師範 になった。
・中山英三郎…不遷流柔術5代目で、岡山県矢掛町にて道場を開く 。八掛中学校との関連は?
■ 柔術から柔道への転換…19世紀末以降、日本の各武術が「修養主義的価値 」の意味合いを含みつつ、「武道」へと用語が変更されたのは1910年代後半のこと 。東京を中心に展開していた講道館柔道が統一流派として位置づけられる過程において、近畿地方西部・中国地方で広まっていた不遷流柔術は衰退へ(剣道や唐手・空手 との違い)。後に、修養主義は、軍国主義的かつ愛国主義的なものにつながり、同時に、柔道は対外的な日本武術の代表的立場へ。

⑦まとめ
・19世紀末の創業以来、F仕立店は仕事着を販売してきたが、1910年代中葉に単価変動による「頭打ち」を経験し、その頃から、本格的に柔道着・撃剣着の販売を開始。
・20年代前半には、約50%の単価下落にも関わらず名目販売額の減少は少なく、実質販売額においては変動が小さい。つまり、販売数量は下がっていない。
・販売数量の減少を支えたのは柔道着販売であり、中学校の授業向け、役場・道場・警察の練習用、といった形で、大量販売の形で実現。
・柔道着を販売する利点は、富裕層の子息が練習用に一括購入することが多いことと、学校や道場等の組織・団体に対し、一定の強制力を働かせることによって実質販売額の維持・増額を実現。
└当時の柔道着は、奢侈品(贅沢品)であり、かつ、現在に比べて学校、役場、道場といった希少性のある組織・団体向けに販売されたケースが多いため、柔道着の需要は、物価に対し非弾力的で(価格弾力性が小さい)、所得に対し弾力的(所得弾力性が大きい)と考えられる。

(4)短期消滅型…大阪市下の洋服受託製造業
①大阪市内「洋服受託製造工業」に関する調査(調査年は1941年、調査主体は大阪市役所)
・「洋服、團服、婦人服、子供服、トンビ等の既製品を問屋から下請加工するもの」(p.2)を対象として1940年に関連組合20団体へ調査票を50業者分(合計1,000票)ずつ渡した調査報告書。
・調査目的は、37年に勃発した日中戦争や37年~39年のインフレ、同時期に集中した、製造加工に対する制限法令・配給統制法令等の衣料統制等々を背景にした「洋服受託製造工業」の零細問題の解決。
・調査の内訳は、組合員数2,700、非組合員数2,800とある。調査は後に記す通り、1,000票の調査票が配られ、有効票はかなり低い。
②全体動向
・大阪市内の「既製品」受託加工業者は、「規模極めて零細であり」(p.8)、「簡單な設備に依り少人数で始められるのみならず、業務開始後に於ても殆んど所謂運轉資金を必要とせぬので(生地は委託者支給)極く僅少の資金を以て業務を開始し得られる関係上、業者の数が極めて多い」(p.3)状態。
①開業年数と操業率
・開業年(有効票44票)…内訳は「昭和六年迄に開業した者」が8名、「昭和12年までに開業した者」が31名、「昭和13年以降に開業した者」が5名で、長期にわたる操業は非常に困難。
・操業率…1937年から39年までは約90%を占めるが、翌40年は65%にまで激減している。30年代後半の種々の制約も考慮すべきであるが、既製服業界は、極めて泡沫的な状況。


◆お勧め書籍
朝岡康二『古着』法政大学出版局、2003年
阿部武司『近代大阪経済史』大阪大学出版会、2006年
井上俊『武道の誕生』吉川弘文館、2004年
上野千鶴子『家父長制と資本制』岩波書店、1990年
上野千鶴子『近代家族の成立と終焉』岩波書店、1994年
栗原るみ『1920年代の金融恐慌 - 福島県蚕糸業を事例として』日本経済評論社、2000年
小泉和子『洋裁の時代 - 日本人の衣服革命』OM出版、2004年
謝黎『チャイナドレスをまとう女性たち - 旗袍にみる中国の近・現代』青弓社、2004年
朱徳蘭『長崎華商貿易の史的研究』芙蓉書房出版、1997年
高村直助『再発見 明治の経済』塙書房、1995年
中込省三『日本の衣服産業 - 衣料品の生産と流通』東洋経済、1975年
深井晃子監修『カラー版・世界服飾史』美術出版社、1998年
熊月之・马学强・晏可佳选编『上海的外国人(1842-1949)』上海古籍出版社出版、2003年
冷芸『裁缝的故事 –从小裁缝到大师』上海書店出版、2005年
Patricia A. Cunningham, “Reforming women’s fashion, 1850-1920: politics, health, and art”, The Kent State University Press, Kent, Ohio, 2003.

◆お勧め映画
 パトリス・ルコント(Patrice Leconte)『仕立屋の恋』(原題「monsieur hire」、1989年、フランス)
  ※仕立屋の「手」に注目した名作。室内でのカメラ移動が抜群。宮尾登美子や水上勉ら、近代日本の娼婦を描いてきた作家たちが担わせていた男女の立場を逆転させたような感覚に、脚本まで担当したルコントの手腕が光るところ。列車内での男性2人・女性1人でなされる逢瀬の「手」の配置構造は見事(「映画・DVD日記: 仕立て屋の恋」http://mode21.typepad.jp/dvd/2005/05/post_5abc.html)。この配置は、『戀戰。沖繩』(邦題:恋戦。OKINAWA Rendez-vous)にヒントを与えている。(http://fayewong.tv/2/okinawa_rendezvous.html 参照のこと。)」
ウォン・カーウァイ(王家衛)『若き仕立屋の恋』(原題「手」、2005年、中国)
※仕立屋の「手」に注目した名作。注文生産タイプの仕立屋は、丁稚奉公から始まる歴史があり、技術を身につけるのに大変時間がかかったといわれるが、技術的に難しいのは「縫合」ではなく「裁断」にある点を、仕立と恋愛とを重ねながら描く。その意味で、この作品自体、コン・リー(鞏俐)とチャン・チェン(張震)との関係が「縫合する」よりも、最後の場面で「裁断される」所に、非常にインパクトがある。
エレオノール・フォーシェ(Eleonore Faucher)『クレールの刺繍』(原題「Brodeuses」、2004年、仏)
※匿名出産するかどうかに悩むフランス人女性が母として生きていく決意を持ち始める変化について、「刺繍」を通じて描いた作品。全体的な物語は10代後半の女性が不倫の末に妊娠に対して悩むという、どこにでも転がっているネタだが、配色が19世紀の風景画のような出来上りになっていて良い。主人公の女性クレールは不倫の間に自分の妊娠を知る。男が去った後に彼女は、1年前まで行なっていた刺繍で生計を立てることを考え、刺繍職人メリキアン夫人のアトリエへ出向くようになる。夫人は息子を事故で失ったばかりの孤独な女性だが、クレールの刺繍技術や、ショールのプレゼント等から力を取り戻す。逆に、クレールが階段を上がる夫人のフルファッションド・ストッキングに大人の魅力を感じる場面が出てくるが、それを期に、クレール自身は、大人=母親になる決意をもち、やがては恋人をつくり、妊娠を匿名妊娠ではなく、自分の子供として出産する決意をする。(自サイトhttp://www.mode21.com/column/002876.htmlより、加筆修正)。
ティン・シャンシー(丁善璽)『旗正飄飄』、1987年、台湾。日本未公開作品
※男装の麗人といわれるブリジット・リン(林青霞)が持ち味を余すところなく披露した政治サスペンス。上海のバーを取り巻く日中スパイ合戦が見物。日中戦争期の上海を舞台に、日本の女性スパイ川島芳子を探す中国側と、彼女を隠しつつスパイさせる日本側との確執。川島芳子は、東洋のマタ・ハリと呼ばれた中国人スパイ。清朝最期の皇帝(愛新覚羅溥儀;爱新觉罗溥仪)の親戚にあたるため、国民党や共産党とは敵となり日本軍に従事したというのが彼女のおかれた立場で、作品にもその複雑さが垣間見られる。ブリジット・リンら主演女優たちのドレスが目白押し。
 ウォン・カーウァイ(王家衛)『花様年華』(原題「花樣年華」、2000年、香港)
※クローズアップの手法と音の配置によって官能の気配を存分に出した作品。互いに歩み寄る二人がほとんど触れることなく恋情を極大限にまで引き延ばし、禁欲的に着られたスーツと旗袍を伝って臭覚にまでエロスが忍び寄る。スー・リーチェンを演じるマギー・チャン(張曼玉)は、この作品で20着以上もの旗袍を着ている。旗袍の出てくる映画を見倒したというデザイナーの中野裕通(ヒロミチ・ナカノ)は、この作品で着られた旗袍が、他のどんな映画にもまして鮮やかなデザインで高品質だったと絶賛。続編ともいえる『2046』(原題「2046」、2004年、香港・中国・フランス・ドイツ・日本)では、チャン・ツーイー(章子怡)が旗袍のオンパレードを行なっている。両作品とも美術・服装指導は、ウィリアム・チャン(張叔平)、撮影指導はクリストファー・ドイル(Christopher Doyle;杜可風)。
ミケランジェロ・アントニオーニ(Michelangelo Antonioni)『欲望』(原題「Blow-up」、1966年、英)
※20歳の新進気鋭のカメラマンの日常にターゲットを絞り、60年代ロンドンのポップ・カルチャーをとても暗く撮した作品。アントニオーニの商業映画として知られるこの映画は、他の作品に比べてワンシーンの時間が短くなっており、批判の的となったが、当時のロンドンの若者文化を象徴する場面がいくつも出てくるのに、いずれも陰鬱なイメージとして描かれているから、単に商業映画として片づけるのは勿体ない。この作品には過激な場面がいくつか出てくるため、当時のロンドンでは発禁まがいの経緯を持っている。しかし、映画のメッセージはそういう破廉恥な部分にあるのではなく、カメラマンが現像した写真が映し出すモノ、そしてその写真がなくなった場合、果たして言葉で説明することは可能か、あるいは、真実を伝えることができるのか、という問題を提出。「写真と真実との関係」を考えるのに適材。

◆お勧めサイト
◎繁体字⇔簡体字変換ツール(http://chinese.gotdns.org/codeconvert/convertindex.jsp)
 ※繁体字を簡体字に及び簡体字を繁体字に変換するツール。
◎Powerhouse Museum | Sourcing the Muse: default
 ※シドニーにあるオーストラリア最大の博物館のサイト。上記ページで、当地ファッション・デザイナー8名の作品紹介。
(http://www.powerhousemuseum.com/sourcingthemuse/default.asp)
◎靴年表(http://www15.ocn.ne.jp/~tsa-web/nenpyou.htm)
 ※明治期以後の東京を中心にした靴業界の歩み。
◎工程紹介 お客様ご来店 - オノの洋服(http://www.e-fuku.net/process/index.html)
 ※オーダーメイドスーツ専門店。来店→採寸→仮縫い→本縫い→検品→製品引渡しまで、簡単に紹介。
◎故李方子女史(英親王妃)に由来する服飾等の譲渡に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定の締結について承認を求めるの件(条約第一三号) ※第120回国会(1991/4/24)での審議。
(http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/120/0110/12004240110011a.html)

◆冬休みの勉強など(試験対策と関係ない)
(1)お勧め書籍の何冊かを読む。お勧め映画の何本かを観る。できれば、パソコンかノートにまとめる。
・勉強はリンクするもの(無限に続く)だから、関連する書籍や映画も、自分の関心に任せて読み倒す(観倒す)。その時、あまり偏りすぎずにバランスを考えると更に良い。その時「完全な理解」を目指さず、「楽しむ」ことが大切。例えば、本は「はじめに」だけは最低でも読んで、余力があれば面白そうな章だけ読むというのでも良い。
・インターネットの便利なところは検索機能にあり、かなりの広さをカバーしてくれる。不便なのは居場所が分かりにくく全体像が見えにくい点。それに対し、本の便利なところは一覧性にあり、全体像が分かりやすく、深みにはまっても戻りやすい。逆に、索引機能がない場合も多く、存在しても、ネットでの検索には負ける。また、書籍は、一定の意気込みが大きく貫かれているのに対し、インターネット上では、どれほど気合いの入ったサイトでも、書籍に比べて、一貫性や深さの点では敵わない。
・最初は難しくても、絶対に自分のことを「馬鹿」と思わずに(簡単にネットの日記で、または、知り合いに対して、「うちはアホや」とか書かない・言わない)、自分のことを賢いと思ってもダメ。のんびり楽しむ時間的余裕と精神的な余裕が必要(大学時代にバイトをし過ぎると、金はおろか、教養も残らない)。
・何事を始めるにしても、人間というものは、動物の中で、スタートにおいて最も出来が悪い。そもそも、書く練習・話す練習は、読む訓練・聞く訓練から始まる(人間は真似ることから歩き始める→日本列島の歴史も、自分で作る料理も同じ)。
(2)勉強するときに不安感を持たない。
・勉強は一人ですることが多いが、その時、不安感は持つ必要がない。勉強とは、他人の追体験ともいえるから、完全に一人になっているという錯覚は持たないこと(孤独な闘いという程、大げさなものでもない)。逆に、いつも一緒にいる「友達」というものは離れたときに本性を現わすから、一人になることを恐れてはいけない。友達というのは、5~10年くらいは付き合わないと分からないもの。「大学で友達ができた」ということはあり得ない、「大学以来の友達がいる」ということはあり得る。
(3)語学について。
・手っ取り早いのは、英語・中国語・広東語・韓国語などの歌を覚えて(日本語訳も同時に)、カラオケで歌いまくる(ドイツ語やフランス語の歌はカラオケでは少ない→在日している人口が少ないから)。
・外国語の文献を少しずつ読み始める。不安感があれば、とりあえず、ネットの翻訳機能(Yahoo!Japanなど)や英和辞典(goo辞書など)を駆使して読む。英語の雑誌を読むのも良い。『Times』などは経済や政治について簡単な記事があるが、興味がない場合は、ジュンク堂・旭屋等の大きな本屋かアマゾンなどのネット書店で、外国語の関心ある雑誌(例えば、marie claire、Elle、Vogue、等の英語版、中国語版、フランス語版、ドイツ語版など)を買って読む。英語の文章把握力を身に付けるには、『英文解釈教室』、『ヴィジュアル英文解釈』(タイトル失念)など、駿台文庫の伊藤和夫著のものがお勧め。
(4)その他(この授業も終盤なので)
・20代で築かれた生活スタイル・癖や問題関心は、30代以降、手を変え品を変え、繰り返し現れてくる。大学を卒業しても、関心を深めたり広げたりし続けていくこと。そうしないと、人間は20代で成長が終わり、残り60年は蛇足になる(プロ野球でいう「消化試合」)。
・外見のファッションに偏って力を入れてはならない。人間は頭脳が異様に発達した動物であり、意志・意識をもった(ほとんど)唯一の動物でもある。かっちょいいファッション(エロ・カッコイイとか)をするのは良いが、喋ると会話がない・教養がないという落差に気をつけること。比喩的に言うと、ニーハイ・ソックスやニーハイ・ブーツはその辺にゴロゴロいるが、教養は果たしてニーハイまで到達しているか? ブランド品についても同様、シャネルやエルメスのバッグやスーツを持っても・着ても、必ずしも、その所有者・着用者が素晴らしいわけではない。ひょっとすると、バッグやスーツが一人歩きしているかも知れない。
・自分では何も出来ないサイボーグ浜崎やロボット來未で時間浪費するよりも、自分で何もかもやろうとするマドンナ(Madonna)やフェイ・ウォン(Faye Wong 王菲)辺りの音楽を聴いたり、PV(プロモーション・ビデオ)を観るなど、自分の中の基準を上げて欲しい・作り出して欲しい。なお、私たちは、どう足掻いても、アイドルにはなれないということを肝に銘じるべき(シェイプアップやダイエットなどに投下する金銭の桁が違う)。もっとも、日本人の映画俳優の場合(テレビ俳優は論外)、ヨーロッパ・合衆国・中華圏の俳優たちと事なり、自分の外見に投資しすぎて、英語すら話せない連中がゴロゴロいるのだが(加藤雅也・竹野内豊らは、演技力だけでなく、語学力という点でも評価できる)。要するに、外面・外見に投資する以上に、内面に投資する(勉強・読書・映画・絵画・写真・旅[→群れてはしゃぎに行く旅行・ツアーはダメ])。

◆クリスマス・プレゼント?(時間があれば)
  ウォン・カーウァイ(王家衛)『2046』チャプター11:Nat King Cole, ‘The Christmas Song’
  └新聞に連載小説を書いている作家チャウ(トニー・レオン=梁朝偉)が、自分の暮らしているアパート(ホテル)管理人の娘フェイ(フェイ・ウォン=王菲)を連れて、クリスマス・イブにレストランで食事をする。途中、フェイの恋人の話が出てくるが、その男性は日本人男性という設定で、父親に彼との恋愛を禁じられていた。そこで、チャウが、イブの晩に新聞社の電話を貸して、国際電話でフェイに日本人男性へ電話をさせる、いわばキューピット役を演じるのが11章の場面。この場面で、チャウは自分を「サンタ」と言っている(原題『2046』、2004年、香港・中国・フランス・イタリア・日本)。

◆授業で取り上げ切れそうにないトピック~鳥取県の倉吉絣
・福井貞子さんの著書に詳しい。特に、法政大学出版局の「ものと人間の文化史」シリーズでは、戦前の昭和期を中心にした倉吉絣、野良着、木綿織、染織の歴史を知ることができ、モノクロだが図版も豊富。「服飾史の問題関心-作業着・野良着」(http://www.mode21.com/column/000022.html)でまとめている。






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