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20061026

前回の復習

1 中世とは何か – 日本国の崩壊 → 再建

(1)古代の終焉=12世紀後半~平氏と源氏 ①西国と東国との分裂へ ②日本国の拡大・分裂 (2)中世の動揺~天皇・天皇制の地位凋落 ①東アジア状勢 ②元寇以後の国内関係 ③日本国の事実上の崩壊~朝鮮半島との接触 (3)大航海時代以後における中世の再安定化=近世への移行 ①16世紀東アジアの変動と沈滞 ②列島の再統一(織田信長→豊臣秀吉→徳川家康)

2 東西分裂後の日本列島における荘園公領制と絹織物生産

(1)荘園公領制下の年貢品目にみる東西の違い ①伊勢・尾張・美濃以東の諸国…絹・糸・綿・布などの繊維製品が年貢の中心。 ②西国…米年貢を賦課する荘園が多く、特に畿内・瀬戸内海沿海地域・九州では顕著。 (2)絹織物生産の相対的低下と産地変化 ①中世後期~近世前期の地方蚕糸業…絹糸・絹綿に比重が掛かり、織物業は相対的に活力を失う。  └(あ)九州・中国・北陸・山陰とも低下。(い)対明貿易による白糸輸入が激増。 ②近世初期『毛吹草』段階で残った絹織物産地 ・越前(現/福井県)、但馬(現/兵庫県)の出石絹、丹後(現/兵庫県)の丹後織絹袖程度。 ・尾張(現/愛知県)・伊勢(現/三重県)は絹織物から綿織物へ転換。 ・西陣(現/京都府)では古代の織部司の技術を継承しつつ、絹織物生産の絶頂期←明の高品質絹糸。

3 中世末期における木綿輸入とその国産化

(1)日本列島における木綿栽培と綿布生産の展開  ①15世紀後半…応仁の乱以後、戦国時代における兵衣不足から、守護大名・戦国大名らが、朝鮮半島へ銅・鉄と引替えに綿布を大量発注。→ 半島側は綿布不足を憂慮し、公的には対日綿布価格を上昇させたが、国境の民間商人たちによって大量に綿布が流出。  ②15世紀末~16世紀…半島だけでなく大陸(明)からも綿布(唐木綿)輸入を試み、海禁政策(入貢形式の勘合貿易)下でも、江南・福建商人が日本商人と交易(琉球商人も介入)。  ③16世紀中期…「唐木綿」と「日本木綿」の併存。関東~九州全域にかけ、同時多発的に栽培開始。  ④16世紀末…京都や奈良などの都市部では、僧侶らの日常着としても利用(麻から綿への移行開始)。 (2)木綿インパクト~兵衣と商品  ①兵衣としての綿布(=階級形成力) ・麻織物よりも保温性が良く、軍隊ごとに、織物(布)段階での規格化が進行。 ②商品としての綿布(=階級破壊力) ・古代では、苧麻などの商布が国衙や中央政府へ献上された余剰として市場へ出たが、木綿は京都・鎌倉・室町などの中央政府への献上品とはならず、生産者から直接に流通市場へ放出。

4 服装の「近世化」

(1)小袖の発展 ①小袖の柄…庶民層が表着として利用した慣習から、小袖の色物・柄物が登場し、近世では主流に。 ②小袖の専門化…表着され始めた小袖は、上流層において、染色・染織・意匠等、デザイン全般に高度化。 (2)服装の近世化 ・公家・武士層において簡素化がみられる。直垂と素襖をベースに、武家の場合は袴の腰に白平絹を用いず、同一生地を利用。ただし、国風文化の下で国産の染織が沈滞し、上流階級では唐物の流行は絶えなかった。 ・僧侶の服が現代とほとんど変らなくなる。

近世とは何か – 日本国再建と一国経済の不可能性

(1)日本国再建と江戸幕府
①日本国の建国…17世紀初頭に道南から奄美大島までを領土とし、首都は江戸。海禁政策(鎖国)を重視して成立し、オランダとの貿易のみを行なった点が特徴。
  ②江戸の都市構造…江戸城の艮にあたる北東(鬼門)に日光東照宮(栃木県日光市)を設置。
  ③江戸幕府の支配構造
・幕藩体制(=徳川幕府と地方政府)…戦国大名を親藩 > 譜代 > 外様に分類。
   ・参勤交代…1635年の「武家諸法度」改定時に義務化 され、出仕・朝貢などにより各大名統治下の藩財政を逼迫。

(2)交易・交通の展開
①本州を中心にした陸路の整備と繁栄
   ・参勤交代により、五街道(東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道)が整備され、宿場を形成。
  ②琉球王国からみた海路の活況
・15~16世紀…尚氏により、統一・安定化。明王朝との朝貢貿易、列島の諸港への交易船派遣、海禁政策の間隙を突いた中国⇔東南アジアの中継貿易等、東アジア・東南アジア間交易の要地。
   ・17世紀初頭…朝貢貿易のみを行なう明に対し、対等貿易を拒否された江戸幕府は、薩摩藩主(島津忠恒)に琉球への侵攻を許可し、琉球を中継貿易の拠点に。
   ・17世紀中葉~…1644年建国の清朝に対し朝貢貿易をしつつ、薩摩藩と清朝との密貿易に加担。江戸幕府に対しては「江戸上り」 。

(3)日本国の崩壊

  ①「四つの口」のインパクト…特に薩摩・対馬・長崎(リアス式海岸、83の港湾、971の島嶼)の3ヶ所周辺では、海外情報が盛りだくさん。鎖国政策の江戸幕府にとって、対オランダ貿易以外の交易は薩摩藩や長崎奉行所(時には大村藩)に委託したため、薩摩・琉球・台湾・中国という関連や、長崎・対馬・朝鮮半島・中国・オランダといった繋がりが濃密になった。

  ②18世紀末 - 忍び寄る「怪物」たち
・根本的な背景=18~19世紀イギリスの産業革命(工場制機械工業+海外植民地)。
・新国家の登場…アメリカ独立宣言発布(1776年)と独立戦争終結(83年)。
・フランスの動乱…バスティーユ襲撃とフランス革命戦争(1789年~)。
・ロシアのラクスマン来航(1792年)…通商を要求するが松前藩経由で幕府は拒否。
・ナポレオン戦争…オランダ崩壊と占領(1793年)以後、ヨーロッパ全土を巻き込む。
・フェートン号事件(1808年)…目的は長崎周辺のオランダ船拿捕と欠乏食料の供給。
・ゴローニン事件(1811年)…ロシア帝国の東方拡張下で、蝦夷地(近世は松前藩)・樺太で接触。
・異国船打払令(1825年)…趣旨は、列島要所の沿岸に接近する外国船に対する砲撃、追い返し。
・アヘン戦争(1839~1842年) …イギリス・インド・清の三角貿易を背景にした阿片の密輸が発端。
首都北京に近い天津直撃 など、以後、清は欧米列強の餌食に(米の望厦条約、仏の黄埔条約等)。
・薪水給与令(1841年)…外国船に対し、食料・燃料の支援を認可(天保の改革の一環)。
・欧米列強の軍艦来日急増(1843~53年)…日本列島への来日は欧米列強による対清侵略の一部。

③東アジア再編成と日本国の崩壊
・大陸・半島・列島は開国政策を取り、欧米列強と不平等条約を締結。関税自主権なし、治外法権。
・日本国の内戦…安政の大獄(1858年)を発端に内戦へ突入。欧米列強に対する小競り合いも多発。
・大政奉還(1867年)→王政復古の大号令(68年) ※ただし、収拾つかず。
・内戦再発(戊辰戦争、~69年)…戦後処理は東北諸藩に厳しいもの。
・廃藩置県(71年)と琉球処分(72年)…日清間で軋轢 → 台湾出兵(74年)へ
・内戦再発(西南戦争、77~86年)…明治政府にとっての反逆分子はほぼ壊滅。

列島における衣服の進化(近世まで)

(1)古代~中世後期…衣服形式の展開・選択
①衣服形式の展開…筒袖(貫頭衣)→ 肩衣(手無し)→ 小袖。ただし、全て保持されつつ趨勢が異なる。
└ この点は、特に、袖の延長と袂の肥大化に顕現。
②下着としての小袖(公家)と、上着としての小袖(武家・町人)の分化。
※この頃の中国・半島・列島の衣服には、立体構成の発想がなく平面構成のみ。立体構成の起源は中央ユーラシア 。

(2)近世初期~近世末期…小袖自体の展開・選択
①近世における変化…生地・模様・織法の3点が多様化(形状は中世末期に定着)。
②小袖の長所・短所…長所は体型を隠せる点、短所は裾がはだけやすい点(長所・短所は逆のケースも )。
③呼称の変化…小袖から振袖へ。
  ※小袖の場合、襟の合わせ目の位置が腹部に来る。隋朝以後の中国では、支配層・上流階級を中心に、衣服が袍(パオ)として一般化し、襟の合わせ目は首もと にくる場合が多い。なお、帯は両者とも腹部か、袍では省略されることもある。

近世における産地の定着

(1)絹織物
(2)綿織物
(3)麻織物

近世における呉服商の特権的地位

(1)有力呉服商の登場 – 近江商人と伊勢商人
(2)呉服商本拠地のメリット – 絹織物生産地との連携
(3)材料調達の構造 – 買宿制度
(4)呉服商の家産経営 – 大元制度


★お勧め書籍
長島巌『小袖』ピエ・ブックス、2006年。
田中優子『江戸の想像力 - 18世紀のメディアと表徴』(1986)ちくま学芸文庫、1992年。
田中優子『近世アジア漂流』(1990)朝日文芸文庫、1995年。
ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』(1922)金森誠也訳、講談社学術文庫、2000年。

★お勧め映画
★お勧め博物館






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