20060928
●講義について
講義内容
どのファッション雑誌を見ても、特集ページには、ちょっと手を伸ばせば届く値段の商品が掲載されている。しかし、広告ページとなると、既製品ですら決して手が届かないようなトップ・ブランドが、日本国内の本店・旗艦店の所在地・連絡先を記載するだけで、暖簾を出していることが多い。ファッション雑誌は、その意味で、「手に入れることのできる商品」と「いつかは手に入れたい商品」との落差を縫い込んでいる。 そもそも、ファッションは、衣服や服飾品、それらの流行現象、時代の価値観など、幅広い意味をもっている。 漢字に注目してみよう。「服飾」の「飾」は、自分らしさや煌びやかさをイメージさせるが、「服」の方になると、違うイメージも出てくる。婦人服、紳士服、子供服、制服、洋服、和服、仕事服、作業服など、「服」の付く言葉を挙げると切りがないが、「服」には、征服、屈服、服従、服務といった、闘争的な意味や権威的なニュアンスも含まれる。本講義では、近代を中心に、単なる習慣や流行と思いがちな服飾文化(特に衣服と生地)のもつ多層的な側面に注目して、日本列島の歴史を振り返る。 なお、本稿では、庶民の衣服ないし服飾生活史に焦点を当てるが、時間的余裕があれば、宮廷などの高い階級の服装紹介や、特に近代を中心にフランスと中国を中心にした服飾についても比較・紹介していきたい。講義計画
以下のようなトピックを中心に取り上げる。●東アジアからみた日本の位置(図表①・②)
(1)アジアの一部「日本列島」…現在の位置、国境とは違った印象 (2)大陸と列島が日本海を囲む→②・環日本海の陸地に小国家が複数存在した事実と、海上に国家を作る不可能性
●日本とは何か1
(1)日本列島の中央政権(弥生時代)・邪馬台国2…①纒向遺跡(奈良県桜井市)、②吉野ヶ里遺跡(佐賀県神埼郡) (2)倭国から日本国へ(古墳時代~奈良時代)
・古代奈良の地名3…山門(宇陀郡・桜井市)→倭(奈良盆地中南部)→大和(奈良盆地)
・国号「日本」の初出…681年起草(天武朝)、689年(持統朝)施行の飛鳥浄御原令
・国際舞台への登場…702年、国号を唐から周と改めた即天武后から倭の使者が認可 (3)「日本」の意味
・「日の本」は「日出づる処」で、西の唐や天竺に対する自立意識(平安期に疑問視) ※ハワイから見れば、日本は「日没する処」という限界 (4)平安時代中期『延喜式』に見る日本国内の交易圏(図表③)
・この時期には、③程度の範囲が日本国支配下に
・国衙4の交易物…繊維品では絹系と苧・布系に大別(木綿は少ない)
●縄文時代~古墳時代の服装
(1)縄文時代・④土偶…裸体に近い(縄文時代)。 (2)縄文時代後期・晩期
・居坐機・地機と織物技術の伝来…織手の腰に当てた帯で経糸に張力を与える。
・後期に編布、晩期に織布が出土。また、緯に草やヒゴ、経に紐や糸状のもの2本を絡めた編物(=莚や簀)のようなものが列島各地から出土。 (3)弥生時代
・男性…髪を露出、冠なし。樹皮繊維による織布を頭に巻き、衣服は布を横に巻いた物で縫合なし。
・女性…髷を作り結う。衣服は単が大半で一方の耳のみを縫合した筒型(頭から被る)。
・「ちはや」…筒型衣服で、中国の貫頭衣。弥生時代から古墳時代には一般的。
・支配者…卑弥呼ら為政者達には一部、絹による衣服が普及。ただし、織法は未熟。 (4)古墳時代
・⑤埴輪…格式ある服装の巫女(古墳時代=倭国支配下)。
・⑥埴輪…上の女性は重量感のある服装に対し、下は農民男性と思われ活動的服装。
・⑦埴輪…上はあっさりした男性埴輪で活動的衣服、下は女性埴輪でネックレスあり。
・染織先進国中国…漢代に衣(上半身)と裳(下半身)との絹のツーピースから深衣へ。
・百済からの技術導入…403年に縫衣工女が渡来し裁縫技術が伝来し、470年には漢織・呉織・衣縫の兄媛・弟媛らが織物製作・裁縫作業に従事。
1この章は、主に以下に依っている。網野善彦『「日本」とは何か』講談社、2000年 2『魏誌倭人伝』記述そのものによると邪馬台国は沖縄県周辺の海中になる。同書の、距離が正しければ①、方角が正しければ②が妥当的。 3『折口信夫全集 第六巻 萬葉集辭典』、『折口信夫全集 第九巻 國文學篇3』(ともに中央公論社)。『万葉集』では、「大和」は「山門」とも記され、現奈良県桜井市・宇陀郡を中心とした(伊勢街道によって分断されている)南北の山地、もしくは、山麓一帯。政権の移動とともに、奈良時代には奈良盆地中南部を指すようになった。地名として利用される大和が、ほぼ奈良県と同義に利用されるのは、江戸時代以降。 4天武朝頃には本格的に中国から導入されていた律令制下に、国司によって統治された地方政治エリア。
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