和服の洋服化 1 : 衿元・胸元と端折りの関係から

日本の和服(キモノ、)が洋服との関係において変容・確立した点、つまり 和服の洋服化 を考えましょう。ここでは特に、19世紀和服と20世紀和服にみられる衿元・胸元と 端折り の関係を検証します。

和服形態に注目した大丸弘・高橋晴子・森理恵の3名の研究者以外、誰一人として、 和服の洋服化 を捉えた大学教員・研究者は、いません。しかし、それは日本の研究だけでなく世界的にも見られる現象で、多くの衣服史やファッション史の本が何も語ってこなかった点を知っておくべきです。

大丸弘・高橋晴子『日本人のすがたと暮らし―明治・大正・昭和前期の「身装」―』三元社、2016年

和服の洋服化 : その方向

近代日本では、裸体禁止令以降、日本人に服を着て外出することが義務づけられました。時間はかかりましたが、20世紀を通じて、ある程度は成果があったと思われます。他方で、和装習慣では、西洋人からの蔑視を避けるために、あるいは、西洋人への憧憬から、着物のルーズさを減らす方へ向かいました。そして、20世紀初頭から西洋倫理にもとづいたスリムな和服が発生しました。これが現代和服の源流です。

この点を簡潔に述べた大丸弘の指摘をいくつか紹介します。

今日の和服の現実は、ドレーパリー系衣服としてのゆるみのゆたかさは袖にのこるだけで、体幹部はむしろtailoringの方向を志向している。「現代和服の変貌―その設計と着装技術の方向に関して―」『国立民族学博物館研究報告』民族学振興会,第4巻4号、1980年3月、789頁)

また、

このような和服の変貌は、「活動的で、不必要な手間のかかることを嫌う現代生活への適応」[2]と「西欧服の構造と感覚への接近」[3]であった。(大丸弘「西欧型服装の形成―和服論の観点から―」3頁)

つまり、20世紀和服は19世紀とは異なり洋服となりました。このような変貌は和服の形態に着目しなければ見えてきません。

和服の洋服化 : 衿元・胸元と 端折り の関係から

(1) 20世紀和服にみる 衿元・胸元と端折りの関係

大丸弘は、このような一見シンプルに見える現代和服を次のように述べています。20世紀和服では、「衿もとのくつろぎのほか,帯の交叉させた結び様や,変化に富んだ裾からげや端折り」[1]が排除されました。帯が胸元まで上昇することによって胸と肩の張りが協調され衿元が糺されました[2]。また,洋服仕立が和服仕立へ応用され,腰回りが引き締まり、裾さばきが良くなりました[3]。洋服仕立の和服仕立への応用はスリム化およびボディ・コンシャス化を目指したもので、詳しくは「tailoring化と綿入の消滅」をご覧ください。

[1] 大丸弘「現代和服の変貌―その設計と着装技術の方向に関して―」『国立民族学博物館研究報告』民族学振興会,第4巻4号、1980年3月、792頁。 [2] 大丸弘「現代和服の変貌Ⅱ―着装理念の構造と変貌―」『国立民族学博物館研究報告』千里文化財団,第10巻1号、1985年7月、208頁。 [3]大丸弘「現代和服の変貌」774頁。

要するに、19世紀和服に比べて20世紀和服は様々な緩みや弛みや遊びを排除し、簡素なスリム化を目指したのですが、現代和服のように、衿元・胸元がピンと張って、他方で端折りもほぼ平坦にさせるというのは、布が平坦である以上、不可能です。 衿元・胸元と端折りの関係 は相反関係にあります。

平面的だが技術的に盛り上がってしまう時代の 端折り の例。1924年10月 日本橋辺

平面的だが技術的に盛り上がってしまう時代の端折りの例。1924年10月 日本橋辺 via 近代日本の身装文化

これは、「着物の写真 (1933年)をみて思うこと…」に挙げた2点目の写真です。衿元や胸元の緩みが無くなり、端折りには弛みが見られません。これは既に現代化された和服で、20世紀和服への出発を確認できる訳ですが、1点だけ、前近代を引きずった点が確認できます。端折りは平面的に整っていますが、衿元や胸元の緩みを消した反動で、端折りが浮いています。現代和服は、その「浮き」までも消し去りました。

布が平面で人体が立体的な矛盾を解決する和服なりの方法は、この記事の最後にまとめるとして、まず、19世紀和服の衿元・胸元、そして端折りを写真から見ていきましょう。

(2) 19世紀和服にみる 衿元・胸元と端折りの関係

「椅子と女性」と題された次の写真は、1865年に写真家フェリーチェ・ベアト Felice Beato が写したものです。帯の位置が低く、太めの紐も使ってやや無造作に結ばれているため、皺が目立ちます。帯の位置が低い分、衿元・胸元に緩みが発生しています。

幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベース-[レコードの表示]

「椅子と女性」(1865, フェリーチェ・ベアト / Felice Beato, 1832-1909) via 幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベース-[レコードの表示]

次の写真は1884年に「滋賀県の商家の人々」を写したものです(大丸弘「現代和服の変貌―その設計と着装技術の方向に関して―」『国立民族学博物館研究報告』民族学振興会,第4 巻4 号,1980年3 月,777頁)。大丸弘はこの論文で、端折りと緩い衿元の例としてこの写真を挙げています。特に左の女性に当てはまります。この女性は衿元が低く、その分の布が端折りに来るため、端折りは皺くちゃになっており、水平からはほど遠いものでもあります。真ん中の女性の衿元は高めにあるため、端折りは左の女性よりも皺が目立ちません。右の女子も衿元が高く端折りに皺が寄っていませんが、背丈が低いために端折りがかなり出ていることがわかります。

端折り と緩い衿元の例。

「はしょりと、ゆるい衿もとの例。滋賀県の商家の人々(1884)」。大丸弘「現代和服の変貌―その設計と着装技術の方向に関して―」『国立民族学博物館研究報告』民族学振興会,第4 巻4 号,1980年3 月,777頁

また、衿元を高くしてピンと張った場合でも、端折りを緩くして着る場合もありました。上述の大丸弘の論文から次の写真、「兵庫県下の豪商の妻と娘」と題されたものを見ますと、二人とも衿元を小奇麗に高めにまとめています。しかし、帯と紐はラフに結ばれていますし、その下にはみ出ている端折りは太めで、かなり立体的な緩みを持っています。(大丸弘「現代和服の変貌―その設計と着装技術の方向に関して―」『国立民族学博物館研究報告』民族学振興会,第4 巻4 号,1980年3 月,776頁)

端折りの緩やかさの例

「はしょりのゆるやかさの例。兵庫県下の豪商の妻と娘(1880年代末)」。大丸弘「現代和服の変貌―その設計と着装技術の方向に関して―」『国立民族学博物館研究報告』民族学振興会,第4 巻4 号,1980年3 月,776頁

それでは、端折りから緩やかさをなくしたり、端折りを見えないようにいすると、衿元や胸元はどうなるでしょうか。それを示すのが次の写真で、胸元が弛んでいることがわかります。

端折り のみえない着付け。衿元・胸元と端折りの関係 端折りを隠すと(減らすと)衿元・胸元が緩む

「はしょりのみえない着付け。胸もとのたるみに注意」。大丸弘「現代和服の変貌―その設計と着装技術の方向に関して―」『国立民族学博物館研究報告』民族学振興会,第4 巻4 号,1980年3 月,779頁

以上、 衿元・胸元と端折りの関係から20世紀と19世紀の和服写真に見る違い、 和服の洋服化  を考えました。和服は端折りを発生させる限り、衿元・胸元と端折りのどちらに緩みや弛みを発生させるかという問題を抱えています。

本記事冒頭でみた20世紀和服の衿元・胸元と端折りの両方に緩み・弛みが発生していないのは、和服の内部にその理由があります。たとえばタオルを数枚重ねて腹部に充て、乳房と腹部との凹凸差を無くしたり、ゴム・ベルトを脇下に通して衿元を双方から引っ張ったりすることで、衿元・胸元の弛みや端折りの弛み、いわゆる「着崩れ」を起させない仕掛けになっています。着物を脱ぐと、そこに映し出されるのは美とは程遠い、タオルやゴム・ベルトでぐるぐる巻きにされたナルト状態、つまり、サイボーグ化された女体だと言わねばなりません…。

矢嶋孝敏・伊藤元重『きもの文化と日本』に書いてあるエピソードに(同書20・21頁)、フォーマル・ウェア化された着物を着さされた客が《チャーシュー(ナルト)の気持ちがわかった」》と述べたそうですが、それは、まさに女性をサイボーグにさせてから着物を被せるという20世紀和服のグチャグチャになったルールを示した名言です(笑)。 和服の洋服化 とは女体のサイボーグ化を伴なったといわねばなりません。

大丸弘・高橋晴子『日本人のすがたと暮らし―明治・大正・昭和前期の「身装」―』三元社、2016年

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