和服の洋服化 2 : tailoring化と綿入の消滅

和服(キモノ、、Kimono、以下は和服に統一)は洋裁の導入で変化した民族衣装の一つです。和服が洋服との関係において変容・確立した点、つまり 和服の洋服化 (≒スリム化&ボディ・コンシャス化)をまとめています。

既に、和服の洋服化については、「衿元・胸元と端折りの関係から」で述べたように、和服形態に注目した大丸弘・高橋晴子・森理恵の3名の研究者以外、誰一人として、 和服の洋服化 を捉えた大学教員・研究者は存在しません。しかし、それは日本の研究者だけでなく世界的にも見られる現象で、多くの衣服史やファッション史の本が何も語ってこなかった点を、まず知って下さい。

大丸弘・高橋晴子『日本人のすがたと暮らし―明治・大正・昭和前期の「身装」―』三元社、2016年

和服の洋服化 : 方向としての tailoring

近代日本では、西洋人からの蔑視を避けるために、あるいは、西洋人への憧憬から、和服のルーズさを減らす方へ向かいました。そして、20世紀初頭から西洋倫理にもとづいたスリムな和服が発生しました。これが現代和服の源流です。

この点を簡潔に述べた大丸弘の指摘をいくつか紹介します。

今日の和服の現実は、ドレーパリー系衣服としてのゆるみのゆたかさは袖にのこるだけで、体幹部はむしろtailoringの方向を志向している。「現代和服の変貌―その設計と着装技術の方向に関して―」『国立民族学博物館研究報告』民族学振興会,第4巻4号、1980年3月、789頁)

また、

このような和服の変貌は、「活動的で、不必要な手間のかかることを嫌う現代生活への適応」[2]と「西欧服の構造と感覚への接近」[3]であった。(大丸弘「西欧型服装の形成―和服論の観点から―」3頁)

つまり、20世紀和服は19世紀とは異なり洋服となりました。このような変貌は和服の形態に着目しなければ見えてきません。

和服の洋服化 1933年

和服の洋服化 1933年 via 近代日本の身装文化

和服の洋服化 : 各部の不変と既変

和服の各部分の不変と既変を見ていきましょう。

不変要素(普遍要素)

まず、19世紀和服と20世紀和服に共通する不変要素(普遍要素)は、袂のある広袖平肩の袖(連袖)打ち合わせの裾です。附属品では帯の利用も挙げられます。

この内、袖を少し述べます。和服の袖は連袖で、和服本体の身頃と袖・肩は不裁断になっています。現代和服も同様に連袖です。これは、和服が古代中国の漢服の影響下で形成されたためです。この集の袖には、いわば身頃・肩・袖の思想がありません。詳細は「袖形成と上下の組み合わせからみた東アジア民族衣装の展開」をご覧ください。

着物には身頃・肩・袖の思想が無い。

着物には身頃・肩・袖の思想が無い。基礎編4 着物の外見 – 着物あきない

変化要素

19世紀末までの和服は、平面裁断と直線裁断によって制作されていました。19世紀和服と20世紀和服の違い、すなわち変化要素は、綿入の消滅曲線裁断の導入胸ぐせのダーツの導入端折りの発生・平坦化などです。

この内、綿入は特に冬の防寒用に利用されていましたが、スリム化を一つの主目標とする和服の洋服化において、袷(二重)の着物の間に綿を詰めることは避けられるようになります。和服の洋服化の大前提は、綿入れの消滅でした。付帯的には、黄金比を反映させて帯が上昇したことも挙げられます。次の写真は、1924年10月に東京の日本橋付近で撮影されたものです。撮影を意識して交換したのか、洋装者は和傘、和装者は洋傘(パラソル)を持っています。二人の背丈は似ており、洋装者のシャツ下端と和装者の端折りの位置がほぼ一致していることが確認できます。

1924年10月 日本橋辺

二人の背丈は似ており、洋装者のシャツ下端と和装者の端折りの位置がほぼ一致。1924年10月 日本橋辺 via 近代日本の身装文化

和服の洋服化 : まとめと補足

簡単に 和服の洋服化 をまとめました。最後に、大丸弘は和服の洋服化の他の点にも言及しているので、紹介しておきます。

構造上、19世紀和服と較べて現代和服の失ったもっともいちじるしいものは、曳裾であり、また厚い裾綿である。当時は一般に重ね着の習慣があったから、冬期は相当の厚みのものを身にまといつけ、中流以上の家庭では大きく𧘱(ふき)をだした裾を畳にひいていた。(大丸弘「現代和服の変貌―その設計と着装技術の方向に関して―」『国立民族学博物館研究報告』民族学振興会,第4巻4号、1980年3月、789~790頁)

ちなみに、欧米人たちにとっては和服は別のものとして理解されました。

19世紀後半から20世紀初頭にかけて欧米人たちが着物を理解したのはネグリジェ風のガウンだったのは広く知られる(大丸弘「総論 生活観を反映する民族服」(梅棹忠夫監修・大丸弘責任編集『着る・飾る―民族衣装と装身具のすべて―』日本交通公社出版事業局、1982年、19頁)

大丸の言う「欧米人たちが着物を理解したのはネグリジェ風のガウン」は、「キモノ・スリーブの日本での誤用とファッション用語の限界」をご参照ください。

和服はチョゴリ、旗袍アオザイ等と同様に、洋裁の導入で変化した民族衣装の一つです。ここでは特に和服の洋服化を簡単にまとめ、その内、変化要素の一つである綿入の消滅を中心にスリム化&ボディ・コンシャス化の点からまとめました。

大丸弘・高橋晴子『日本人のすがたと暮らし―明治・大正・昭和前期の「身装」―』三元社、2016年

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