和装の洋装化 : 羽織と下着の登場

このページでは、羽織、20世紀前半の下着、現代の下着の役割について 和装の洋装化 から考えています。20世紀になると、19世紀和服()の持っていた綿入の習慣が消滅し、着物は薄着になりました。それに伴い、羽織やコートを着る習慣、および下着を付ける習慣が形成されました。

和装の洋装化 1 : 羽織の登場

20世紀になると、19世紀和服(着物)の持っていた綿入の習慣が消滅し、着物は薄着になりました。それに伴い、寒い時期の外出時には、先行して知られていた羽織やコートを上から着る習慣が定着して行きました。羽織(羽折)はもともと保温防寒のためのものではなく、儀礼的性格のものでした。明治の初め頃に裃(かみしも)から羽織に変わったといわれています(以上、羽織について、・高橋晴子『日本人のすがたと暮らし―明治・大正・昭和前期の「身装」―』三元社、2016年、276頁)。

和装の洋装化 2 : 下着の着用

他方で、着物の中にメリヤスのシャツを着る習慣も登場します。20世紀前半はシャツやズボン下などの男性用肌着が多かったのですが、20世紀後半にもなるとニット・ウェアの発展によって女性も着物の中に肌着を着る習慣が広がります。20世紀前半については、大丸弘は次のように詳しく述べています。

(女性が主に家で制作する上で)最初にうけいれられた西欧衣服とは、なんであったか、(中略)シャッ、ズボン下、コートの3種がそれである。(中略)シャツ、ズボン下、コートの3種に共通する特色は、円筒形の密閉形式による保温性(コートの場合は、それと保護性)である。この3種の衣服は、従来の和服のうちに、似たものが全くなかったわけではないが、毛織物、フランネル、メリヤスといった西欧系の素材を利用することによって、その特性をより高めることを可能にしたのである。シャツ・ズボン下は肌着ではあっても,それは専ら男性のものであって、lingerie, あるいは foundation にあたるものではない。当時の男性の着用のしかたをみると、和服の衿もとや袖先に、シャッをぴっちりと着こんで、そこにはっきりと、従来の和服に欠けていた、密閉(保温)性が、それらの服種によって補われたことを認めることができる。(大丸弘『西欧型服装の形成―和服論の観点から―』国立民族学博物館研究報告別冊4号、1987年2月、16~18頁)〔この論文「西欧型服装の形成」はこちらからダウンロードできます〕

また、開化以前の女性の下ばきには腰巻や蹴出しなどがありましたが、いずれも股間を包むものではありませんでした。19世紀後半には襠(まち)の付いた下ばきを穿かせようとするキャンペーンが繰り広げられました。また、女性の和服用下ばきの製造販売をするアパレル業者が現れ、19世紀末には都市部だけでなく地方にも広くたくさん宣伝されていきました。和服用の襠付き下着は局部の取り外し式が便利ですが、家内制作が難しいので既製品業者が着手しやすかったわけです(以上、大丸弘・高橋晴子『日本人のすがたと暮らし―明治・大正・昭和前期の「身装」―』三元社、2016年、253~255頁)

大丸弘・高橋晴子『日本人のすがたと暮らし―明治・大正・昭和前期の「身装」―』三元社、2016年

実際に、戦前期に刊行された裁縫書を調べますと、下着の裁縫を指南するかなり初期の本に、久永廉蔵『改良衣服裁縫伝授―小学生徒―』(正札屋、1876年)がありますが、襯衣(はだき)と靴下・足袋の仕立を取り上げているだけで、局部を覆う下着については取り上げられていません。また、サルマタ(猿股)や股引などの襠付き下着が家内裁縫の品目として登場するのは早くても1910年代のことで、19世紀中期から始まった裁縫書の大量刊行の流れから見ると、かなり遅い部類に入ります。

和装の洋装化 下着の着用 和装下着 サルマタ

和装下着 婦人用 サルマタ via 近代日本の身装文化

和装の洋装化 3 : 現代和服の下着

現代和服になると、女性下着・女性肌着は常識になっています。矢嶋孝敏によると、冬にデニム生地並みの分厚い着物の下へヒートテックの下着・肌着を着こむという方法があります。

夏にゆかたを着て、非常に楽しかった。秋冬も着たいんだけど、ゆかたじゃ薄すぎる。かといって、絹はまだちょっと手が出ない。そんな人にはポリエステルのきものもあるし、ゆかた地じゃない木綿のきものもある。(中略)浜松の遠州木綿とか、新潟・小千谷の片貝木綿とかいった生地は、デニムぐらいの厚さのものもある。下にヒートテックを着こめば、冬でも十分着られます。(矢嶋孝敏・伊藤元重『きもの文化と日本』日本経済新聞出版社、2016年、37頁)

矢嶋孝敏はカジュアル・ウェアとしての着物を推進する立場にあるので、中国・香港の映画監督ウォン・カーウァイが来日した時のパーティに出席した女優、寺島しのぶの言葉は、フォーマル・ウェアとして着物を捉えています。したがって、矢嶋と寺島は、下着・肌着に対して異なった立場にあることがわかります。

バレンタイン・デーにちなみ、チョコレート贈呈のため来場した寺島しのぶが「監督の作品は3作の中で唯一ヌードシーンがないが、逆に“見えないエロチシズム”がある」と絶賛。さらに自身の着物姿について「着物はしとやかに見えるが、実は下着をつけないで着るものですから、今日もつけていません」と場内を沸かせた。3大巨匠がこぞって描いた“エロス”とは? : 映画ニュース – 映画.com)2005年2月15日

このように考えると、和服と下着・肌着の組み合わせは、その着脱はともかくとして、カジュアル・ウェア、フォーマル・ウェアで大切な位置を占めていると言えます。

ところで、下着・肌着の有無を含めて和服を考える時、それは和装と呼ぶべきものです。和服と和装とを大きく誤解し、間違えた事例が次の経済産業省と和装振興研究会です。

補論 : 経済産業省と和装振興研究会が考えた和装

経済産業省は、2015年に「若い世代のきものへの関心の高まり等をふまえ、新たな需要の開拓に向けて新たなビジネスモデルを構築し、きもの産業の好循環を創造するため、(中略)「和装振興研究会(製造産業局長主催の研究会)」を設置し」、「有識者、若手経営者及びユーザーから構成される「和装振興研究会報告書」を取りまとめました」とのことで、「和装振興研究会報告書(PDF形式:6,141KB)」という報告書を公表しています(以上、和装振興研究会-報告書(METI/経済産業省))。

この報告書を見ると、下着、肌着、内衣など、和服の内側に着用する衣服については一切検討されていないことがわかります。つまり、経済産業省と和装振興研究会は、概ね一番外側に着用する和服(着物)しか検討していないのです。和服(着物)を平気で和装と呼んでいるので、凄まじく頓珍漢な有識者、若手経営者、ユーザーが集まったのだなぁと、こみ上げてくる笑いを抑えられません…。税金の無駄遣いをする暇があれば、衣服史のしっかりした本をじっくりと読んで勉強してほしいものです。

大丸弘・高橋晴子『日本人のすがたと暮らし―明治・大正・昭和前期の「身装」―』三元社、2016年

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