近代日本における洋裁教育
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近代日本における洋裁教育は、日本における衣料受容の先導的なシステムとして1870年代から本格的に着手された。
外国の技術・製品は、まずは男性のごく一部が、次に帰国子女が普及させた。フランスのオートクチュールやプレタポルテなどトップ・ブランドの情報についても似た状況である(ケンゾー、コムデギャルソン等々)。つまり、特権的な人間が知らない人間へ伝授するという鎖国体制が広く行きわたってきた。典型的な鎖国型普及である。
最新ファッション、トップ・ブランドはヨーロッパ、カジュアル・ウェアはアメリカ合衆国という対立構造が、日本においては、近代に貫通した衣料消費のパターンとなった。もっとも、カジュアル・ウェアが合衆国から輸入されるのは20世紀後半であるが、ずっと以前には、ハード面でシンガー社の独占状態にあった。
これに対し、和裁教育は、主に家庭内で行なわれたかも知れない(暗黙知)。洋裁教育は多分に形式知の要素が強い(今まで無かったのだから)。
いずれにせよ、洋裁・和裁の技術普及や利用道具・機械の傾向については、今後調べていくつもりである。和裁と一言でいっても、茶道・華道と同じく裁縫道と呼べるような専門教育や技術伝授のレベルから、家庭内的な簡素な裁縫レベルまで、いくつかの段階があったようである。
以上の点については、衣服革命と洋裁教育においても簡単に紹介しているので、参照してほしい。
