中世・近世にみる小袖の変化と江戸時代の下着
このページは、主に高田倭男『服装の歴史』中央公論社、2005年を参照した。
(1)中世後期
①公家の上層では白平絹(下着)、武家では小袖の重ね着や奇抜な成金趣味的デザイン(上着)。
②小袖の着流しの普及 ⇔ 摺箔、刺繍、唐織物、緞子等の生地。
③身幅が広く、袖幅の狭い小袖の出現 ⇔武家や町衆等の裕福な都市居住者たち(庶民の小袖も同様の形状に移行したが、生地は麻布である点が異なる)。
④平絹を除く絹織物では、経糸に生糸、緯糸に練糸を利用し、生地に張りがある。
(2)近世前期
①身幅が狭く、袖幅の広い小袖の再現…慶長小袖として富裕層へ。庶民は平安時代末期以来、これ。
②練絹の再活発化…飛鳥・奈良時代に貴族階級で流行していた「綺(中国では流行とならずに、一般的に利用され続けた。)」が沙綾・緞子として再普及。
- 一説では、中国の明王朝滅亡後に大量の職工が日本に渡り堺を中心に製織 → 西陣へ普及。
③慶長小袖の変化…慶長後半期、デザインにおける区画の抽象性が変化し、山形や雲形等の具象性へ。
④小袖デザインの進化…細密・濃厚な文様と色彩(寛永小袖)や、大柄で動的な文様(寛文小袖)へ。
(3)近世中期
①小袖の定型化
- 武家だけでなく町人も、袖付から袖口まで円弧を描いた小袖を着用(江戸中期まで)。
- 身体の輪郭を現わしやすい柔軟な生地と、身体とのスペースが狭まった織幅。
②小袖の選択肢…形状のデザインではなく、材質、色、文様デザインに主眼。
- 絹織物においては、西陣機業の多くが公家・上級武家向けから町人向け製品の製造・販売へ。
③生地デザインの変化
- 絣(絣とは、経糸ないし緯糸の所定部分を括って防染した文様の織物のこと。)の登場…江戸時代中期後半から、腰替りの筋や格子の中か無地の中へ絣の利用が開始。
- 縞柄(縦縞・横縞・格子縞を問わず、縞柄は古今東西で「異端視」傾向が強い。中世以降のヨーロッパの事例は以下に詳しい。ミシェル・パストゥロー『縞模様の歴史 - 悪魔の布』松村剛・松村恵理訳、白水社、2004年。)の普及…技術的には既に平安期に製造可能だったが、江戸中期に縦縞が町人の間で流行。
- 友禅染の意義…17世紀末に登場し、小袖の模様染に画期的な影響。一定の技術水準に達した18世紀中葉以降、デザイン細部の複雑化へ主眼がシフト。
※小袖のキーワード:桃山時代の小袖、慶長小袖、寛文小袖、友禅小袖(友禅染)。
(4)「江戸の下着」
①室町時代における変化 ? 小袖の下着から上着への変化
東の国の野蛮な兵士たちの生き方が、次の時代の生活スタイルを作った。重ねられたキモノは次々と脱皮される。袴の切れ目からは下着がのぞく。短くなった活動的な上着の袖からも、下着があらわになる。下着はいやおうもなく人目にさらされ、ついに完全に脱皮されて、下着は上着となる。貴族や武家の男や女たちの肉体は、農民や兵隊や労働者たちと同じ衣装の下で生き始める。その脱皮によって上着となった下着を、「小袖」という。小袖が上着に転化するとともに、着物がはち切れんばかりに、肉体が「動き」始める。
田中優子『近世アジア漂流』朝日文芸文庫、1995年、243~244ページ。
②小袖にみる上着と下着の「揺れ」
上と下、表と裏という対立は常に動き続け、一定ではない。江戸時代の下着についてよくわれることは、禁制が厳しいために下着で贅沢をした、という見方である。じじつ、上着と下着の区別がないはずの農民にいたるまで、木綿の縞の上着の下に、絹、縮緬の肌着や、紺や紅の木綿(基本は麻。木綿は贅沢品。染はなおさら高価)の下帯を使っていたことがわかっている。…中略…為政者そのものが、上着に禁制をきびしく、下着の禁制をゆるくしていたためなのである。贅沢をしていないかのようなふりを、みんなでしていたからである。
田中優子『近世アジア漂流』朝日文芸文庫、1995年、248ページ。
