モードの世紀 > ファッションの歴史 > タイムテーブル(年表) > 

日本の洋裁関連学校の展開

このページ | 一つ古い記事 »




西暦洋裁関連学校・教室の設立など
1870横浜ヘボン施療所(メアリー・エディー・キダー/アメリカ合衆国。現.フェリス女学院)
1872京都府立新英学校及女紅場(エヴァンス夫妻/イギリス。現.京都府立鴨沂高等学校)
1873時習社(同上)、裁縫塾(サイゼン/ドイツ)
1878出島英和学校(J.C.デビソンかC.S.ロング/ともに合衆国。後者なら現.鎮西学院か?)
1883飯島民次郎が「飯島貴族婦人専用洋服店」開業。
1886知新女学校(不詳。宮城県一関)
共立女子職業学校(元/渡辺辰五郎裁縫私塾、現.共立女子学園)
1887「婦人洋服裁縫学校」開校、沢田虎松(フランス公使館裁縫方)らが指導。
1899子供服・エプロンが高等女学校教授細目に導入。
下田歌子、「実践女学校」開校。(現.実践女子大学)
1900シンガー・ミシン社、日本進出(以後、06年時には東京・大阪・長崎・名古屋に支店)。
1901横井玉子・藤田文蔵ら、「女子美術学校」開校。(現.女子美術大学)
1903文部省検定裁縫科試験へ洋裁科目導入。
1906「ミシン裁縫専門学校」開校(東京麹町区有楽町・大阪東区北浜)
1911共立女子職業学校が高等師範科を設置。同科は25年の専門学校令で専門学部へ昇格。
1920『婦人之友』で西島芳太郎が洋裁実習と誌上洋裁を担当。
飯島民次郎の弟子、並木伊三郎が「並木婦人子供服裁縫教授所」開校。
1921並木婦人子供服裁縫教授所が、シンガー・ミシン販売店の遠藤政治郎の協力で「文化裁縫女学院」 へ。
飯島系仕立業者の町田菊之助が「婦人子供服普及会」を設立し、講習・講演・型紙を販売。
飯島栄次が神田に「飯島洋裁研究所」を設立し、翌年、「飯島洋裁学院」へ。
1926加藤謙吉がラジオ婦人洋裁講座「婦人服の裁断と仕立方」をラジオで担当。
杉野芳子が読売新聞で洋裁講座を連載し、目黒に「ドレスメーカー女学院」開校。
1929伊東茂平「イトウ洋裁研究所」を開設。
1937田中千代が芦屋に「田中千代洋裁研究所」設立(現.田中千代学園)。
1940桑沢洋子(伊東茂平の弟子)が「桑沢服装工房」設立。
1941上田安子(伊東衣服研究所卒)、「上田安子服飾研究所」(現.上田安子服飾専門学校)設立。
1946伊東茂平、「伊東衣服研究所」設立。
1949学制改革により、女子美術学校が女子美術大学へ昇格し、芸術学部に美術学科と服飾学科を設置。
1950伊藤すま子(伊東衣服研究所卒)、「伊藤すま子デザイン研究所」を設立。
1952伊東茂平、女子美術大学付属の「女子美術洋裁学校」設立。
1955桑沢洋子、「桑沢デザイン研究所」を設立し、バウハウス導入。
1965菊池織部(多摩美術大学デザイン科卒)、「バンタンデザイン研究所」設立。
1966桑沢洋子、東京造形大学設立。
谷まさる、「名古屋モード学園」設立。
1971谷まさる、「大阪モード学園」設立。
1981谷まさる、「東京モード学園」設立。

出典:小泉和子編『洋裁の時代 - 日本人の衣服革命』、バンタンコミュニケーションズ編『新ファッションビジネス基礎用語辞典』より。なお、西暦については、「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」、「区内散歩 中央区ホーム ページ」内の「洋服店ことはじめ(六)」、「大学の歩み」(女子美術大学)を参考にした。







サイト内関連ページ

関連リンク