モード@ベルリン(20世紀前半)
ここでは、Deutsches Historisches Museum - ドイツ歴史博物館(ドイツ語)(別窓で公式ページへ。英語版もあり)にて販売されていた、映画の広告ポスターなどの絵はがきを6点紹介している。19世紀後半から20世紀中葉のドイツの都市状況やモードシーンの一端を垣間見ることができる。
Hugo Krayn (1885-1919)
Großstadt
1915; Öl/Leinwand, H 134cm, B 94cm
(DHM 1987/113)
フーゴ・クライン(1885-1919)
大都市
1915年.油彩、カンバス
(ドイツ歴史博物館 1987年 113番)
Mai 1958
Drei Kostproben von den Deutschen Friseurmeister-
schaften in Berlin/West (Deutsches Historisches Museum, Bildarchiv)
1958年5月
ドイツ理美容選手権でのサンプル三点。西ベルリンにて
(ドイツ歴史博物館蔵)
この「ドイツ理美容選手権」は、国内の理美容師だけが参加したイベントなのか、あるいは、各国の理美容師が参加したものであったのかは分からない。なお、理美容選手権では、理美容業界の腕前を競うものとして「世界理美容選手権大会」が広く知られている。この大会には、団体部門と、「アーティスティック部門」「レーザー・スカルプチア・クラシカル部門」「コマーシャル・イン・ファッション・コンシュマー部門」という個人の3部門、計4部門で争われる。「世界理美容選手権大会」は、開催から半世紀以上を経た歴史をもっており、1992年には、田中トシオが史上初の全部門制覇を達成している。
Kupfer Sachs
Die blonde Venus (Filmplakat)
1932; Farboffset, H 204cm, B 95.5cm
(DHM P 62/599)
クプファー・ザックス(銅版画家ザックス)
ブロンド・ヴィーナス(映画ポスター)
1932年.カラーオフセット.204cm × 95.5cm
(ドイツ歴史博物館 P 62/599)
【印字箇所】
マレーネ・ディートリヒ『ブロンド・ヴィーナス』(ジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督、パラマウント・フィルム)
グレダ・ガルボと並び20世紀前半の映画界を席巻した名女優マレーネ・ディートリヒ(ディートリッヒ)主演の映画『ブロンド・ヴィーナス』(1932年、アメリカ)の宣伝ポスター。彼女の公式サイトはこちら → Marlene Dietrich [marlene.com]
Theo Matejko, 1920
Plakat aus dem Bestand des Deutschen Historischen Museums, Berlin
aus dem Buch >>Kunst! Kommerz! Visionen!<<
Editions Braus, Heidelberg
テーオ・マテイコ、1920年
ドイツ歴史博物館(ベルリン)所蔵ポスター
『芸術! コマーシャル! 未来!』(ブラウス書店、ハイデルベルク)より
【印字箇所】ウーファ社「寵姫ズムルン」監督:エルンスト・ルビッチ(ルービッチュ)、主演:ポーラ・ネグリ(以下、制作・出演者数名の名前と思われる)
(注)「ウーファ/UFA」 = Universum-Film-AG(1917年創立のドイツの映画会社)
ポーラ・ネグリ(POLA NEGRI)については以下を参照のこと。
「女優ポーラ・ネグリはドイツから招かれて米国に渡り、無声時代、性格派の名優と謳われたが、その後はトーキーの発達の波に押されて活動を休止していた。それが久々に(管理人注:「マズルカ」という作品で)このむずかしい役をこなして、名演技を見せた。・・中略・・トーキーの高波のに呑まれたサイレント時代の俳優たちはほとんど消えたままとなり、返り咲いたものはきわめて稀れだった。強いて探せば、名花グロリア・スワンソン、リリアン・ギッシュくらいのものではないだろうか。しかしこの二人共、年をとって大年増、ないしは老婆の役で蘇ったのだから、純粋の意味でのカムバックとはいえない。ポーラ・ネグリはその難事を見事にやってのけた。彼女の場合、初めから絶世の美女ではなかっただけに、歳月による容色の衰えもカムバックの妨げにならなかったのかもしれない。」
猪俣勝人『世界映画名作全史―戦前編』社会思想社(現代教養文庫)、1974年、224-225ページ(ツイネ・アリアンツ監督『マズルカ』(Mazurka)の解説より)
Jupp Wiertz (1888-1939)
Das Parfüm dieses Winters VOGUE
Um 1927; Farblithographie, H 119cm, B 83.5cm (P 57/1584, P 56/424)
ユップ・ヴィールツ(1888-1939)
この冬の香水(ヴォーグ)
1927年頃.カラーリトグラフ.119cm × 83.5cm(P 57/1584, P 56/424)
このポストカード下端には「F. Wolff & Sohn」の文字が記されている。これは、この商品のボトルをデザインした者の名前である。19世紀末までの香水ボトルのデザインは、ベル・エポックの雰囲気のなかで、とかく伝統的で複雑なエレガント調・フランス調が主流であった。しかし、ボトル・デザインは、世紀末に大きな転換をみせる。すなわち、綿密な真鍮製のキャップがついた、ゆったりとしたクリスタル(水晶)のようなボトルが登場したのである。ボトル本体は古典的なデザインが続いたが、真鍮のキャップは、華美な金色のラベルや箱に似合ったのである。ボトルデザインの変化の一端を担ったのが、F. Wolff & Sohn であった。1910年代に入ると、香水ボトルは新しい伝統を獲得した。心理学の発展に相まって、新しい香水製作者たちは、さらに複雑なボトルや名前をつくりだしたのである。それは、ボトル各面に三角形や螺旋状のモチーフを施した、革新的なものであった。
Louis Schmidt, 1888
Plakat aus dem Bestand des
Deutschen Historischen Museums, Berlin
aus dem Buch >>Kunst! ! Kommerz! Visionen!<<
Editions Braus, Heidelberug
ルイス・シュミット(1888年)
ドイツ歴史博物館(ベルリン)所蔵ポスター
『芸術! コマーシャル! 未来!』(ブラウス書店、ハイデルベルク)より
(注)ALLGEMEINE ELEKTRICITÄTS-GESELLSCHAFT BERLIN。通称AEG(アー・エー・ゲー)とよばれる「総合電気会社」。
アー・エー・ゲーは、ジーメンスやボッシュとならぶドイツの代表的な電気産業のコンツェルンであったが、1990年代後半に倒産した。
家庭用の電化製品や電気製品では、女性のイメージを付与したコマーシャルや女性をターゲットにした広告が家庭内に浸透することが多い。それは、この頃の広告にもみることができる。ドイツでは、19世紀中葉までは、エネルギーの代表格であった蒸気機関に力強い男性神が用いられていたが、19世紀末には、電気の普及に、妖精や女性神が利用されるようになったといわれる(蒸気機関と電気の普及については、原克『モノの都市論』を参照されたい)。
終わりに
以上、6枚のポストカードをごらん頂いた。19世紀末から20世紀前半のドイツが中心であったが、ご存じのとおり、この後ドイツは苦難の道をたどることになる。日本でも1920年代を中心に、なにがしかの文化が良かれ悪しかれ、若くエネルギッシュに華やいだものである。
1930年代には既にドイツでは強い男女のマッチョ的な絵画などが好まれるようになり、軍事と直結するようなっていく。その意味では、このページでご紹介した6枚のうちの数枚は、華やかでいて危うい最後の華が咲いているようにも思える。
関連リンク(リンク先は別窓で開きます)
■Purfume history bottle 1800 - 19世紀後半から20世紀初頭にかけての香水ボトルの変化を丁寧に解説。
謝辞
今回、このテーマを作成するにあたって、ベルリン在住の野崎恭夫氏に手伝っていただいた。スペルミスから社会史的な話まで、幅広くご指摘・お話ししていただき、末尾ながら深く感謝する次第である。氏のサイトberlin im bau - ベルリン工事中にもご訪問いただければ幸いである。
サイト内関連ページ
- ヴォーグ:vogue (ファッション用語集)
- Vogue (ファッション雑誌)
- ヴォーグ (ファッション雑誌)
