(5)高度成長期2:アパレルメーカー
パンタロンとミニ
オリンピックは業者の参加が失敗に終わり、それ以降、合繊メーカーのキャンペーンも先細りになっていった。国内では初めて、既製服メーカーが単独で特色を争う時期になった。
1964(昭和39)年は、「秋冬コレクション」でアンドレ・クレージュが発表した「ローブ・ド・パンタロン」が大ヒットした。これまで骨盤の大きい女性はパンタロンを奇麗に穿けないという通念があったが、クレージュのパンタロンはそれを打ち破り、スカートと同じ位置にパンタロンを引き上げた。
これに対して、保守的傾向の強いオート・クチュール界の大勢、とくにピエール・カルダンは批判的であった。しかし、熱狂的ブームにならなかっとはいえ、次のシーズンには、シャネル、サンローランら、指導的なクチュリエ、クチュリエールたちがパンタロン作品を発表するようになった。
また、この年、マリー・クワント(英)がミニ・スカートを発表。1965(昭和40)年1月の「春夏コレクション」でクレージュもミニ・スカートを発表。ここにミニ時代が幕を開ける。クレージュは、これまで膝頭を出すのをタブーとしてきたモード界に挑戦したのである。翌年には日本にもクレージュ旋風が起こり、モッズ・ルック、トータル・ルック、ミリタリー・ルックに人気が集中。1966(昭和42)年の春頃からは、膝上20センチのミニが流行しはじめ、10月には、ツィッギー(英)が来日し、これを機会にミニ・スカート、ミニ・ドレスが定着した。
また、百貨店では、オート・クチュールと提携したプレタ・ポルテが全盛期を迎え、クレージュの影響もあってパンタロン・スーツが人気を高めた。
この時期、消費者にはカジュアル志向も根強く、マーチャンダイジング、マーケティングの重要性が一層増し、小売業者との情報交換の必要度を上げた。と同時に、既製服メーカーが従来とってきた、企画と卸販売とにウェイトをおいた経営がみなおされ、下請け縫製業者との緊密化が図られるようになり、工場の専属化・資金援助・系列化といった動きが強まっていった。
男性の間には、カラー・シャツが定着し、女性にはミニが全盛した、というのがこの時期の大まかな流行である。また、ニットもファッション製品としての評価を高めて、ニット専業メーカーに一流企業が進出し、従来の既製服業者とは違ったベースからの進出であった。
ゲリラ商法のマンション・メーカー
1969(昭和44)年には、肌が透けてみえる素材でつくられたファッション(シースルー・ルック)が流行し、ノーブラへとエスカレートした。
1970(昭和45)年には、ファッション産業論が沸き起こったが、業界では「ファッション・ゲリラ」「マンション・メーカー」といった小規模集団が活動を活発化させた。この頃には、百貨店の系列化、提携、出店が相次ぎ、専門店の大型化やチェーン化が進む。百貨店は、店内のコーナーに専門店を設置するなどの専門志向を強化し、スーパーマーケットにはボリューム商品が並ぶようになった。専門店もマンションメーカーを必要とするようになる。
百貨店は、1974(昭和49)年には、小売業主の主役をスーパーに奪われている。以降、地方百貨店のシェア上昇と、大都市百貨店の低迷に象徴されるように、百貨店は高度成長期あたりの隆盛とは違った状態に追いこまれるようになった。
また、この時期以降、ファッションは、1920、30、40、50年代の流行が再生し、ミニがロングへと変化し、男女とも懐古的な落ち着きを取り戻した。
