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(5)ブランドの変貌:プレタ・ポルテの登場

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超少量生産であるオート・クチュールに対して、ディオールの編み出したライセンス生産、あるいはライセンス契約は折り合いのつかないものであった。ライセンスという、モード界では新しい経営戦略に見合った「仕立て」が、1950年代から60年代にかけて必要とされはじめた。そこで登場したのが、限定量産であるプレタ・ポルテである。

モード界の天才と評されるイヴ・サンローランがディオールを離れて、パリのスポンチニ街に自分のメゾンをオープンさせたのは、1962年春のことであった。経営の片腕となったピエール・ベルジェの助けもあって、サンローランは、プレタ・ポルテ時代の決断として、オート・クチュールからプレタ・ポルテへと、60年代後半からモード界の優先権をシフト。サンローランがプレタポルテのブティック「サン・ローラン・リヴ・ゴーシュ」(Rive Gauche、左岸の意)を開いたのは、66年のことであった。

クチュール界の左岸進出の先鞭を付け、サンローランの同名の店は海外の主要都市にまで拡大。ここには、既製服時代の到来を予期するサンローランの驚くべき先見の明が現れていたが、以後、ピエール・カルダン提唱のプレタ・クチュールといった発想などにみられるように、ほとんどのブランドが、オリジナリティとロイヤリティ、少量生産と大量生産、デザイナーと会社経営といった二者択一の窮地に立たされることにもなる。

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